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2010年1月31日 (日)

影隠し地蔵縁起・9

1月31日(日)

影隠し地蔵縁起 第9回

     ~風は見ていた~

源爺の話 7

 それから何日か過ぎて、春光が源吉に言った。

「源吉さん、夫婦が2組出来たんだ。村の始まりだよ。ここに人が住んでいると分かれば、これからやってくる人もいるに違いない。だんだん人も増えるだろう。私はこの村の守りに、お地蔵様を造ろうと思うのだが、どうだろう」

「それは良い考えだ。仏師の春光さんが作るなら、きっといいお地蔵さまが出来るだべ」

「それで、今日にも地蔵にする木を見に行きたいんだが、一緒に行ってくれますね」

「いいですとも」

「実は、この前から目を付けている木があるんです。1人で切り出すのは大変なんで、手伝ってください」

 すぐの相談はまとまり、2人は近くの森に出かけた。少し藪こぎをして、春光は、一本の木の前に立ち止まった。一抱えもありそうな木だ。

「この木なんですよ、目を付けていたのは」

「クスノキかや」

「そうです。この辺にはクスノキは少ないんですよ。仏像を作るにはいい木なんです。だけど、これだけ太いと、倒すのが大変だ

「春光さんがこの木が良いというなら、この木を倒すべえ。大変だども、鉈もあるし、2人で力を合わせれば、倒せないこともあんめえ」

 そのクスノキに取りかかる前に、2人はまわりの藪を払うことにした。そうしなければ作業がしにくいのだ。藪を払うだけでも、大変な作業だ。

 2人がその作業に没頭していると、ザワザワと風の騒ぐ音がして、藪の向こうから、おしげの叫ぶ声が聞こえた。

「春光さん! 源吉! 何処にいるだ!」

「おう、ここだ。どうしただ!」

通り抜ける風と共に、おしげが藪をかき分けて顔を出した。

「大変だ! せつ子さんが連れて行かれただ!」

 息をぜいぜいさせながら、おしげが言った。

「なんだって!」

~あんたらが出てから、おら達は二瘤山さ、山菜採りに行っただよ。昼をだいぶ過ぎたころ帰ってきたら、小屋の前に、侍が2人立っていただ。侍が、なんでまあこんなところに来たんだべとおらは思っただ。だども、せつ子さんは、山菜を放り出して逃げようとしただ。けれども、すぐに捕まってしまっただ。

~おら、何が何だか分からずに、ぼうっと立っていたら、侍が言っただ。

『そこの女。せつ子様は親方様のところへ連れて帰る。春光に言っておけ、親方様のお情けで、おまえの命まではうばわない、とな』 

~そう言って、無理やりせつ子さんを連れて行ってしまっただ。

~侍がいなくなってから、おら、急いで知らせに来ただ。

 おしげの話をみなまで聞かず、春光は駆けだしていた。呆然と立ちつくす源吉とおしげのまわりで、風に煽られた木の葉が、くるくると回りながら散っていた。もう冬は近い。

                  続く

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知らなかったこと 彩の森公園

1月31日(日)

昨日、今日、本や新聞から2つの知識を得ました。

吉川英治の『随筆 私本太平記』(講談文庫)を読んでいる。実は、吉川英治の小説は読んだことがない。何しろ彼のは、長いからねえ。随筆ならば、まあ気楽に読めるわけです。『私本太平記』を書くにあたっての裏話など、肩の力を抜いて書いているので、楽しく読めます。

足利尊氏の従兄弟か甥に、覚一という者が居て、盲人で平家琵琶の名手だったという。明石の検校と言われたらしい。それまで社会の邪魔者扱いされていた盲人に平家琵琶という職業を与えて、検校などの地位を築いた。以後の盲人の恩人ですね。

江戸時代には、盲人にも按摩や琴の名手には検校という地位のあたえて、弱者でも誇りを持って生きていく道があった。江戸時代というのは、案外弱者にも気を配って居るんだよね。その淵源が、覚一にあったわけだ。なるほどねえ。室町時代というのは、現代につながる生活習慣などが多くできた時代らしいけれど、こんなところにもあったんだね。つい50年くらい前まで、按摩は盲人の専業だった。今は関係なくなったけれど、それが良いのか悪いのか。今は弱者を蹴落とす社会だからなあ。

ついこの前、ブログでダーウインのことを書いたが、今朝の毎日新聞の読書欄に依れば、ダーウインって、熱心な奴隷解放論者だったらしいですね。さすがだなあ。

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自衛隊入間基地の飛行機です。

入間基地の隣にあるのが、彩の森公園。場所は入間市なのですが、狭山市との境にある公園です。

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今日はことのほか子供が多かったね。日曜日だから、当たり前かな。

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2010年1月30日 (土)

影隠し地蔵縁起・8

1月30日(土)

影隠し地蔵縁起 第8回

     ~風は見ていた~

源爺の話・6

 源吉は、もともとおしげが好きだったのだ。そのおしげが訪ねてきたのだから、嬉しいのなんのと言ったらない。

「おしげ、来ただか」

「きただよ、源吉」

「きただか」

「きただよ」

「おしげ、今日はな、初めて穫れた芋を食ってるだ。おしげも食えよ」

「芋が穫れただか」

「穫れただ」

 源吉が自分の椀をおしげに渡そうとした。

「おら、自分の椀を持ってきただ」

 おしげは自分の荷物の中から、椀を取りだした。おしげの荷物の中に、種籾や野菜の種があることを、源吉は見逃さなかった。おしげは、一緒に住むつもり出来てくれたのだと、源吉は思った。源吉は、何か言わなければならなような気がした。しかし、何を言えばいいのか分からなかった。

「おら、おら、一生懸命働くで・・・おら、一生懸命働くで・・・」

 源吉の口から、絞り出すような声が出た。それが源吉のプロポーズだった。

「おらも手伝うだよ」

 それがおしげの答えだった。

 二人の様子を頬笑みながら見ていた春光が、せつ子に目配せをして小屋にはいると、せつ子もその後に従った。

 夕焼けが秋の空を染めていた。風にそよいで、木々がわずかに揺れていた。

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苦手な会計 散歩

1月30日(土)

私は、得意なものは何もないけれど、苦手なものは幾らでもある。お金の計算なんかは、もっとも苦手です。だから貧乏している。

そんな私が、二つの会の会計をしている。ひとつは水彩画の会で、もうひとつは俳句の会だ。

水彩画の方は収入は会費だけという簡単な会計だから気楽だが、俳句の会は、俳誌なども発行しており、扱う金額も多く、少しばかり気が重い。そしてこの会、年度末が12月なのである。1月は新年句会などがあってその余裕がないが、2月には会計監査を受けて、定例会で会計報告をする義務がある。

