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2010年2月28日 (日)

三渓園と横浜中華街

2月28日(日)

チリの大地震、津波、オリンピックで、スピードスケート女子団体追い抜き戦で日本銀メダル、東京マラソン、われわれのグループの横浜散歩、今日はいろいろのことがある日です。こんな書き方をしては、チリの人に申し訳ないと思いますが、私が殊勝なことを言ったところで、何の力にもならないのです。

山仲間と横浜三渓園に行きました。あいにくの雨。このところ私が企画すると天気が悪い。すっかり雨男になってしまいました。果たしてどれだけ来てくれるのか心配しましたが、参加者は11名。雨なのによく来てくれたと思います。

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三渓園は重要文化財の建造物が多。ブログにアップするのはそれを中心すべきですが、1月にも三渓園のことを書いているので、今回はあえて風景を中心にします。

1月は水仙が見頃でしたが、今は梅です。そして猫柳。水鳥も見頃かな・・・。

とにかく、冷たい雨が降っていて、寒い寒い。

Imgp3157_2 やはり建造物が少ないと淋しい。旧灯明寺三重の棟の遠景を載せておきましょう。

1月に行ったときと違って、初音茶屋でお茶のサービスなどをしていました。また、俳句の会があるようで、いくつかの建造物の内部に俳人だ上がっておりました。私たちが入れたのは、白川郷から移築した合掌造りの家だけでしたけれど・・・。

三渓園のあとは元町中華街へ。こちらは、私は人の後ろについて歩くだけ。何処で食事をするかなど何の計画も持っていなかったので、適当なところに入って遅めの昼食。その後、中華街散策。

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あんまり派手なので載せるのは止そうかと思ったのだが、思いなおして載せました。 関帝廟で、三国志の関羽を祭っているんですってね。春節(中国の正月、旧正月)の最後の日なのでこんなに賑わっているのか、それとも普段からこうなのでしょうか。関羽がこんなに信仰を集めるなんて、分からないなあ。商売の神様なんだってさ。関羽が、なんでだろう?

天后宮というのもありました。天后というのは伝説上の女性で、元々は航海者の神だったそうですが、今では一般民衆に信仰され、天上聖母といわれたりするそうです。

これは、今調べて分かりました。誓って言いますが、明日になれば忘れます。だから、今書かなければならないのです。 鶏は3歩歩けば忘れますが、私は1時間くらいで忘れます。鶏よりは少しだけ頭がよいかもしれません。

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2010年2月27日 (土)

実は私、読書家です

2月27日(土)

今日のようなタイトルを付けると、まず言い訳を書きたくなる。というか、何事に依らず言い訳ばかりしている人間、じゃなかった、蛙だと言うことは、この日記を読んでくださる方には分かっているはず。

私は義務教育終了程度の人間だから、埋め合わせに本を読んだ、というより、読書自体が好きだった。とはいえ、ただ漫然と読んでいただけで、これといって中心になるものがなく、手当たり次第の雑読という感じです。

広く浅く読んできたように思います。広くといってもたかがしれていますが、浅くの方には自信があります。ハハ。目的に向かってまっしぐらというタイプではなくて、あっちふらふら、こっちふらふらの方ですから、深いものなど、何もありせん。「なんですか?」 「言わなくても分かっている?」って。 ああ、そうでしょうね。

今にして思えば、読んでおけばよかったなんて本も沢山あります。これから読むにしては、残り時間が少なすぎる。そればかりではありません。いろいろ忙しくて、なかなか読書の時間がもてないのです。

たとえば、飯を作らなくてはなりません。洗濯しなくてはなりません。つまり家事をする時間が必要です。山歩きの時間、街歩きの時間も必要だし、絵を描く時間も必要です。たいしたことはしていないけれども、ボランティアの時間もいるし、テレビも見たい。なにもしないでボーとしている時間も必要だし、数独(ナンプレ)もしたい、鼻毛を抜きたい、とかね。要するに、近ごろは読書の意欲が落ちていると言うことです。目も疲れるしね。

わが家では、トイレの中にも小さな本棚があります。大の方などをするときには、その本棚に置いてある本を読んだりします。今読んでいるのは「万葉集」なんです。まだ巻きの1ですからね、死ぬまでに読み終えることが出来るでしょうか? 今日読んだページには次のような和歌がありました。

  巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思はな巨勢の春野を

1首置いて

  河のへのつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は

万葉人の言葉遊びに習って、ぼんくらカエルも1句。

  山小屋のつらつら氷柱ななつ立ち  ぼんくらカエル

「ななつ立ち」の「ななつ」は「お江戸日本橋ななつ立ち」の「ななつ」で、午前4時頃です。山小屋は朝が早いからね。

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2010年2月26日 (金)

丸山、日向山

2月26日(金)

山行。Sさんの車で芦ヶ久保まで行き奥武蔵の丸山に登る。

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芦ヶ久保果樹公園村は山の斜面にある。登りも降りも果樹公園村の舗装道路歩きがある。

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中腹の農家の花が美しい。

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奥に見えるのが丸山山頂の展望台。残雪の上はまだ歩きやすいが、溶けてどろどろになった道は歩きにくいばかりではなく、滑りやすい。どろんこの道でしりもちをつくのは嫌ですからね、注意して歩きました。そのせいかな、大した山ではないのに、今かなり疲れています。

天気が悪く、午後から降り出すという予報なので、あまり時間のかかるコースは避けて丸山にしたのです。

山頂で昼食を取り、なんとなく雨がふるまでは間がありそうな感じがしたので、下山は日向山経由。

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曇り空の下で、稜線から見る遠くの山は、まるで墨絵のよう。

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下山道の脇の農園の犬です。大きいのにスリムな犬。わんわんと吼えられました。お許しください。私たちは決して怪しい者ではありません。

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2010年2月25日 (木)

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ボランティアも歳をとる

2月25日(木)

老人介護施設Kでボラ。

長年一緒にやってきたYさんがボラをやめっるという。Yさんはギターを弾いて利用者さんと歌をうたってきた。しかし、もう楽譜が見にくくなってきて、ギターを満足に弾けなくなったというのである。無理もない。Yさん、もう80歳に近い。

目は歳をとれば、誰でもおかしくなる。ただし病的な物でなく年齢から来る白内障であれば、今では日帰りの手術で治る。私の知人でも、手術で直した人が何人もいる。Yさんはそのことを知らなかった。とにかく目の検査を受けることをすすめる。

この2-3年で、われわれのボラ仲間も、随分人数が減ってしまった。今では、自分たちのボラグループの行く末を見極めようかと思っている。われわれは徐々に消える。別の形の、新しいスタイルが出てくればいいのだ。

今朝電話があって、明日の山行の誘いだ。明日早朝Sさんが車で、家の前に向かえに来るという。これから山の用意である。水彩画の会とダブルが、明日ならば、私にとっては欠席しやすい日だ。ボラ以上に、山はいずれやれなくなる。だから、山歩き優先である。

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2010年2月24日 (水)

