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2010年2月 2日 (火)

影隠し地蔵縁起・11

2月2日(火)

影隠し地蔵縁起 第11回

     ~風は見ていた~

源義高(ミナモトノヨシタカ)と大姫・1

 日が昇り、日が沈み、また日が昇り、日が沈み、風は村中を吹き抜け、漂いながら、いくつもの年を重ねた。

 源吉の建てた地蔵は、その後も大切にされ、村の守りとなっていた。建てられた理由はもはや知る人もないが、その陰に隠れれば、姿形を隠してくれる「身隠し地蔵」として、村人の信仰を集めていた。

 二瘤山の裾野をかすめるようにして、関東平野を流れ下る川は、このあたり1番の大河である。村の近くにその浅瀬があるために、村は川の渡し場として発達していた。そして何時のころからか、鎌倉から関東平野を通って奥州道に向かう道が、村を通るようになっていた。

 長く争っていた源氏と平家の戦いは、源氏の勝利に終わりそうである。そして今度は、源氏の内部争いが始まった。まず、平家との戦いで功績のあった源義仲と源氏の統領源頼朝の争いが始まった。

 義仲には、義高という子供がいた。かって、義仲が平家を追って都に上るとき、義高を人質として、頼朝に差し出していた。そうすることによって、自分が京に上っても、頼朝に逆らう気がないことを示したのである。頼朝はこれを喜び、娘の大姫を義高の許嫁としたのであった。このとき、義高は11歳、大姫は6歳であった。

 しかしその義仲と頼朝が争うこととなり、頼朝の命を受けた源範頼(ミナモトノノリヨリ)、源義経の軍は、義高を追いつめ、これを討った。

 頼朝は義高が成長して反旗を翻すようになることを怖れ、これも殺害することとした。頼朝自身、子供のころ平家に捉えられ、命を許されて伊豆に流されたのであった。命を許されたために、その平家を討つことが出来たのだ。義高を許すならば、自分が親の敵として狙われるであろうと怖れたのである。

 頼朝が義高を討とうとしていることを知った大姫は、義高にそれを知らせ、密かに義高を逃がした。義高は馬を駆って、奥州に落ちのびようとした。

 子供とはいえ義高は、すでに馬に乗る術を知っていた。しかし義高が村にたどりつくころには、馬も人も疲れ切っていた。夜陰に乗じて鎌倉を逃れ、次の日の夕方に村にたどりつくのは、大人でも容易ではない。馬術は子供とは言えぬほど長けていたとは言え、12歳の子供である。よくここまで逃げたと言うべきであろう。

                 続く

 

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