今日その書類作りをした。途中で飽きて散歩の出て、帰ってからもう一度計算し直したりした。ドジで、計算機の打ち込みを間違えたりするから、なかなか計算が合わないのだ。なんとか書類を作ったけれど、参りますね。

Imgp3000 智光山公園に、福寿草のコーナーが出来ました。狭山市自慢の公園ですが、幾つかある池が、今は浚渫工事中。カメラマンもカワセミと共に姿を消しています。

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私の足は、あちこちに向かいます。ちょっと方角を変えて、新狭山から、堀兼、青柳方面へ。

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杉でしょうか、ひょっとすると生け垣によくうえられるカイズカイブキかもしれません。苗を育てているようです。

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こんな風情のある民家も、写真にしようとすると、電線や道路標識などが、どうしても写ってしまいます。

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2010年1月29日 (金)

影隠し地蔵縁起・7

1月29日(金)

影隠し地蔵縁起 第7回

     ~風は見ていた~

源爺の話し・5

 その日その日の空腹を、山の幸、川の幸で満たしながらも、3人はやがて収穫の時を迎える。

 ソバはよくできたが、サトイモは芳しくなかった。木の多いところは開墾することが出来ず、木の少ないところを畑にしたのだが、そんなところは石ころが多かった。切り開いた畑は、サトイモには向かなかったのである。種芋を残せば、サトイモの収穫は、3人の1食分にも満たないくらいだった。

 しかし、ヤマイモはあった。近くの丘や二瘤山の斜面から、源吉と春光は、沢山のヤマイモを掘り出した。

 そのヤマイモとサトイモで、3人は芋煮会をした。季節はもう秋である。よく晴れた日で、木々の葉は、赤や黄色に色づきはじめ、静かに風が吹いていた。

 3人は小屋の前に石を積んで竈とし、鍋をかけて、サトイモとヤマイモ、それに山から採ってきたきのこなどを入れて、ごった煮を作った。

 3人は、それぞれの幸せをかみしめていた。この土地は豊かな土地で、川魚が捕れ、山菜が豊富で、わなをかければ野ウサギも獲れた。食に困ると言うことはなさそうである。

 源吉には、この土地で百姓をやれるという自信が出来た。ソバはよくできたし、野菜も出来た。3人で力を合わせれば、畑はもっと広げることが出来る。そのうち、水田だって開けるだろう。

 一方、春光とせつ子は、源吉という頼りになる仲間が出来たことを、なによりも心強く感じていた。2人で馴れない田舎暮らしが出来るか不安だったが、源吉が居てくれるので、それが出来るように思えたのである。

 あるかなしかの風に吹かれ、秋の日射しを浴びながら、3人が少し華やいだ気持ちで芋を食べていると、遠くの方で、

「おーい」

 と呼ぶ声がする。3人が生活を始めてから、ほとんど人の通ることの無かった土地である。3人は思わず顔を見合わせ、立ち上がって声の方を見た。だれかがこちらに近づいてくる。どうやら若い女のようだ。

「おーい」

 女はもう一度声を上げた。源吉は、ぴくんと立ち上がった。

「おしげだ!」

 源吉が走り出した。

「源吉!」

 女も走り出した。

                   続く

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『進化論を楽しむ本』

1月29日(金)

先日高円寺の商店街を歩いていたとき、古本屋で買った本のうち、『「進化論」を楽しむ本』(中原英臣・佐川峻・著・PHP文庫)が掘り出し物だった。

科学的進化論はダーウインに始まるわけだが、その後に現れたさまざまな進化論について、私のようなばかにでも分かるように(本当は分からないところもある)易しく書かれている。

私にも、ダーウインの進化論や、今西錦司の棲み分け進化論については、あやふやではあるが一応の概念はある。著者達が主張するウイルス進化論というのは、はじめて知った。まだ仮説だけれど、結構説得力はある

本の中に何度も出てくるが、たとえばキリンの首はなぜ長くなったかの説明である。ダーウインの進化論ならば、突然変異があって、少し首の長いキリンが生まれ、それがが生存に適していたので、自然淘汰により、生き残った。更に突然変異をかさねて、首が少しずつ長くなり、今のキリンになった、と言うことになる。しかし、キリンの先祖とされる化石と、現在のキリンになるまでの途中のキリンの化石は発見されていないという。今後発見される可能性はあるのかないのか知らないけれど、これまでのところ、中途半端な首の長さのキリンの化石はないのだそうです。

生物に突然変異があることは知られていますが、突然変異した個体が次の世代に残るためには、1個体の変異だけでは無理なはずで、集団で突然変異をおこさなければならないはず。それはおかしいという感じを持っていました。と書くと、私がが自分で考えて、そう思ったようですが、実は今西錦司がそんな意味のことをどこかで言っていたので、もっともだと思って納得したのです。

これがウイルス進化論だと、説明できちゃうんですね。ウイルスというのは、私などにはよくは分からないけれども、とにかく生きている細胞に入らなければ、活動できないのだそうです。最近ならば死んだ豚の肉にとりついても生きていけるが、ウイルスは生きている細胞に入らなければどうにもならないんだって。そして、人間でも他の動物でも、入り込んで、病気を起こしますよね。

このウイルスが、実は遺伝子の運び屋なんだって。言ってみれば、遺伝子組み換えなんて事を、ウイルスがやるんだね。そしてウイルスが運んだ遺伝子は、子孫にも遺伝するわけです。

さてキリンの首ですけれど、端的に言うならば、ウイルスによって、キリンの先祖に首が長くなる遺伝子が運ばれてしまった。つまりキリンは、首が長くなる病気にかかってしまった。ウイルスですから、集団でかかるわけです。遺伝子が運び込まれたわけですから、その性質は子孫にも受け継がれるわけです。この説に依れば、首の長さが中くらいのキリンなんて必要ないわけです。

ウイルスが遺伝子を運ぶ、と言うことは、少しずつ証明されてきて居るみたいですよ。進化論、今後どう変化していくか、興味があります。

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2010年1月28日 (木)

補聴器を返す

1月28日(木)

視聴していた補聴器を返した。と言うより、視聴できなかった補聴器を返した。イヤホンがどうしても耳に入らないのである。無理に押し込もうとしていろいろと押しつけてみるのだが、しっくりと耳の穴に入っていかない。そのうち、ピーピー音がしてくる。その音が自分だけではなく、まわりの人にも聞こえるのだ。30分もそんなことをしていると、気分はイライラだ。

私は、相対で話は出来る。電話も大丈夫。まだ補聴器を使う時期では二と判断し、使わないことに決めた。そのため、今日、耳鼻科に返しに行ったのである。

何だか、帰ってほっとしたような気分もある。相対での話しが不便になったら、その時こそ、きちんと考えよう。その時、まだ生きていて、惚けていなければね。

車椅子と仲間会創立30周年の記念誌を出すことになっていて、Tさんがそのイラストを描けと、用紙を持ってくる。ゆっくりで良いそうだ。

車椅子の会の、両手両足無しで頑張っているKさんの聞き書きでもしたくなったなあ。

影隠し地蔵縁起、休みます。本当はかいたのですが、うっかり消してしまいました。もう1度書く気力がありません。これから、1杯飲みます。

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2010年1月27日 (水)

