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2010年2月 5日 (金)

影隠し地蔵縁起・14

2月5日(金)

影隠し地蔵縁起 第14回

     ~風は見ていた~

源義高と大姫・4

 義高の死から10数年、頼朝の妻政子が大姫と共に、村を訪れていた。義高の死を聞かされたのち、大姫は病がちとなり、いつまでも気分は晴れなかった。そんな政子を慰めるため、義高の討たれた村を訪ね、その霊を祭ろうとしたのである。そのために、仏師も連れていた。

 政子と大姫は、義高が討たれたという地蔵のあった広場に立ちつくした。大姫の胸には、義高の死を知った日の、幼い、純粋な悲しみがよみがえっていた。

 広場の先の川を、大姫は見つめた。あの川を渡れずに、義高は討たれたのだ。義高を隠した地蔵は、身を隠しても、影を隠さなかったと言う。大姫は、身も影も隠す地蔵をつくりたいと思った。そして、かって地蔵が立っていた所に安置したいと考えた。

 義高とは許嫁として、仲良く暮らしていた。その死を知らされたときの大姫は、まだ10歳にも満たない少女だった。幼かったからこそ、その悲しみは深く、いつまでも泣き暮らしたものだ。頼朝は、自ら命じたにもかかわらず、義高を殺さずに、掴まえて、頼朝の判断を待つべきだったという理由で、2人を処刑した。そうすることで、いくらかでも大姫の悲しみを和らげようとしたのである。しかし、大姫の悲しみが消えることはなかった。

 大姫は、義高と過ごした、幼い日々を思い出していた。義高は武将の子らしく、自分の馬を持ち、野原を駆け回っていたものである。大姫はその姿を見るのが好きだった。あの馬で、どうしてこの川がわたれなかったのだろうか。川を渡って向こうの山に逃げ込めば、身を隠すことだって出来ただろうに・・・。それが出来ないほど、追っ手が近づいていたのだろうか。今さらどうなるものではないのに、大姫の思いは、幼い日々に帰っていく。

 政子と大姫はしばらく村にとどまり、仏師に地蔵を彫らせ、身隠し地蔵のあったという場所に安置した。そして隠れる者の、身も影も隠すようにと念じて、影隠し地蔵と名付けた。

 更に政子は、影隠し地蔵の傍らに祠を建てさせて、義高の霊を祭った。一つには大姫の気持ちを和らげるためであり、二つには、義高の霊が源氏にたたるのを怖れたからである。義高が志水冠者と呼ばれていたことに鑑み、その社を「清水八幡神社」とした。八幡神社は、源氏の信仰する神社である。

                  続く

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