イラスト 安比奈公園散歩

2月24日(水)

ブログを書き終えたところで、変換が意のままにならず、ふっと画面が消えてしまう。で、同じブログを2度書かなければならない。イライラするなあ。

午前中、頼まれていた「車椅子と仲間の会」の記念誌のイラストを描き終える。夕方、編集のTさんに渡す。稚拙な絵だけれど、フリーハンドで書いたところが取り柄。

午後、安比奈公園に散歩。川越市の管轄だが、狭山市と川越市の境にある入間川河川敷の公園である。

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入間川の本流から水を引いて小さな流れを作り、親水公園としている。その流れに3本の木の橋があり、このスケッチの橋はは、狭山市側から行った場合、3本目にあたる。

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似たような橋ですが、これが1本目。

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橋を渡った島には、季節の花を植える広い花壇もあるが、今はなにも咲いていません。子供の遊ぶ姿は良いですね。何がどうと言うことはないのだけれど。

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2010年2月23日 (火)

公園のスケッチ

2月23日(火)

狭山市内の大きな公園は、智光山公園と稲荷山公園である。

智光山公園には、菖蒲園、子供動物園、植物園、いくつかの池、自然の林、水路沿いの木道、等があり、楽しい公園である。

稲荷山公園は2-3年前に市の管轄から県の管轄に移ったが、松と桜、カタクリとツツジ、そして芝生の公園である。

その稲荷山公園に散歩。片道50分ほどである。

稲荷山公園の手前に、ニックすというレストランがあり、俳句の会の4月の予約をする。いつもの会場がイベントなどをやるらしくて使えないのだ。

その足で稲荷山公園へ。

スケッチを1枚。車椅子の会の記念誌のイラストを描くためである。市内の風景を幾つか描きたいと思っている。

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稲荷山公園から、ごみ焼却場の方を見た風景です。このままイラストに使うわけではないけれど、これを土台に1枚書くつもり。下手はしょうがない。私に頼んだ方が悪いのだ。

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わざわざ言うまでもないがこちらはデジカメの写真。稲荷山公園の裏の方です。のどかですね。この後、犬を連れた小父さんと暫く雑談を交わしました。狭山市で生まれ育った人だそうです。昔の狭山市の話しをしてくれました。

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2010年2月22日 (月)

果実酒

2月22日(月)

夏みかんの皮が大量にあまったので、果実酒を作ることにした。夏みかんの果実所を作ったことはあるが、皮だけで作るのは今回が初めて。ま、うまくいくと思うよ。

これまで少なくとも20種類以上は果実酒を作っている。果実酒といっても、厳密には果実ばかりではない。たんぽぽとか春菊なんかでも作っている。あまり美味しくはなかったけれどね。

梅酒は別格として、うまかった果実酒としては、、びわ酒、かりん酒などがある。美味しくて色がきれいな物としては、いちご酒、プラム酒などがある。意外にうまいのが、干しぶどうで作った果実酒。ハイキングの帰りにヤマブドウを干した物を買って帰ったことがある。これで作った果実酒は絶品でした。葡萄ばかりでなく、乾燥した果物で作る果実酒は、良い味がします。

体に良いとか言われますが、ニンニク酒というのは、あまり美味しいとは言えませんな。松の葉っぱで作ったというのを飲ませてもらったことがありますが、これもまあ、自分でつくろうとは思わない味でした。飲ませてくれた人は、体に良いのだと言っていましたけれど。

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今わが家にある果実酒です。真ん中が今日漬けた夏みかんの皮。右がかりん酒。左はゆず酒。ゆず酒の黄色い色、実物はもう少しきれいに見えます。

今日は頂き物の美味しい酒のつまみがあります。宮崎のおみやげ、鳥ももの炭火焼き。神戸のおみやげ豚肉のスライス。岩手の土産スモークチーズ。

果実酒も日本酒もビールもあるし、何を飲んで何を食べようか。幸せだなあ。

精障者小規模作業所のボラ。

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2010年2月21日 (日)

雪の思い出など

2月21日日)

毎日毎日、書くこともないのに何とかかんとかブログを続けている。だから年中楽屋落ちを書いている。よく続くもんですな。

午後、車椅子と仲間の会の記念誌のイラスト描き。

オリンピックはときどきテレビ観戦をしている。私が1番応援していたのは上村愛子だけれど、残念ながら4位でした。女子のフィギアスケートはどうなりますかね。私は常に女子の味方です。

今日は割合暖かかった。この先雪はどうなのだろう。出来れば雪のあとで、近間の里山に登りたいな。田舎にいたころは雪にうんざりしていたけれど、埼玉あたりに長く住んでいると、雪が恋いしい。

あのころ、学校では薪ストーブを使っていた。各教室に薪の割り当てがあって、毎日使える量が決まっていた。ストーブの脇に弁当を暖める棚があって、お昼近くになると、暖められた沢庵の匂いなどがしてきたものだ。御飯とおかずを別の容器に入れてくるなんてことは、誰もしていなかった。だいたい一つしかない弁当箱だって、所々に穴があいたりしていたものだ。よく梅干しを入れていたが、昔の弁当箱は、梅干しを入れるところに穴があくんだよね。

そう言えば友達とふざけていて教室の入り口の扉にぶつかったら、それが真二つに折れてしまったことがあった。先生に怒られて雪の上に裸足で立たされた。凍傷にならなかったことから考えると、適当なところで先生が切り上げてくれたんだろう。

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2010年2月20日 (土)

俳句の会

2月20日(土)

何はともあれ、俳句の会の会計監査が終わり、会計報告が出来たので、ほっとしている。

今日のぼんくらカエルの俳句。

  廃校に残る大樹や初日の出

2月に「初日の出」だって! アハハ。

  大木に熊の爪痕のこる径

  春の日の赤子と共に母生まれ

以上、お粗末でした。

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俳句の会

2月20日(土)

何はともあれ、俳句の会の会計監査が終わり、会計報告が出来たので、ほっとしている。

今日のぼんくらカエルの俳句。

  廃校に残る大樹や初日の出

2月に「初日の出」だって! アハハ。

  大木に熊の爪痕のこる径

  春の日の赤子と共に母生まれ

以上、お粗末でした。

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2010年2月19日 (金)

切り絵

2月18日(金)

明日、俳句の会で会計監査を受けなければならない。で、最後の点検と会計報告の書類作り。

午後、特養老人ホームSのボラ。

そこで作った切り紙の1部を公開します。どうという物ではないけれど。

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こんなの、ブログを書いているから苦し紛れに公開するんだよ。さもなければ、その場限りで忘れるのだ。そんな物を見たり、読んだりしているあなた、ご苦労さん。特養Sの壁に、以前の私の切り絵が、台紙に幾つも貼り付けて、壁に貼ってありました。幾らか喜んでくれているようで、良い気分。

夜、次女からお酒の贈り物。新政の大吟醸だ。随分気張ったねえ。私は質より量の方だから、大吟醸なんて普段飲むことがない。さっそくコップ1杯頂きました。もったいないから、1日1杯だけ。いじましく、チビリチビリとまいります。