影隠し地蔵縁起・6

1月27日(水)

影隠し地蔵縁起 第6回

    ~風は見ていた~

源爺の話・4

 その晩、源吉は春光達の小屋に泊めてもらった。春光は、京の都で仏像を作る仕事をしていたという。しかし、それ以上のことは、あまり話したがらないようだった。

 次の日から、3人の共同生活が始まった。まず、源吉の小屋作りである。源吉達は、鉈で木を切り、藤や葛の蔓でその木を結わえて組み合わせ、柱や梁とした。

 源吉は粗ぽくどんどん仕事を進めるが、春光の仕事はゆっくりしていた。その代わり、こまかいことに気づいて、仕上がりがきれいだ。また、去年せつ子と協力して小屋を作っているだけに、要領をのみこんでいるような所もあった。

 丸太を結わえて柱や梁を作り、茅を刈って屋根や壁にした簡単な小屋が出来た。春光のおかげで源吉の小屋は、屋根の傾斜や明かり取り、竈の煙出しなども、いきなり作ったにしては、まずまずの仕上がりになった。

 小屋ができあがると、畑の開墾である。その日その日の食べ物を手に入れながらの開墾なので、なかなか大変である。幸いこのあたりは、山菜が豊富だった。二瘤山はもちろんだが、あえて川を渡るまでもなく、小高い丘へ行けば、山菜やどんぐり、山栗などが思うように採れた。川にも魚は多かった。わなを仕掛けておけば、ときどきはうさぎも掴まえることができた。

 3人は、時には耕し、時には山や川に食料を取りに行った。山菜も魚も、あまった物は、干したり薫製にしたりして保存した。

 とにもかくにも、源吉の持ってきた種を、早く蒔かなければならなかった。3人は、まず2つの小屋のまわりから畑を作った。木の多いところは避けて、草地から畑にした。細い木ならば、鉈で切ることも出来る。鉈で切れないほどの木になると、とても手がつっけられない。1本の木を切り倒して、根を掘りあげるとなると、1日がかりでも出来なかたったりする。だから、大きな木はそのまま残した。

 そうしてできた畑に、そばの種を蒔き、里芋を植えた。

                 続く

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横浜三渓園

1月27日(水)

2月の歩く会で横浜三渓園に行こうと思っている。ぶっつけ本番にしようと思っていたが、今日暇があったので、行ってみることにした。

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広い園内に歴史的に価値ある建造物を、10棟以上、自然にとけ込むような形で移築している。なかなか見事で、一見の価値はありますね。入園料500円(高齢者は350円)というのは、安いと思います。

この三重の塔は聖武天皇の勅願寺・京都灯明寺にあった物だそうです。

白川郷の江戸時代の庄屋の家を移築した物もありました。

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この合掌造りの家には、入ることが出来ます。

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二階に上がることも出来ます。

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二階からの写真です。玄関からだれかは行ってきました。玄関脇に。荷車もあります。

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梅はまだ満開とは言えません。

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写真は沢山撮りましたが、このくらいにしておきます。

   

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2010年1月26日 (火)

影隠し地蔵縁起・5

1月26日(火)

影隠し地蔵縁起 第5回

    ~風は見ていた~

源爺の話・3

 源吉が家を出て、1日半歩いたところで、どうやら旅の者が言っていたらしい土地に着いた。瘤が二つある山があって、大きな川があって、野原がある。川は大きいが、浅瀬があって、向こう岸に渡ることが出来るようだ。

 源吉は川岸の小高い丘に登って、野原の方を見た。

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 春の風が心地よく吹いている。辺りを見まわすと、向こうの林の麓から、細い煙が上がっているのが見えた。よく見ると、どうやら小屋があるらしい。食事の支度でもしているのだろうか。旅の者の話しでは、まだ誰も住んでいないと云うことだったけれども、誰か住んでいるのかもしれない。源吉は、ほっとしたような、幾らかがっかりしたような気分になって、取りあえずその小屋まで行ってみることにした。

 原っぱと林の境に、その小屋はあった。

「誰か居るだか?」

 中を覗くようにして、源吉は声をかけた。

「はい」

 びっくりしたような顔をして、若い男が出てきた。続いて、若い女も顔を出した。

「あんたら、ここに住んでるだか?」

 無遠慮に源吉が聞いた。

「そうですが、あなたは?」

 若い男が丁寧に問い返す。

「おらは、ここに家を建てて、住もうと思って来ただ」

「そうですか、それならどうぞ、小屋の中で話しましょう」

 若い男は春光と名乗り、女はせつ子と名乗った。若い夫婦が二人で住んでいるのだという。この二人は、どことなく上品な雰囲気がある、と源吉は思った。二人は、去年の秋からここに住んでいるのだという。

                続く

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マンションからの富士

1月26日(火)

精障者作業所Mへ。

我がマンションは9階建て。私は4階で、富士山が見えるには見えるけれど、樹木に隠れてぱっとしない。9階まで上がると、見事な富士が見える。

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わが家からだと、こんな感じ。随分違うね。

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2010年1月25日 (月)

影隠し地蔵縁起・4

1月25日(月)

影隠し地蔵縁起 第4回

    ~風は見ていた~

源爺の話し・2

 おもむろに、源爺は話し始めた。

「そうさなあ・・・何年前になるか、忘れるくらい昔のことだ。わしの生まれた村は、山を幾つも越えた向こうにあったんじゃ。あるとき・・・そうじゃ、あれは18の時じゃった。秋の村祭りにやってきた旅の者が話してくれたんじゃよ。ここから幾つも山を越えて、1日半歩いたところに、瘤が2つ列んでいるような山がある。そのふもとに、田んぼや畑を作るのにいい土地がある、とな。山があって、大きな川があって、野原があって、まだ誰も住んでは居らんと言うことじゃった。わしは貧しい百姓の3男だったから、いずれ家を出なければならん。そんなところがあるなら、そこへ行こうと思ったんじゃよ。次の春になるのを待ちかねて、わしは一人で村を出たんじゃ」

「貧しい百姓では、次男や3男に分けてやれるほど田畑はないものなあ」

 源爺の息子が相づちを打った。

「そうじゃ。わしはいずれ村を出なくてはならんと思っていたから、前もって、鍬や、鉈や、鎌を用意しておいたんじゃ。それに、鍋もな。家を出る前に、幼なじみのおしげにだけは告げようかと思ったんだが、何だか言いづらくて、黙って出てきてしまった」

