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2010年2月17日 (水)

「古池」の句

2月17日(水)

暦の上では春だけれど、気分は間違いなく冬。そして当方は冬籠もり。

家に籠もって、コタツに潜り込み、頼まれていた「車椅子と仲間の会」の記念誌のイラスト描き。簡単に引き受けたのだけれど、本当はそんな才能はないのである。先日1回やって今日2回目だけれども、まだ半分ばかり描けただけ。びっしり取り組んで、あと2日はかかりそう。細切れで取りかかるとなると、まだ暫くかかるなあ。

去年ブログ上で、「古池や蛙飛び込む水の音」のカエルは、どんなカエルかと入らぬ詮索をしたことがあった。別にどんなカエルだったとしても、古池の句の価値が変わるわけではない。

子規や虚子以後、写生、写生とうるさくなったが、芭蕉の頃は、写生なんていう言葉はなかった。「古池や」の句は写生ではないね。本当のよい句は、写生を越えていなくてはならないのだろう。

芭蕉と同じ時代に生きた、和及という俳人がいたらしい。その和及の俳句に、

  一つ飛ぶ音に皆飛ぶ蛙かな

というのがあるそうです。これは写生ですね。前に、「古池」の句について書いたとき、「古池に蛙が1匹しかいないはずがないし、蛙というのは1匹飛び込めば、まわり中の蛙が皆飛び込むものだ」という意味のことを書いた。この句はその性質を捉えている。だからといって「古池」の句よりすぐれているなどとは思わないけれど。

「古池の句からは春を感じられない」という意見もあるそうです。そう言えば確かに「古池や蛙飛び込む水の音」では、「春だなあ」という感じはない。しかし、「だからいけない」とは思わない。「俳句から季節を感じなくてはいけない」と思う方がおかしいのだ。季節を詠むのが俳句などと狭く考える必要はないだろう。俳句は「季節も」詠むのである。

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