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2010年2月18日 (木)

2月18日(木)

朝窓の外を見ると、雪が降っている。ここのところ雪が多かったけれど、今日の雪がもっとも雪らしい雪と思った。これまでは霧雨の雪だったが、今日のは少し大粒。ただし水分が多く、柔らかい雪。その後気温が上がり、昼前には溶けてしまったけれど。

こんな日、近場の山はねらい目なんだけれど、残念ながら行けない。安全な雪山気分になれるのに。

雪国に住んでいたころは、雪などありがたく無かったけれど、埼玉あたりに長く住んでいると、雪の日には遊びたい気分になる。寒いけれど、山で遊ぶのが楽しいんです。新雪を踏む感触、暫く感じていないなあ。もう少し寒くて、乾いた雪だと、足の下で雪がきしむんです。

藤田まこと逝く。

好きだった俳優が逝ったりすると、俺が逝くのもそう遠くないなあ、なんて思ってしまう。

午前。ボラグループ定例会。

午後、精障者小規模作業所Mのボラ。

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2010年2月17日 (水)

「古池」の句

2月17日(水)

暦の上では春だけれど、気分は間違いなく冬。そして当方は冬籠もり。

家に籠もって、コタツに潜り込み、頼まれていた「車椅子と仲間の会」の記念誌のイラスト描き。簡単に引き受けたのだけれど、本当はそんな才能はないのである。先日1回やって今日2回目だけれども、まだ半分ばかり描けただけ。びっしり取り組んで、あと2日はかかりそう。細切れで取りかかるとなると、まだ暫くかかるなあ。

去年ブログ上で、「古池や蛙飛び込む水の音」のカエルは、どんなカエルかと入らぬ詮索をしたことがあった。別にどんなカエルだったとしても、古池の句の価値が変わるわけではない。

子規や虚子以後、写生、写生とうるさくなったが、芭蕉の頃は、写生なんていう言葉はなかった。「古池や」の句は写生ではないね。本当のよい句は、写生を越えていなくてはならないのだろう。

芭蕉と同じ時代に生きた、和及という俳人がいたらしい。その和及の俳句に、

  一つ飛ぶ音に皆飛ぶ蛙かな

というのがあるそうです。これは写生ですね。前に、「古池」の句について書いたとき、「古池に蛙が1匹しかいないはずがないし、蛙というのは1匹飛び込めば、まわり中の蛙が皆飛び込むものだ」という意味のことを書いた。この句はその性質を捉えている。だからといって「古池」の句よりすぐれているなどとは思わないけれど。

「古池の句からは春を感じられない」という意見もあるそうです。そう言えば確かに「古池や蛙飛び込む水の音」では、「春だなあ」という感じはない。しかし、「だからいけない」とは思わない。「俳句から季節を感じなくてはいけない」と思う方がおかしいのだ。季節を詠むのが俳句などと狭く考える必要はないだろう。俳句は「季節も」詠むのである。

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2010年2月16日 (火)

人物練習帳

2月16日(火)

寒くて天気が悪いのに、洗濯です。洗濯物がたまりすぎました。幸いマンションはベランダがあるから助かります。家の中に干さなくても良いからです。

月に1回血圧の薬をもらいにS医院に行きます。寒いせいか、病院は暇そうでした。

例によって、「人物練習帳」

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Tati00102枚目の右上はテレビの将棋番組の司会者。テレビを見ながら描いてみました。

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2010年2月15日 (月)

ぶり大根

2月15日(月)

精障者作業所Mへ。

寒いですね。山の会の定例日の昨日だけ晴れて、その前もあとも雨が降ったり雪が降ったり。

寒いときは鍋物、煮物に限ります。この冬、私は白身魚の煮物が上手になりました。ぶり大根のおいしさに目覚めました。

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ある日の夕食のおかずです。これに御飯とアルコールを加えるわけですね。手前左側がぶり大根。右側は大根の皮と小エビのきんぴら。すりごまも少し入っています。左後ろは切り干し大根とかいわれの酢の物。こうしてみると大根ばかりだ。

ぶり大根は、じっくりと時間をかけるのが本当でしょうが、私などは、どうしても手早く作りたい。手早く作ってもある程度の味になる方法を、私なりに会得しました。大根は1センチ強くらいの厚さに切って、太いものならイチョウ切りにする。そして、レンジで柔らかくチンしちゃうんです。ぶりは一口大に切って血合いを洗い、熱湯をかけて霜降りにする。そしてもう一度洗って水気を切る。この下ごしらえが私のコツです。

私の行くスーパーはそんなに大きくないので、買い物に行っても、ときどき目的のものが手に入らなかったりします。ぶり大根のつもりで買い物に行っても、ぶりのあらを置いていないことがあります。切り身はありますが、ビンボー人の私は、安いあらを使いたいのです。だから、あらがなければ、ぶり大根は諦めます。

写真にもあるように、大根の皮だって捨てません。伊予柑も写っていますが、この皮も捨てません。それなりにおいしく食べる方法はあります。リンゴの皮、サツマイモの皮、みんな食べます。皮を食べるのも一苦労です。意外に多いんですよ、量が。だから、いろいろ工夫しなければなりません。

ジャガイモの皮は食べ方が分かりません。里芋の皮は、無理でしょうなあ。

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房総の山

2月14日(日)

山の会の定例会。

うっすらと雪の積もった狭山を出て、南総の山に行ってきました。富山と伊予ヶ岳です。どちらも300メートルを少し超える程度の山。

富山は「トミサン」と言うのだそうです。南総里見八犬伝にゆかりのある山だそうです。

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登山口は、この寺の門を入ってすぐ右。道はよく整備されているのだが、昨夜の雪は狭山あたりよりはずっと降っているようで、足元は雪解けの泥。

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富山は双耳峰になっていますが、まず南峰続いて北峰に登る。北峰に展望台があり、360°の展望。うっすらと三宅島らしい島が見えましたが、私のカメラで捉えるのは無理。

展望台のしたのベンチの、雪を払って昼食。

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これが富山。この後に登った伊予ヶ岳の中腹から撮った写真です。

Imgp3080_2 Imgp3093 

平地でも富山でも、水仙が目立ちました。椿も満開。ここは南国ですね。

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富山を下山し、バスで伊予ヶ岳の登山口に廻ってもらう。うえは梅の花の上に見える伊予が岳。低山だが、急峻な山。

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ロープや鎖が頼りの上りです。

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頂上は大パノラマですが、カメラ技術が悪くてきれいに写りませんでした。

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2010年2月13日 (土)

あまゆき

2月13日(土)

いよいよオリンピックが始まりました。まさかカナダから電波に乗って寒気が来ているわけでもないのでしょうが、寒いなあ。

NHKでオリンピックの開会式の放送を始めたころ、私は買い物に行きました。細かな雨というかみぞれというか、その中間のようなものが降っていました。私の感覚では、みぞれというと綿雪くらいの大きくて湿った雪、という感じがあります。今日のは、霧雨みたいなみぞれです。