「おしげというのは、この前なくなった、俺のおっかあのことだね」

「そうじゃ。親からは、種芋や、そばの種、野菜の種などと、当座の食料をもらって家を出たんじゃ」

「親も心配だったんだね」

「まあそうだ。だけど、そんなに話の腰を折らずに、黙って聞けや」

 源爺は話しを続けた。それはおよそ、次のような話しだった。

               続く

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電話は苦手だ

1月25日(月)

俳誌「つばさ」へ投句。

精障者作業所Mへ。

昔、電話が苦手だった。

15,6歳のころは、せめて将来は、電話があるくらいの家にすみたいと思った。しかし今は、携帯などを含めると、個人で電話を持つ時代になった。

わが家に初めて電話が引けたころ、なんとなく電話に出るのが怖かった。電話がかかってくると、つい緊張して、必要以上に大きな声で応対したりした。こちらから電話をかけるときなどは、かける前から胸がドキドキするのである。今考えると、嘘みたいな気がする。

その後、さすがの私も電話に馴れたから、恋人にでもかけるのでない限り(残念ながらそんな人はいないが)、電話でドキドキしたりはしない。

私はもう少し留守電を使えばいいのだけれど、外出するときも、めったに留守電にしない。私から電話をかけて、留守電だったとき、「ピーと言う音がしたらメッセージをしてください」などと言われると、よほどの用件でない限りがちゃんと電話を切ってしまう。なんとなく留守電を使いたくない気分がある。私などのところに、それほど重要な用件の電話があるなんて思えないしね。

しかし、独りで住んでいると、それでは不便なこともありますな。でもまあ、居ないときにかかってきた電話なら、こっちは知らないことだから、出なくても心が痛んだりはしない。問題は、家にいるのに出られない状態の時にかかってきた電話だ。たとえば、トイレとか、風呂に入っているときなどです。そんなときに電話がかかってくると、出なければと思って、気がせいてしまうのです。

今日も風呂に入っているときに電話がありました。電話に気づいて、私は素っ裸のまま、体も拭かずに部屋を走り、受話器に飛びついたのです。すると電話の主は、澄ました声で、お墓の勧誘をはじめました。腹立つなあ、もう。

やっぱり電話は苦手だ。

     

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2010年1月24日 (日)

影隠し地蔵縁起・3

1月24日(日)

影隠し地蔵縁起 第3回

    ~風は見ていた~

源爺の話・1

 二瘤山の木々の間をさまよっていた風が、麓におり、二瘤川を渡って、村の広場の辺りを吹いている。草木は若葉に輝き、田植えの終わった水田には、苗が行儀良く列んでいた。風はさわさわと広場の上を吹きながら、人々の話を聞いている。広場の様子を、風は見ていた。

 広場には20人くらいの大人と、大人より多いくらいの子どもたちがいた。大人達は、ござの上に輪になって座っている。輪の真ん中には鍋がすえられ、、野菜や野ウサギの肉が、ぐずぐずと煮えていた。わずかばかりだが、どぶろくも用意されているようだ。

 子どもたちは、大人の膝に載ったり、背中にもたれかかったり、近くの木を揺すったり、木の枝にぶら下がったり、それぞれ、思い思いに動き回っている。落ち葉や石をはがして、虫を見つけようとしているものもいる。

 広場の端に、木で作られた真新しい地蔵が立っていた。

「まずは、源爺の作ったお地蔵さまに、魂を入れてもらいましょう。旅のお坊様、お経をお願いします。源爺、お地蔵さまに目を入れてください」

 広場の中央にいた、ひときわ大柄の男が言った。源爺の子供である。源爺と呼ばれたのは、源吉という名の老人だ。村の最長老なので、みんなに源爺と呼ばれている。村人がみな源爺と呼ぶので、彼の息子もまた、自分の父を源爺と呼んでいるのだ。源爺は歳をとってはいるけれど、がっちりした体つきで、手足なども太く、まだまだ元気そうだ。

 広場に集まった人々の中に、旅のお坊さんが混ざっていたようだ。粗末な、薄汚れた衣を身につけたお坊さんが進み出て、木で作られた新しい地蔵の前で、お経を読みはじめた。

 源爺は、いくらか曲がった腰を伸ばして、お地蔵さまの目にノミを当てた。

「さて、お地蔵さまに魂が入ったところで、源爺、どうしてこのお地蔵様を造ったのか、そのわけを聞かせたください」

 また、例の男が話しかけた。

「うん、そうさナア。せっかくだから、話しておこう。この村の始まりから話さなくてはならんな」

                 続く

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久しぶりの高円寺

1月24日(日)

梅里の継母のところに、継母と義妹の写真と水彩画を持っていく。

帰りに、高円寺商店街を歩いてみる。

私は秋田で生まれ、幼年時代は東京の市ヶ谷、少年時代は秋田で、青年時代~10代後半から20代前半~は高円寺に住んでいた。私の感じとしては、故郷は秋田、第2の故郷が高円寺、と言うところだ。

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高円寺南口の商店街。道の狭さは昔と変わらない。それに、なんとなく場末の雰囲気もね。私は、洗練された商店街より、こういう方が好き。でも、知っている店は少なかった。50年振りだもの無理もないか。

小さな古本屋があって、ああ、ここは昔からある、と思って懐かしくなり、思わず中へ。その本屋と、もう1軒の古本屋で、都合9冊の本を買ってしまった。そんなに読めやしないのに、本となると財布の紐が緩んでしまうのは、昔からの悪い癖だ。おかげで帰りは、重くて困った。

北口の商店街は「純情商店街」などと書いてあった。直木賞作家のせいでこの名前になったのかなあ。昔は、たんに、高円寺北口商店街、と言っていてと思うけれど。

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この純情商店街に続いて、庚申通り商店街というのもあります。

                                                                                                                                      Imgp2890   

この3つの商店街を繋げば、何キロかある。細くて長い商店街だ。

梅里でもらった出産祝いを持って、次女の家によると、次女は買い物中だった。元気でなにより。

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2010年1月23日 (土)

影隠し地蔵縁起・2

1月23日(土)

影隠し地蔵縁起 第2回

   ~風は見ていた~

プロローグ・2

 頂上で充分休んでから、慎くんは山を降りはじめました。鼻歌でも歌いたい気分です。でも、山道を歩きながらうたうと、息が切れるので、小さい声で少しだけ歌いました。

 さっきから小鳥が1羽、慎くんの前にいます。慎くんが近づくと、ちょっと飛び立って、10㍍くらい前に止まるのです。そんなことをずっとくり返していて、まるで慎くんの道案内をしているようです。しばらくは小鳥のあとをついて歩きました。

 それからどのくらい歩いたでしょうか。慎くんは随分長い間、山を降り続けていることに気がつきました。これだけ歩けば、とうに麓に着いているはずです。どこかで道を間違えたのかもしれません。さっきまでいた小鳥も、いつの間にか見えなくなりました。何だか不安になってきました。