宮沢賢治が妹の死をうたった詩に、「あまゆきとってきてけんじゃあ」と言うフレーズが有ったような気がします。「あまゆき」というのは、私の田舎では「みぞれ」のことをいいます。賢治の田舎でもおそらく同じでしょう。妹が「あまゆきを取ってきてください」と頼んでいるわけです。このあまゆきは大粒の雪で、水分を多く含みながらも、積もっていなくてはなりません。実際、そうような雪も降ります。みぞれと言っても、雪よりのみぞれですね。

今日の降りは氷雨という方が良いのでしょうか。ただし冬に氷雨などと言うと、俳句をやる人からは文句が出そうです。俳句では、氷雨とは雹のことで、夏の季語です。

さてオリンピックですが・・・まあいいや。皆さん、頑張ってください。

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2010年2月12日 (金)

水彩画の会

2月12日(金)

水彩画の会。

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上の絵などはもっとぼかして交いたかったけれど、まだ技術が未熟で、思うようにぼかせません。あんまりきっちりした風景は描けもしないし、描きたくもない。

下の絵は親子。90歳と69歳です。

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2010年2月11日 (木)

影隠し地蔵縁起・最終回

2月11日(木)

影隠し地蔵縁起 第20回(最終回)

     ~風は見ていた~

エピローグ

 それから何百年も過ぎても、人はまだ争いをやめないのである。日本は、アメリカと戦争をしたいた。

 そのころ、村は発展して町になっていた。

 その日は穏やかに晴れて、初夏の風が気持ちよく吹いていたが、空には黒雲がわき出して、何か不吉な予感のする日だった。少女が一人、影隠し地蔵の前で、草を摘んでいた。

 突然空に爆音がして、アメリカの爆撃機B29が、近くの軍需工場をめがけて、何発もの爆弾と焼夷弾を落としていった。めらめらと火が上がり、炎は清水八幡の社にも燃え移った。炎は風を呼び、風は炎を増幅させる。

Tati0012_3  あたり一面が火の海になった。少女はすぐに、影隠し地蔵の後ろに隠れた。影隠し地蔵が逃げまどう者を隠してくれることを、少女は知ったいた。しかし炎は、影があるものも無いものも、すべてを焼き尽くしていった。地蔵にも火がつき、少女と共に燃え上がった。

「あ! ひどい!」

 どこかで声がします。風の声でしょうか? いえ、慎くんが叫んだのかもしれません。気がつくと慎くんは、影隠し地蔵の前に立っていました。

 何事もなかったように人は歩き、車は走っています。影隠し地蔵は、二瘤川の橋のたもとにあるお地蔵さんでした。いつも赤いよだれかけを掛けていて、慎くんがこれまで何度も見たことのあるものでした。

 地蔵は、街の人が戦のあとで建てたものです。それは今でも、影隠し地蔵と呼ばれています。でも地蔵は、もう誰も隠しません。ただ立っているだけです。

 今も風は吹いています。風には喜びも悲しみもありません。風は、黙って吹いています。風は、ただ、見ているのです。

 慎くんは夕暮れの町を、のろのろと駅に向かって歩き出しました。

                   終わり    

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川も人間も蛇行する

2月11日(木)

久しぶりに、狭山市内の温泉、大和の湯に行く。食事さえ安くあげようとしている私にとっては、入湯料650円(休日料金)はいつでも払えるという金額ではない。風呂に入ると、ビールも飲みたくなるしね。中ジョッキ1杯、日本酒1合におつまみで、2000円くらいかかってしまいます。

行き帰り、小糠雨が降っていた。ざあざあ降りとは違うけれど、そのうち雪になりかも知れないような冷たい小糠雨です。

前にも書いたと思うけれども、雪というのは、降るところを見上げると、螺旋状になって降ってきます。このあたりの雪は綿雪、牡丹雪と言ったものが多いので、降り方を見るのは好都合です。寒冷地に降る粉雪だと、見分けにくいかもしれません。

おそらく雨も、回転しながら降っているのではないでしょうか。水滴の大きさとか重さとかの関係もあるので、牡丹雪のように短い距離で廻ると言うことはないでしょうが、何千㍍から地上に落ちてくるまでの間には、くるくると回っているのではないでしょうか。

水というのは、ななめに立てかけた板の上に流しても、まっすぐ落ちるのではなくて、蛇行して落ちてくるようですね。川なども蛇行して流れます。地形のせいが大きいにしても、そればかりではなく、水自体が蛇行する性質を持っているのだと思います。

どうまとめればいいのか分からなくなってきたので、話題を変えます。人間も、目的に向かってまっすぐ進むのは、その本姓にそぐわないのではないか、なんて思ったりしたものですから、水の性質などを書き出しちゃいました。だけど、水と人間を一緒にしてはいけませんよね。分かってはいるんです。

それにしても、世の中の成功者などというのは、一直線に、がりがりやってきた人が多いんでしょうか。私などは大した成功者とつきあうこともありませんから、その辺の事情が分かりません。ちょっとした成功者はいますけれど、ウーン、少しがりがり気味かなあ。

私は自分がいい加減な人間のせいか、少し脇道に行ったりして、蛇行しながら生きてきた人の方が、心を開いてつきあえるなあ。

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2010年2月10日 (水)

影隠し地蔵縁起・19

2月10日(水)

隠し地蔵縁起 第19回

     ~風は見ていた~

 義宗と5人の武将が、何事か小声で話しているのを、何度かおときは目撃した。何か不吉な予感がして、おときは胸が塞がる思いだった。

 ある夕方、義宗と5人の武将は裸で二瘤川に入り、水垢離をとった。

 帰ってきて、義宗はおときに言った。

「われわれは、明日、北陸へ行く。新田に心を寄せるものを集めて、もう1度兵を挙げる。ここに帰ることはもう無いだろう」

 あまりのことに、おときは返す言葉を失った。なぜ? なぜ? と思うのだが、何をどう言えばよいのか分からず、

「嫌だ! 行かないで!」

 とだけ叫んだ。義宗は一つの椀に水を入れ、

「水杯だ」

 と言って、半分を飲んで、黙っておときに差し出した。その椀の水を捨ててしまいたいと思ったが、有無を言わさぬ義宗に気圧されて、おときはその水を飲んだ。

 それ以後義宗は、全く物を言わなくなった。おときが話しかけても、怒っても、泣いても、ただ黙っていた。

 次の日、義宗と5人の武将は、無言で家を出て、義興と3人の墓に長い祈りを捧げ、清水八幡と影隠し地蔵に必勝祈願をして、村を出て行った。

 義宗たちは二瘤川を渡り、二瘤山の中に消えていった。義宗たちの背中に向かって、おときは叫んだ。

「畑の大根はどうするだ! ネギはどうするだ! 田んぼはどうするだ!」

 義宗たちは振り向きもしない。

「なんで戦をするだ!なんで、なんで百姓ではいけないだ!」

 おときの叫び声は、風に運ばれて川を渡る。その声が聞こえるのか聞こえないのか、義宗たちは、ただ黙って遠ざかっていく。

Tati0015

 春はまだ浅く、冷たい風が静かに吹いている朝だった。  

 義宗たちのその後のことは、誰も知らない。北陸の戦で死んだと、風は噂に聞いた。

               続く

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気温は日替わりメニュー

2月10日(水)

一昨日は寒くて、昨日は暑くて、今日また寒くなりました。

車椅子と仲間の会で発足30年の記念誌を作るにあたって、イラストを頼まれている。編集者はゆっくりで良いと言っていますが、何を描くにも、材料無しでは描けません。昨日はカメラをもって、狭山市内の風景を撮りに出ました。その際、急いで歩くと、汗が出るので、薄手のジャンパーを脱いだのに、まだ暑いのです。着ているものが半袖シャツだったらよかったのに、と思ったほどです。

今日は所沢の次女の家に行きました。赤ちゃんは昨日から抱いて外の空気に触れさせているそうです。そんなわけで私が帰るとき、次女は赤ん坊を抱いて駅まで見送りに来ました。赤ん坊も、昨日と今日の温度差にびっくりしたんじゃないでしょうか。10°くらいは違ったようです。

明日はもっと寒くなるようですね。

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2010年2月 9日 (火)

影隠し地蔵縁起・18

2月9日(火)

影隠し地蔵縁起 第18回

     ~風は見ていた~

首塚・4

 翌日、義宗とおとき、藤治と7人の仲間は、義興の首塚にお参りをした。その後、藤治、参三郎、与十郎の3人は、義宗が引き留めるのも聞かず立ち去っていった。足利と戦う意志のないことを知って、ただの百姓になることを潔しとしなかったのである。残りの5人は義宗のもとに残った。

 更にその翌日、おときは義宗の首塚の前で、腰をぬかさんばかりに驚いた。藤治たち3人の武将が、首塚の前で自決していたのである。

 おときの知らせで駆けつけた義宗は、ただ呆然と立ちつくすばかりであった。

「藤治殿は、義宗殿に会うことを楽しみにしておられたが・・・」

 義宗のもとに残った一人の武将が言った。

「・・・期待を裏切られたという訳か」

 絞り出すような声で義宗が言った。そして、しばらく誰も声を発するものはなかった。

「藤治殿は1度立ち去りはしたが、大将無しで足利に刃向かうことは出来ないと思ったのだろう」

 ややあって、誰かがつぶやくように言った。

「それで、ここまで来て自決したというのか」

「昔の親方の首塚の前で自決して、後を追ったのだろう」

 5人の武将たちは、声をひそめて話す。義宗は終始無言で立っていた。

 義宗たちは義興の首塚のまわりに、3人の墓を作った。そして、毎日お参りをした。

 藤治たちが自決してからの義宗は、めっきり無口になった。おときが話しかけても、上の空の返事ばかりである。5人の武将たちも、たまにおときの畑の手伝いをすることはあっても、おしなべて無口であった。

                続く

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私はアホだね

2月9日(火)

歳をとると世の中の動きにさほど関心が無くなる。戦争でも起きたら大変だけれども、大概のことは、そんなに劇的に変わることはなさそうだと思っている。

ニュースは、新聞、テレビ、インターネットなどで知ることが多い。このところ、インターネットの比重が増えている。私のパソコンを立ち上げれば、ヤフーのホームページが開くようにセットしてある。そのページで今日のニュースを覗くのが、毎日の習慣だ。そこには、少ないときで20数項目、多いときは50数項目が載っている。それを覗いて、興味のあるものは全文を読むわけだ。

しかし、芸能人のニュースって多いんですね。私などは名前も知らないような芸能人が、やれつきあっているだの、離婚しただのと、どうでもいいようなことが毎日のように載っています。そんなことに興味のある人が多いと言うことなんでしょうなあ。芸能人が誰と結婚しようが別れようが、私にはとんと興味がないけどねえ。東名高速で立ち小便でもしていたというのなら、幾らか興味があるかな。芸能人ならクシャミをしても記事になるけれど、私などは突然発狂しても、誰もなんとも思わないよ。まあ、すでに少し狂っているけどね。

そんなことを考えると、私などがブログで何を書いたって、読む人には興味がないやね。それでもこうして毎日書いているのだから、私はよっぽどアホだね。

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2010年2月 8日 (月)

影隠し地蔵縁起・17

2月8日(月)

影隠し地蔵縁起 第17回

     ~風は見ていた~

首塚・3

 義興を討って安心したのか、間もなくも基氏は村の御所を閉じ、鎌倉へ帰っていった。基氏が帰ったあとも、義宗は村に残った。おときを妻とし、いつの間にか百姓に馴染んでいった。

 ある日、そんな義宗のもとに、8人の武将が訪ねてきた。武将と言っても、武器を持っているからそう分かるだけで、来ている者は薄汚れ、いかにも疲れ切っているように見えた。

「義宗殿。山岡の藤治です。山岡藤治です」

「なに、藤治? 山岡藤治か」

「はい、藤治です。お懐かしゅうございます」

 山岡藤治は兄義興に従っていた武将で、義宗も何度か会ったことがある。

「私は、真間参三郎です」

「私は神部与十郎」

「私は・・・」

「私は・・・」

 8人は口々に名乗りを上げた。みな義興の家来たちである。

 義興が討たれたあと、家来たちはちりじりに逃げ去った。出身地に帰って、ひっそりと暮らす者は、まだ幸せであった。ある者は見知らぬ土地で、身分を偽って暮らし、他の者は乞食となって各地を放浪するなど、さまざまな者たちがいた。

 山岡藤治もまた、そのような放浪者であった。そして、基氏が去ったあとも、義宗が村に住み続けているらしいことを、放浪中に聞いたのである。藤治は、義宗に会いたいと思った。義宗は、もう一度兵をおこすに違いないと思ったのである。その時、自分はその軍団の中にいたいと思った。藤治には、自分が乞食として終わる人間ではないという自負があった。

 義宗が村にいると知ってからの藤治は、かっての仲間を訪ね歩き、同志を募った。しかし、藤治に同調する者は少なく、7人の仲間を集めるのも、決して容易ではなかった。だが、その仲間と共に、今は義宗の前にいる。藤治は、胸の思いを義宗に伝えた。

 義宗は困惑した。新田の勢力も、今はちりじりである。世の中は足利に定まってしまった。それを不承不承受け入れ、おときと暮らしていたところに、藤治たちが訪ねてきたのである。現在の新田氏には、足利を討つ力がないことを話したも、藤治は納得してくれないのだ。一晩中話しあったが、2人の意見は一致することがなかった。

                    続く

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ビヤ樽

2月8日(月)

精障者作業所Mへ。

ぼんくら日記も毎日のことなので、何を書こうか悩むことが多い。夕方になれば、他のことをやりながらも、なんとなくブログの材料探しをはじめる。それで見つかるときもあれば、パソコンの前に座るまで、何を書くか決まらないこともある。決まらないときは、今書いているような、楽屋落ちが始まるわけです。