 でも、道を間違えたにしても、こんなに降りが続いたのだから、幾ら何でも、もう麓は近いはずです。そう思いながら歩いていると、うっかり気の根っこにつまずいて、慎くんは転んでしまいました。

 その時です。さっと風が吹いて、声が聞こえました。

「慎くん、良くここまで降りてきたね。君は千年以上も昔まで降りてきたんだよ」

「え? 誰? 誰か居るの? 千年以上昔って何のこと?」

「誰も居ないさ。私は風さ。誰にも姿は見えないよ」

「風? 風が話すの?」

「そうさ、私は風さ。二瘤山の麓を巡っている風さ。そして君も今、風になったんだ。さっき転んだときにね」

「ぼくが風になった?」

「そうだよ。だから、君の姿はもう誰にも見えやしない。この村の外れにはお地蔵さんが立って居るんだ。そのお地蔵さんにまつわる話を、君に見てもらおうと思ってるんだ。だから風になってもらったんだ。これから千年で、何が起こるかぜひ見てくれたまえ。ほら、すぐ下に川が見えるだろう? 川の向こうに原っぱが見えるよね。そしてそこに、何人も人が集まっているよね。まず、あそこから見てもらおうか」

                   続く

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羽後町のあきたこまち

1月23日(土)

正月に梅里の継母に年賀に行き、デジカメで、継母と義妹の写真を撮った。その写真を送ってくれと言われていたが、昨日、今日、写真を見ながら水彩画を描く。ブログには載せません。その水彩画と何枚かの写真を持って、明日、梅里に行くつもり。

歩く会で、2月には横浜三渓園に行こうと思っている。パソコンでその情報を探す。地図などもね。

三渓園と、本牧のいくつかの公園を組み合わせれば、ちょうど良い行程になりそうだ。今の私にはパソコンからの情報しかないが、三渓園は確かに魅力のある公園のようです。

ベルクで米を買う。普段は別のスーパーで買い物をするのだが、米だけはベルクである。理由は、秋田県羽後町産のあきたこまちを売っているから。羽後町とは、私の生まれた町です。頼まれたわけではないのに、故郷に義理を立てて居るんです。ばかだねえ。

私の生まれたところは、当時は村でしたけれどね。西馬音内町(これでニシモナイマチと読むんです)に吸収合併されて、羽後町になりました。知る人ぞ知る、盆踊りの無形文化財のある町です。そして雪の深いところ。

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2010年1月22日 (金)

影隠し地蔵縁起・1

1月22日(金)

影隠し地蔵縁起 第1回

   ~風は見ていた~

プロローグ

Tati0011

 慎君は初めて、二瘤山に1人でハイキングに来ました。二瘤山は、慎君の家から電車で3つほど離れた駅の近くにあります。お父さんに何度も連れて行ったもらっているので、1人で行きたいと言ったときに、誰も反対しませんでした。お母さんは、大きめのお握りを2個作って、水筒やゆで卵と一緒に、リュックに詰めてくれました。お父さんは、

「気をつけて、頑張って行ってくるんだよ」

 といいました。だから慎くんは、大張り切りで蓋瘤山に来たのです。

 二瘤山の頂上は二つに分かれていて、それが山のたん瘤のように見えます。慎くんは、その両方に登りました。疲れたけれど、頑張ったのです。二つ目のたん瘤の上で食べたお握りのおいしさといったら、本当に、これまで食べたお握りの中で、1番おいしかったのです。もしお母さんが、お握りを3個作ってくれたら、きっと3個とも食べたに違いありません。

 お天気は良いし、汗をかいている体にちょうど良いくらいの穏やかな風が吹いているし、慎くんはとても幸せな気持ちでした。思わず、

「ハッピーだぜ」

 と言ってしまったほどです。

                      続く

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人物練習帳7・8

1月22日(金)

水彩画の会。しかし絵は描きかけなので、人物練習帳7・8です。

Photo

Tati0010 

以前書いたと思いますが、私は朝起き抜けに、布団に座ったままで、いくつかの行為をします。

まず、インスタントコーヒーを飲む。妻が亡くなってから11年間続けています。こんなことをしていれば、おっちょこちょいの私のことだから、いつかコーヒーを布団にこぼすのではないかと心配したのですが、いまだにそんなことはありません。

次に新聞を読みます。ほとんど見出しだけで、気になる記事だけ、本文を読みます。新聞の記事は、このブログを書く前にインターネットでもチェックします。ですから、朝、隅から隅まで目を通すなんて事はしません。

その次が、数独だったり、人物の練習だったりします。数独は毎日欠かさずやりますが、人物練習の方は、続けて毎日やったり、長く休んだり、というのが実状です。やるときは、新聞や、広告の写真を見て模写します。

ですから、布団から抜け出さず、ぐずぐずしている時間は、結構長い。インスタントコーヒーは、2杯くらい飲むことも多いです。

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2010年1月21日 (木)

補聴器

1月21日(木)

このところ、耳が遠くなったという実感がある。補聴器を付ける時期かと悩みもする。相対で話しをしているときは、それほど不便を感じていない。会議などの時に不便を感じるのである。あるいはグループで話しているときに、うまく話しに入っていけない。

私はおしゃべりだけれども、聞こえが悪いための、老人性寡黙というのもあるなあ、と思う。喋るのが面倒くさい、というのが、本当の老人性寡黙かもしれないけれどね。

老人性寡黙というのは、私の造語です。まあ、こういう言葉、あるかもしれないとは思います。

そんなわけで、暮れに耳鼻科で耳の検査を受け、今日補聴器関係の人に会う。そこで説明を受け、耳に逢わせて調整してもらった補聴器を、1週間借りて、テストをすることに。

でも、どうしても補聴器が耳の穴にぴたり入らないんです。係の人が押し込んでくれたときは良いのですが、自分ではどうしても、きちんと入れることが出来ません。娘の家に行ったときも試しましたし、自宅でも試しました。

駄目ですね。聞こえが良いか悪いかという前に、耳にうまく入らないのだから。こんなに面倒なら、補聴器無しでもいいや、という感じ。どうしても必要という時になったらあらためて考えるというところかな。

耳鼻科のあとは、娘の家へ。買い物や炊事のためです。赤ちゃんはまだ泣くだけ。娘はもう元気で、明日からは、娘が必要と感じたときだけ行くことにしました。丈夫で、くよくよしない娘なので、私もなんとなく安心できます。

私の料理は、結構評判が良かったようです。ボリュームも多いと言うことでしたがね。若いんだもの、沢山食べなきゃあ。爺だって、大食らいだよ。

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2010年1月20日 (水)

道灌めぐりコース

1月20日(水)

越生の道灌めぐりコースというのを歩いた見た。

結論から言えば、龍穏寺と山吹の里は見る価値があると思ったが、他は、まあ、どうでもいいですね。山吹の里というのも、無理に作ったもので、史跡ではないと思いましたがね。ただ、越生の町の田園風景、これは文句なしにすばらしい。

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こんな風景画、当たり前のようにあるのだ。美しい里である。

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売地を自由に持って行けとは驚きです。本当は、パンフレットのことなんですね。一瞬考え込んじゃった。

先日の歩く会で行った、表参道だったかの、「ボディ・ショップ」という店にもびっくりしたけどね。まさか体を売る店ではないんでしょう? 風呂の石けんとか、下着を売る店なんだってね。

Imgp2859 代官屋敷。古びてますが、屋根がトタンだし、下にコンクリートがあったりで、もとのまま復元したものとも違います。

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太田道灌ゆかりの、龍穏寺入り口。ここは立派なお寺です。ここから帰りのバス停に向けて、渓流の脇の道。

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私の好きな廃屋も。

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2010年1月19日 (火)

赤ちゃんはマイペース

1月19日(火)

娘の家でぶり大根を作りました。いまごろ、娘夫婦は「うまい」とか「不味い」とか言いながら食べているころかな。

娘は「このところ寝付きが悪い」と言っていた。暢気な娘でも、夜昼の区別がない赤ちゃん相手では、生活のリズムが狂うんだろうなあ。しばらくは赤ん坊のペースに合わせなくてはならない。赤ちゃんはマイペースだ。

私も何だかペースが狂って、今日のブログはこれでおしまい。長いばかりが能じゃない、なんてね。捨てぜりふです。

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2010年1月18日 (月)

畑打ち

1月18日(月)

精障者作業所Mへ。 

Mで借りている畑の土の天地替え。畑の土も、1年に1度くらいは天地替えをする方がよい。冬は畑を休ませているところが多いので、その1部を天地替えした。鍬で表面の土を引っかき回すのではなく、シャベルを深く突き立てて、下の土と上の土を入れ替えるのである。農家ならば、今は機械でやる。われわれは狭い畑なので、手を使う。畠仕事の中では、もっとも疲れるものです。

  畑打って酔えるがごとき疲れかな

                竹下しずの女

  畑打てば雀も畑に冬日和

                ぼんくらカエル

並べると、その差は歴然。やっぱり、しずの女さんはすごいや。第1,ぼんくらカエルの句は、句自体が説明になっている。それでもまだ説明を付けないと分からないよね。畑打ちをすると、土の中の虫が掘り起こされる。それを狙って、小鳥が来たりするのです。説明に次ぐ説明、詩じゃないね、あーあ。

畑打ちは春の季語なので、竹下しずの女の句は春。ぼんくらカエルのは、冬の句ですが、春の季語が入っています。こういうのを徹底的に嫌う人も多いのですが、私は気にしません。

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2010年1月17日 (日)

歩く会

1月17日(日)

Hさんの案内で、原宿から根津美術館、恵比寿ガーデンプレイス、東京都庭園美術館、目黒駅、までを歩きました。12名参加・・・だったかな。もう正確な数字は忘れてしまった。惚けもここまで進みました。

Tati0009当然の事ながら、美術館内は写真撮影禁止。根津美術館の仏像を、クロッキーで描いてみました。

 Imgp2802

根津美術館は広い庭園があるが、池の中の屋形船もどきを載せる私も、あまりセンスがないかなあ。何だか珍しいと思ったものですからね。

岡本太郎記念館の脇を通りました。

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恵比寿ガーデンプレイスで昼食。

Imgp2817_2 久しぶりに黒ビールを飲みました。

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東京都庭園美術館へ。イタリア印象派の絵を展示。

Tati0010

パンフレットの絵です。いい絵ですね。フランチェスコ・ジョリーという人の絵だそうです。

帰りの電車内でNさん、

「今日は良い夕焼けになりそう・・・」

その通りでした。帰宅時のわが家のベランダから、

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右側の、らくだのこぶのような山は奥多摩の大岳山です。

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2010年1月16日 (土)

富士

1月16日(土)

つばさ、踏青、合同新年句会。

Imgp2795  

句会の中味はまあいいでしょう。私はいつもの通り参加賞を戴きました。

句会へ出かける道で見た富士です。我が狭山市にも、富士見町やら富士見橋なんていうのがあります。関東地方のあちこちに、富士見坂とか富士見野とか言うのがるわけで、昔はあちこちに、富士を見る名所があったんでしょうね。日本人がそれだけ、富士を愛していたと言うことでもあります。

山歩きをしていても、急に富士の見える稜線などにたどりつくと、思わず歓声を上げたりします。富士がよく見えるような日の山歩きは、それだけで楽しいのです。

  富士現れて景立ち上がる山の旅

              ぼんくらカエル

「現れて」は「あれて」と読みます。「山の旅」は夏の季語。だから今紹介するのは季節外れ。

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2010年1月15日 (金)

所沢の路地で

1月15日(金)

次女の家の手伝いに行った、赤ちゃんの声がいくらか大きくなったように思ったけれども、本当はどうか。そうなったと思いたい私です。

帰り、所沢の路地を歩く。駅のすぐ近くでも、所沢は、曲がりくねった細い路地がありますね。

Imgp2793

いかにも路地裏らしいこんな家もありました。野球の西武球場があるので、近ごろ少しは知られるようになったけれども、田舎町です。

私は近代的な立派なビルや施設を見るより、うらぶれた路地や、ぺんぺん草が生えるようなわらぶき屋根を見たりする方が好き。小沢一郎さんのように、自信満々な人に接するよりは、うだつの上がらない、しょぼくれた市井の人が好き。悲しさを知っている人が好き。

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2010年1月14日 (木)

かまくら伝説・11

1月14日(木)

かまくら伝説 第11回(最終回)

Tati0009

かまくらと鎌倉

 気がつくと、慎くんは大きなカシの木の下に立っていました。隣には、雪帽子を被ったあの不思議な少年がいます。

「慎くん、よんじゃめぐり、の意味は分かっただろう?」

「うん、用心めぐり、だよね」

「かまくら、の意味はどうだい?」

「それは分からない」

「分からないかなあ。今ほこらの中にいるのは、源氏の武将たちだよね。その源氏は、のちに鎌倉を本拠地にしたんだよ。だから源氏が使ったような雪のほこらを、かまくら、って言うようになったのさ」

「ふーん、そうだったの・・・ところで、君は誰なの?」

「ぼくかい。誰でも良いじゃないか。そんなことより、君はお父さんのところへ帰らなっくちゃいけない」

 激しい雪の中で、慎くんは少しからだが浮き上がったように思いました。その時、雪のほこらを廻る道太が見えました。そして不思議な少年が、道太に吸い込まれていくのを、見たように思いました。