本当は今日は、少しだけ材料が見つかっている。ビヤ樽のことだ。先ほど、テレビを見ていたら、ビヤ樽を3年間で1.5000個盗んだ人がいるんだってさ。何もそんな物を盗まなくても、もう少し効率のよい物がありそうだ、なんて考えるのは、盗みを商売にしたことがないからかな。そのビヤ樽を転売して1.500万円ほどになったと言うから、1個1.000円くらいかなあ。計算、合っているよね? 近ごろ、こんな計算だって怪しいんだ。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」なんて言う言葉がある。若い頃はこれをもじって、「立てばビヤ樽、座ればたらい、歩く姿はガスタンク」テナことを言って、笑っていたが、「たらい」なんて言う言葉は、今や死語ですね。「ビヤ樽」という言葉を聞いて、最初に思い出すのは「立てばビヤ樽」だもんなあ私は・・・。

今日もう一つ、おもしろいニュースがありました。山形大学では、文章講座を必修にしたんだって。そこで、話し言葉を書かないことを教えるのだそうです。私のブログなんて、話し言葉ばっかりだ。でも、私だって、普通の文章くらい書けるんだよ・・・というか、書けるつもりです・・・いやあ、危ないかなあ・・・。

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2010年2月 7日 (日)

影隠し地蔵縁起・16

2月7日(日)

影隠し地蔵縁起 第16回

     ~風は見ていた~

首塚・2

 義宗は、通りかかる2人の武将に声をかけた。

「そこの二人、その首を置いていけ」

 二人は立ち止まって、お互いを見た。

「おぬし、何か言ったか?」

「わしは言わぬ」

「そうか。しかし、何か声がしたな」

「うん、声がした」

「そこの二人、その首を置いていけ!」

 義宗はもう一度声を上げた。

「なに? 首を置いていけだと?」

「確かにそう聞こえた」

「誰だ! 何処にいる。出てこい!」

「出てこい! 何処に隠れている?」

 二人はそこら中を見まわした。清水八幡神社の祠の中や縁の下にも目をやった。もちろん地蔵の後ろも見た。

「誰も居ないではないか」

「誰も居ない。いるのは地蔵ばかりよ」

「まさか地蔵でもあるまい」

「空耳か」

 その二人に、またも声が聞こえた。

「そこの二人、首を置いて行けと言うのが分からぬか!」

 二人は思わず顔を見合わせた。

「地蔵だ!」

 次の瞬間、二人は義興の首を放り出して、一目散に逃げていった。

 義宗はその首を持ち帰り、おときにも手伝ってもらって、近くの林の片隅に埋めた。そして石を置き、ケヤキの苗を植えて目印とした。

                    続く

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車椅子の会新年会 夏みかん

2月7日(日)

車椅子と仲間の会の新年会。この会の新年会は、毎年2月である。会場は新狭山ホテルのローズ・マリ-。入院していたHさんも年末に退院していて、元気な顔を見せる。私などは、結構食べて飲んで、楽しみました。

Imgp3061

これは、某所で拾った夏みかん。別に八百屋の前で拾ったのではありません。狭山市駅へ行く途中で、道に夏みかんの枝を伸ばしているところがあって、昨日からの風で落ちていた物です。何個かは車にひかれてぺちゃんこになっていました。この2個も、いずれ車にひかれる運命にありました。落ちている物を拾うのは、少しばかり抵抗感はあるのですが、舗装道路の上だし、車に楽をさせるよりは良いかと思って拾いました。車に楽をさせるというのは、もちろん轢くという字を意識したからです。こんなことを書くのを、蛇足と言うんですね。

さてこのみかん、庭に植えられているのですから、多分酸っぱいんでしょうね。ジャムにでもしますか。それとも果実酒かな。

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2010年2月 6日 (土)

影隠し地蔵縁起・15

2月6日(土)

影隠し地蔵縁起 第15回

     ~風は見ていた~

首塚・1

 更にまた150年ほどの時が過ぎた。あるときは強く、あるときは弱く、風はいつも村を巡っていた。 人間は戦をやめないのだろうか。その時もまた、戦をしていた。

 足利尊氏、新田義貞などの勢力によって、長く続いた鎌倉幕府が倒された。しかし戦はそれで終わらず、共に力を合わせて鎌倉幕府を倒した足利尊氏と新田義貞の争いが始まった。戦いはいくつもの勝ちと負けとをくり返し、最終的には、足利尊氏の勝ちとなった。

 しかし、新田義貞が討たれたあとも、その子義興(ヨシオキ)と義宗(ヨシムネ)の兄弟は、なおも抵抗をやめなかった。

 足利尊氏はその子基氏(モトウジ)を、関東の押さえとして鎌倉御所に置いた。基氏は、東北や北陸に勢力のある新田氏に供えて、一時、二瘤山の麓の村に鎌倉の御所を移した。その基氏の首を狙って、義興の弟義宗が、密かに村に隠れ住んでいた。村の娘おときと仲良くなり、おときの家に潜んでいたのである。

 しかしその義宗のもとに、兄義興が、多摩川の矢口渡でだまし討ちにあった、と言う知らせが飛び込んできた。二人の武将がその首を持って、基氏に見せに来るという。

 義宗はせめてその首を取り返したいと思った。そこで首を持った者たちが来るころを見計らって、影隠し地蔵の後ろに隠れた。義宗はおときに聞いて、影隠し地蔵が人の姿も影も隠すことを知っていたのである。

                 続く

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あけぼのの森公園

2月6日(土)

風が強いのでどうしようかと迷ったのですが、加治丘陵遊歩道を半周し、あけぼのの森公園、入間川の土手を歩いてきました。途中で休んでいるが、ほぼ4時間くらいかな。

Imgp3025

Imgp3031_4                 加治丘陵、旧サイクリング道路が遊歩道になっています。その道の脇の工房でしょうか、こんな大きな彫像があります。屋根の上に誰か居るのですが、この写真では見にくいですね。

サイクリングロードと言っても、マウンテンバイクでなければ無理な凹凸があります。だからサイクリング用としては捨てられてしまったんでしょう。

その遊歩道と別れてあけぼのの森公園に行くには、長くてきつい降り階段があります。あけぼのの森公園というのは、ムーミン谷を模したような公園です。私は裏口からその公園に入った形ですが、入り口には「1月12日から3月まで工事のため休園」という標識があり、横棒で通せんぼをしていました。

Imgp3040_2      これはムーミンの家。絵本でもこうだったんでしょうかね。きのこの家です。

Imgp3038 ムーミン谷の哲学者、我が愛する詩人スナフキンが住んでいそうな小屋。

あけぼのの森から元加治駅近くの入間川に出て、川の岸を狭山の新富士見橋まで、歩き、更に家まで歩きました。川岸で一休みして立ち上がったとき、お尻の下に敷いていた小さなビニールシートが、風に煽られて、入間川の流れに飛んでいってしまいました。わざとではありませんが、川にごみを捨てたのと同じ結果になりました。何処に謝るのか知りませんが、とにかくゴメンナサイ。                                                                