・・・

 雪が降ります。あたり一面を白いもやにして、雪が降りつのります。

「やあ、遅くなってごめんよ」

 ふいにお父さんの声がします。振り返ると、お父さんがかまくらから出てきたところです。

「いやあ、子どもたちに、もう1杯どうぞなんて言われて、つい甘酒を2杯も飲んじゃった。待ちどうしかっただろう」

「お父さんごめんなさい。長い間いなくなったりして・・・」

「え?」

「ぼく、道太の中に入っていたんだ」

「ドウタ? なんだい、ドウタって?」

「雪蓑を着た子供が来てね・・・」

「雪蓑だって? 昔はそんな子供もいたけれど、今はいないよ。まるで夢を見ているようじゃないか」

 慎くんはまわりを見まわしました。まわりの景色も人も、慎くんが不思議な少年と会う前と同じです。ほんとうに夢を見ていたのでしょうか、それも、おとうさんが、たった2杯の甘酒を飲む間に・・・。

 慎くんが不思議に思っていると、遠くから歌声が聞こえました。道太の声です。慎くんは目を輝かせて言いました。

「お父さん、ほら、道太がうたっているよ」

「うた? 聞こえないねえ」

 お父さんは首を傾けて言いました。でも慎くんには、かすかに、しかしはっきりと、道太の歌が聞こえるのです。

  用心めぐり

  用心めぐり

  寒鍋かけろ

  辛い酒かけるな

  甘酒かけろ

  餅を焼け

  ホーイ ホーイ

・・・

 しんしんと雪が降ります。その雪の下で、横手市はかまくら祭りの賑わいです

               終わり

きっっっっk

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奥州藤原三代の祖

1月14日(木)

ボラグループ定例会、新年会。

普通の会議ののち、場所を変えて食事会。お酒も少し。

柳田国男の「遠野物語」を読んでいる。

安倍貞任とか八幡太郎などという名前が出てきたのに、少しびっくり。土地の歴史を遡るならば、出てきて当然の名前ではある。びっくりしたのは、今私がブログに載せている「かまくら伝説」(今日最終回の予定)に関係があるからだ。

八幡太郎というのは源義家のことである。ただし、ここに書きたいのは、貞任の方である。

前九年の役(1051-1052年)というのがあって、源頼義、義家親子が安倍氏と戦った。

安倍貞任は安倍頼時の子供で、頼時が戦死したのちも弟たち(宗任、家任)、義理の兄(藤原経清・フジワラツネキヨ)と共に、協力に戦ったのである。

その時、源氏を救ったのが、清原氏(清原武則)であった。

その後、後三年の役(1083-1087年)があり、今度は源氏と清原氏の戦いになった。私の「かまくら伝説」はこの後三年の役を舞台にしている。

もう少し裏話をすれば、安倍頼時の娘と結婚して、貞任と共に戦ったのが、藤原経清である。頼時の娘は美人だったと思われる。経清の子、清衡を連れて敵の大将、清原武則と再婚する。清衡は、清原氏の子として育つが、清原の血は入っていない。

のちに清原氏が内紛を起こす。清原氏の家系は複雑で、私も深く理解しているわけではないが、源氏はその内紛に関与して、清衡を助けるのである。

内紛に勝ち残った清衡は、藤原姓に復し、奥州藤原三代の祖となった。

安倍貞任と清原経清は死罪になるが、安倍宗任、家任は九州に流される。のちに瀬戸内海で活躍した水軍(海賊)の祖は安倍宗任だと信じられていた。

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2010年1月13日 (水)

かまくら伝説・10

1月13日(水)

かまくら伝説 第10回

 道太が見回りをはじめると、父の道行がやってきて、声をかけた。

「道太、おまえが傷の手当てを受けたという娘のことだが、娘の霊魂だったかもしれないね」

「霊魂? それはなぜですか」

「生きている娘だとしたら、不思議すぎるじゃないか。ほこらにときは、声だけ聞こえて姿は見えなかったのだろう。まわりに家がないのに、温かい芋がゆを運んできたというのも変だ。それに、ほこらを出たら、何もかも消えてしまったと言うではないか。結局おまえは、ほこらの中でしか娘を見ていないのだ。しかも、そのほこらも、本当は見えないほこらだ」

「・・・」

「霊魂だったのだよ。この前のいくさでは、裏山のあたりで討たれた娘がいるそうだ。裏山のふもとまで逃げた者がいて、だれか人影が見えたので、敵かと思って槍で突いたそうだ。ところが、倒れたのは女の子だったらしい。それが、おまえの言っている、しずという娘ではないかと思うのだ」

「・・・」

 道太は、石を飲み込んだような、思い気持ちになった。そう言えば、思い当たることばかりだ。雪のほこらのしずと、蛍をつかまえていたしずとでは、まるで別人のようだった。妙に大人びていたし、顔の色も透き通るほど白かったのだ。

「一体誰が、しずを殺したのです?」

「それを聞いてどうする。今さらどうにもならないことではないか」

 道太は、体中の力が抜けていくような気がした。

「そんなに気を落とすな。いくさというものは、まわりの人間を巻き込むことがあるものさ。あまり考えずに、見張りをやりなさい。それが、今のおまえの仕事なのだ」

 道行は道太の肩を叩いて、ほこらの中に入った。

 しきりに、喉が渇く。道太は、足元の雪を一掴み、口の中に押し込んだ。

 降りしきる雪の向こうに、、ぼんやりと、しずの姿が浮かび上がる。しずのまわりの雪が、茜色に変わり、赤や黄や紫に変わった。蛍だ! 降る雪がすべて、蛍に変わった。

「あは、あははは、あははは」

 初めてしずにあったときの明るい声がして、しずが蛍を追っている。

「しず・・・」

 思わず道太が呼びかけると、

「私はもっと痛かったの、私は治らなかったの」

 という声がして、しずも蛍も消えてしまった。

 道太は我に返って、もう1度雪を飲み込んだ。何度雪を飲み込んでも、喉の渇きはとれない。道太は初めて、心の底から戦を憎んだ。

・・・

 雪のほこらからは、甘酒を酌み交わす武将たちの、ざわめきが聞こえてくる。道太は雪のほこらを回り始めた。しずの幻を振り払うように、道太はうたう。

  用心めぐり

  用心めぐり

  寒鍋かけろ

  辛い酒かけるな

  甘酒かけろ

  餅を焼け

  ホーイ ホーイ

 雪は降り続き、夜は更ける。雪のほこらのざわめきは消え、武将たちも眠りの落ちた。道太の歌声だけが、いつまでも響いていた。

               続く

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困っちゃうな

1月13日(水)