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2010年2月 5日 (金)

影隠し地蔵縁起・14

2月5日(金)

影隠し地蔵縁起 第14回

     ~風は見ていた~

源義高と大姫・4

 義高の死から10数年、頼朝の妻政子が大姫と共に、村を訪れていた。義高の死を聞かされたのち、大姫は病がちとなり、いつまでも気分は晴れなかった。そんな政子を慰めるため、義高の討たれた村を訪ね、その霊を祭ろうとしたのである。そのために、仏師も連れていた。

 政子と大姫は、義高が討たれたという地蔵のあった広場に立ちつくした。大姫の胸には、義高の死を知った日の、幼い、純粋な悲しみがよみがえっていた。

 広場の先の川を、大姫は見つめた。あの川を渡れずに、義高は討たれたのだ。義高を隠した地蔵は、身を隠しても、影を隠さなかったと言う。大姫は、身も影も隠す地蔵をつくりたいと思った。そして、かって地蔵が立っていた所に安置したいと考えた。

 義高とは許嫁として、仲良く暮らしていた。その死を知らされたときの大姫は、まだ10歳にも満たない少女だった。幼かったからこそ、その悲しみは深く、いつまでも泣き暮らしたものだ。頼朝は、自ら命じたにもかかわらず、義高を殺さずに、掴まえて、頼朝の判断を待つべきだったという理由で、2人を処刑した。そうすることで、いくらかでも大姫の悲しみを和らげようとしたのである。しかし、大姫の悲しみが消えることはなかった。

 大姫は、義高と過ごした、幼い日々を思い出していた。義高は武将の子らしく、自分の馬を持ち、野原を駆け回っていたものである。大姫はその姿を見るのが好きだった。あの馬で、どうしてこの川がわたれなかったのだろうか。川を渡って向こうの山に逃げ込めば、身を隠すことだって出来ただろうに・・・。それが出来ないほど、追っ手が近づいていたのだろうか。今さらどうなるものではないのに、大姫の思いは、幼い日々に帰っていく。

 政子と大姫はしばらく村にとどまり、仏師に地蔵を彫らせ、身隠し地蔵のあったという場所に安置した。そして隠れる者の、身も影も隠すようにと念じて、影隠し地蔵と名付けた。

 更に政子は、影隠し地蔵の傍らに祠を建てさせて、義高の霊を祭った。一つには大姫の気持ちを和らげるためであり、二つには、義高の霊が源氏にたたるのを怖れたからである。義高が志水冠者と呼ばれていたことに鑑み、その社を「清水八幡神社」とした。八幡神社は、源氏の信仰する神社である。

                  続く

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途中、何のお話もなく

2月5日(金)

特養老人ホームMへ。

その後、友愛訪問T氏。

以上はボランティアで、その内容は自分にとってはいつものことで、変わり映えはしない。そのほかで何か書こうと思っても、毎度毎度、平凡なことしかないのです。読んでくれる人が退屈でしょうから、何か変わったことでも書きたいのですが、そんな物はないのです。

昔読んだ講談本などでは、何か事件があって、その次の事件に至る間を、「途中何のお話もなく」ですませていた。私の日記は、常に「途中何のお話もなく」である。と言うより、途中じゃなくても何の事件もないのだから、始めから終わりまで「何のお話もなく」ですな。

そのうち、「あの世からの報告」なんて書けると良いんだけどねえ。おもしろくしようとしたって、だじゃれで終わるのがせいぜいです。

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2010年2月 4日 (木)

影隠し地蔵・13

2月4日(木)

影隠し地蔵縁起 第13回

     ~風は見ていた~

源義高と大姫・3

Tati0013_2

「川を渡った様子はないし、義高はどこかにいるはずだ」

 すぐに2人は、川の水を飲んでいる馬を見つけた。

「馬がいる。あれは義高の馬だ」

「馬がいるからには、この近くにいることは間違いない」

「しかしこの広場には、隠れる所とて無いではないか。あるとすれば何本かの木の陰と、あの地蔵の後ろくらいだ」

 2人は木の後ろに回り、地蔵の後ろも見たが何も見あたらない。念のため木の上も見たが、登った形跡はない。

「なんと言うことだ。先ほどまで姿が見え隠れしていたのに、ここまで来て見失うとは・・・。この村の家を、しらみつぶしにあったって見るか」

「待て、これは何だ・・・地蔵の影が二つある。地蔵の後ろに、もうひとつの影がある・・・」

 追っ手の1人が言う。

「そんなばかなことが・・・ん? 確かに影が二つ・・・ならば、切ってみるまでよ」

 その追っ手は、二つ目の影の出所に向かって、刀を振り下ろした。

「あっ!」

 悲鳴を上げて倒れたのは、まさに義高であった。

 身隠し地蔵は義高の血しぶきを浴びて、みるみる赤く染まり、その顔は憤怒の形相となった。身に浴びた血しぶきは炎となって燃え上がり、義高と、地蔵自身を焼き尽くした。

 怪しい風と共に、雷鳴がとどろき、激しい雨は、地蔵の燃えがらも義高の死骸も血しぶきも、何もかも二瘤川に流し去ってしまった。

                続く

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切り紙

2月4日(木)

老人介護施設Kへ。実はKとMのボラは1ヶ月間休んでいた。今日は利用者さん達と雑談を交わしながら、紙切りなどをやる。

Tati0009 その紙切りの1部をアップします。その日によって、手品をしたり、歌をうたったり、似顔絵を描いたり、その他、その時その時の状況に応じて、どうでもいいようなことをして時を過ごすわけです。それでも、私などが行くのを楽しみにしてくれる人達がいます。102歳のUさんは、私の切り絵を大切に紙にはっているそうです。102歳で、1ヶ月振りに言っても、私を覚えているというのがすごい。

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2010年2月 3日 (水)

影隠し地蔵縁起・12

2月3日(水)

影隠し地蔵縁起 第12回

     ~風は見ていた~

源義高と大姫・2

 義高が逃げたと知った頼朝は、家臣2人に義高を追わせた。その追っ手が、義高のすぐ後ろまで迫っていた。

 背後に見え隠れしながら、馬の蹄を響かせて近づいてくる二人の武将が追っ手であることは、義高にも分かっていた。もはや一刻の余裕もない。

 義高の行く手に川があり、川の向こうに山がある。あの山には入れば、身を隠す方法もあるだろう。しかし追っ手の蹄の音は、浅瀬を探して川を渡る余裕のないことを、義高に知らせた。義高は馬を下り、手綱を放した。そして農作業をしていた農婦に助けを求めた。

「追われています。隠れる場所はありませんか」

 農婦は近くの地蔵をさして言った。

「そこのお地蔵様の後ろに隠れるだ。昔から身隠し地蔵と言って、逃げる人を隠してくれるお地蔵様だで」

 その昔、源爺が掘った身隠し地蔵の陰に、義高は身を隠した。

 夕日が長い影を作っていた。春とはいえ、ときどき強い風が吹き、砂埃をあげている。

 追っ手たちは、すぐにその場にやってきた。そして農婦に言った。

「そこの女、12・3歳くらいの子供が、馬に乗って逃げていくのが見えなかったか?」

「おら、何も見なかっただ」

「見ないはずはあるまい。たった今、このあたりを通ったはずだ」

「おら、たった今ここさ来たばかりで、何も気づかなかっただ」

「何も気づかなかっただと。ぼんやり者めが。もうよい。さっさとどこかに消えてしまえ」

 農婦は追いやらって、追っ手たちは何か手がかりがあるだろうと、あたりを探し回った。

                  続く

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蒲柳の質

2月3日(水)

雪のあとは、さすがに寒いですなあ。わが家の暖房はコタツが主です。パソコンはデスクトップで、コタツに入っては出来ない。だから今、足が冷たい。毛糸の靴下をはいているけれどもね。

昨日次女の家に行ったけれども、当然のことながら、赤ん坊は、暖房の効いた部屋に寝かされている。今の子供は、暑さ寒さに弱い人間になるんだろうな。蒲柳の質ばかり出来るのかしらねえ。蒲柳の質なんて、死語かな。

今日あたりのブログでは、誰も彼も相撲界のことを書いていることだろう。相撲界って、浮世離れしているんですね。理事選で1門以外の人に投票したら、それをほじくり出して、辞職しろなんて言うんだね。なんのための自由投票なの。投票の意味がないや。

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2010年2月 2日 (火)

影隠し地蔵縁起・11

2月2日(火)

影隠し地蔵縁起 第11回

     ~風は見ていた~

源義高(ミナモトノヨシタカ)と大姫・1

 日が昇り、日が沈み、また日が昇り、日が沈み、風は村中を吹き抜け、漂いながら、いくつもの年を重ねた。

 源吉の建てた地蔵は、その後も大切にされ、村の守りとなっていた。建てられた理由はもはや知る人もないが、その陰に隠れれば、姿形を隠してくれる「身隠し地蔵」として、村人の信仰を集めていた。

 二瘤山の裾野をかすめるようにして、関東平野を流れ下る川は、このあたり1番の大河である。村の近くにその浅瀬があるために、村は川の渡し場として発達していた。そして何時のころからか、鎌倉から関東平野を通って奥州道に向かう道が、村を通るようになっていた。

 長く争っていた源氏と平家の戦いは、源氏の勝利に終わりそうである。そして今度は、源氏の内部争いが始まった。まず、平家との戦いで功績のあった源義仲と源氏の統領源頼朝の争いが始まった。

 義仲には、義高という子供がいた。かって、義仲が平家を追って都に上るとき、義高を人質として、頼朝に差し出していた。そうすることによって、自分が京に上っても、頼朝に逆らう気がないことを示したのである。頼朝はこれを喜び、娘の大姫を義高の許嫁としたのであった。このとき、義高は11歳、大姫は6歳であった。

 しかしその義仲と頼朝が争うこととなり、頼朝の命を受けた源範頼(ミナモトノノリヨリ)、源義経の軍は、義高を追いつめ、これを討った。

 頼朝は義高が成長して反旗を翻すようになることを怖れ、これも殺害することとした。頼朝自身、子供のころ平家に捉えられ、命を許されて伊豆に流されたのであった。命を許されたために、その平家を討つことが出来たのだ。義高を許すならば、自分が親の敵として狙われるであろうと怖れたのである。

 頼朝が義高を討とうとしていることを知った大姫は、義高にそれを知らせ、密かに義高を逃がした。義高は馬を駆って、奥州に落ちのびようとした。

 子供とはいえ義高は、すでに馬に乗る術を知っていた。しかし義高が村にたどりつくころには、馬も人も疲れ切っていた。夜陰に乗じて鎌倉を逃れ、次の日の夕方に村にたどりつくのは、大人でも容易ではない。馬術は子供とは言えぬほど長けていたとは言え、12歳の子供である。よくここまで逃げたと言うべきであろう。

                 続く

 

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少しだけ雪が積もった

2月2日(火)

ボランティアで精障者授産施設リバーサイドへ。

その後、1月に孫の生まれた次女の家に。

昨日の夜から雪が降り出して、狭山市あたりは少し積もった。そのため出かけるときに、軽登山靴を履いていくことにした。その方が滑らないと思ったからである。カメラも持って出た。途中でこれはと言うところがあれば、写真にとってブログに載せようと思ったわけだ。でも、結局、写さず終い。出かける時間が遅かったので、雪景色も、今ひとつピリッとした感じがない。それに、この程度の雪では、雪国育ちの私には、心に迫ってくるものがない。朝早くの、まだ溶けはじめる前の雪なら良かったんだと思うけどね。

都合で、今日はこれだけ。『影隠し地蔵』は書きますが、12時前にアップできるかどうか分かりません。明日にずれ込むかも、と言うことです。

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2010年2月 1日 (月)

影隠し地蔵縁起・10

2月1日(月)

影隠す地蔵縁起 第10回

    ~風は見ていた~

源爺の話・8

「春光さんにもせつ子さんにも、それっきり会っていないだ。噂も聞かねえ。今はこの村に住む人も増えた。春光さんが作ろうとして作れなかったお地蔵さんを、わしはどうしても作りたかったんじゃ。あのときと違って、今は木を削る刃物も増えたしなあ」

「なるほど、そうだったのか。源爺がお地蔵様を造りたかったわけがよく分かっただ。ところで、このお地蔵様に名前を付けるのかね」

Tati0012 「うん、それだが、このお地蔵様には、村の人を守ってもらいたいだ。せつ子さんのこともあるだで、特に、誰かに追われる人がいたら後ろに隠れられるように、隠れたら体が見えなくなるようにと願いながら彫り上げたんじゃ。だから『身隠し地蔵』としたいんじゃ」

「身隠し地蔵かや。聞いたことのないような名前だなあ。だども、源爺がそうしたいというなら、それでよかべえ。なあ、みんな」

「うん、まあよかべえ」

誰も反対する人がなかったので、地蔵の名前は『身隠し地蔵』と決まった。

源爺の息子が、お地蔵様に向かっていった。

「お地蔵様、聞いての通りだ。村人を守ってくだされよ。逃げる人の姿を隠してくだされや」

 暖かな陽ざしの中で、心地よい風に吹かれながら、源爺たちは、ふんわりと酒に酔っていた。供えられた酒を飲んだのか、夕日に照らされたせいなのか、身隠し地蔵の顔もほんのり赤く、少し酔っているように見えた。

                    続く

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人物練習帳など

2月1日(月)

午後8時45分。先ほどから降り出した雪が、我がマンションの芝生に、もう白く積もっています。

精障者作業所Mへ。

Tati0011

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もう1枚

Tati0010

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