今日は、タイトルで困っちゃいました。タイトル付けるような、中味がないんです。

でも、この1行を書くために、もう一つ困りました。「困っちゃいました」と書いたけれど、「コマッチャイマシタ」と入力して変換すると、「困」という字は出てこないんです。だから「困る」と入力して変換し「る」を消すんです。パソコンでワープロをやっている人は、似たようなことをみんな経験していますよね。

なぜか知らないけれど、私の場合、原稿を書くときは、もう少し上品な言葉を使うのだけれど、パソコンになると、少し砕けた言葉を使いたくなる。ここでヤジが入りそうだ。「おまえが上品な言葉を使えるわけがないだろう」ってね。まあ、そうだけど、原稿を書くときは、普通の言葉を使うということだよ。こう書くと、年中原稿を書いているようだけれど、本当は、原稿なんて、めったに書かないよ。書くとしたらの話だ。

最初の1行を書いたときは、話しがこんな風になるとは思っていなかった。「コマッチャイマシタ」と入力して、変換に苦労したので、こんな話しになりました。つまり、私がブログを書き始めるときは、話がどっちへ飛ぶか分からないのに、取りあえず書きだしてしまう、なんてこともあるのです。

次女の家の買い物をし、食事を作り、早めに帰りました。赤ちゃんは、ときどき泣いたりしますが、ほとんど寝ているばかり。

帰りに航空公園に寄ってみました。次女の家から歩いていけるところにあります。日本庭園では、蝋梅の盛り。写真も撮ったけれど、このところ何回か蝋梅の写真を載せているからねえ、今回はやめておきます。

赤ちゃんも、産婦も、よく寝ます。

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2010年1月12日 (火)

かまくら伝説・9

1月12日(火)

かまくら伝説 第9回

雪の陣

 雪が降る。昨日も今日も、しんしんと雪は降り続く。

 義家軍は、陣を立て直さなければならない。武将たちはバラバラになって、あちこちの農家の納屋などにひそんでいる。道太は連絡係だ。戦に嫌気がさした武将には、道行が説得に行った。だが義家軍は、こんな雪の中で、一体どんな陣を作ろうというのだろうか。

 義家は武将たちに、雪のほこらを作らせた。雪を積み上げて横から穴を掘り、3,4人が中に座ったり、横になったり出来るほどの、雪の家を作るのだ。中に藁を敷き、むしろで入り口を塞げば、中は思ったより暖かい。道太が雪のほこらで過ごしたことを、父の道行に話したので、道行が思いついたに違いない。雪原にいくつもの雪のほこらを作って、義家軍の陣ができあがった。

 雪の陣が完成した晩、義家は武将たちに、餅と甘酒を配り、遅れの正月を祝った。武将たちは雪の下から掘り出した石や土などで、ほこらの中に囲炉裏を作り、その囲炉裏で餅を焼き、甘酒を温めて暖を取るのだ。武将たちの弓や槍は、ほこらの外の雪にさして、立ててあった。

 道太は、雪の陣の見張りをするように命じられた。

 一人の武将が言った。

「見張りの間は歌をうたえ。歌が聞こえている間は、何事もなく見張っているのだと分かる。歌がとぎれたら、何かが起こったのだと分かる。だから、歌をうたえ」

                  続く

 

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赤ちゃんの掌

1月12日(火)

精障者授産施設へ。

かすみがわ食堂と小規模作業所Cの庖丁を研ぐ。

乗り物で行く場合、バスを乗り継ぎ、往復で700円かかる。好きで行くのだから良いのだけれど、貧乏人のボランティアに出費700円は痛い(山行や飲み会なら、絶対そうは思わないのだが)から、今日は歩いていくことにした。なーんてね。本当は歩くのが好きなんだよ。

家を出るときは曇りだったが、歩き出すとすぐに雪になった。それでも、急いで歩いて55分。体がぽかぽかしてくる。ジャンパーの前を開けて歩いた。

かすみがわ食堂で食事。唐揚げ定食、みそ汁が付いて400円は安いね。

帰りはこぶし福祉会理事長の車で送ってもらう。理事長、暇だったのかな? 送ってもらって、そんなことを言っちゃあ悪いか。

いつか書いたかも知れないが、赤ちゃんの掌は、昔は握って生まれてきた。今は手をひらいて生まれてくる。この変化はいつ頃からなのかは知らないが、私が生きている間に変わったことは確かだ。人間が、生物学的に、今でも進歩をしている証拠かもしれないのだ。

鳥は、生まれてはじめて見た動くものを、自分の親と思うらしい。脳の中に、そのように刷り込まれて生まれてくるのですね。ときどき間違いも起きるけれど、そのように刷り込まれている方が、生きていくのに都合が良いのでしょう。

馬は、生まれてすぐ、立つことが出来ます。やはり、生きていくのに都合が良いからでしょう。

猿は、生まれてすぐに、母親の胸毛を握って、親の行くところに運ばれていきます。握る力が必要なのです。

猿の仲間だった人間も、生まれてすぐ、握る力があったのですが、やっと解放されました。

人間はなんにもできずに生まれてきます。親を見分けることも、歩くことも、握ることも、学習して覚えます。パソコン用語で言うなら、初期化して生まれてくるんですね。何も刷り込まれていない状態で生まれる方が、学習して覚える応用範囲が広いわけです。だから、手を開いて生まれる方が、握って生まれるよりも進歩だと、私は思います。

人間は初期化して生まれると書いたけれども、完全に初期化しているわけではありません。たとえば、おっぱいを吸う能力を持って生まれます。何かを訴えるときには泣きます。呼吸だってするし、そのほかいろいろありますね。

と、まあ、私は考えるわけです。

ともあれ、ブログなどというものは、私程度のものが、想像半分で書いている場合もあるし、その道の権威が自信を持って書いている場合もあります。何を信じるかは、読む方で判断しなければなりません。

もっとも、その道の権威が言うことでも、ときには間違いがあるものです。そのことについては、いずれ書く機会があるかも知れません。

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2010年1月11日 (月)

かまくら伝説・8

1月11日(月)

かまくら伝説 第8回

のほこら・

 どれほどの時間がたったのだろうか。太ももの痛さで、道太は目を覚ました。だれかが傷の手当てをしている。どこかで見たことのある少女だ。

「しず・・・しずだね。助けてくれたのか?」

 しずは透き通るほど白い顔をしたいた。しずは道太の傷口を荒い、貝殻に入れた薬を塗り、布きれで包帯をした。そしてつぶやくように言った。

「痛いでしょう? 痛いでしょうね。私はもっと痛かったの・・・」

 傷の手当てが終わると、しずは1度外へ出て、すぐに、木の椀を両手に抱えて戻ってきた。温かい芋がゆだった。道太はその芋がゆを食べると、再び眠りに落ちていった。

 ・・・

 外からの話し声で、道太は目を覚ました。

「今度の戦いで、義家軍はさんざんにやられたらしい。これで戦が終わるといいね」

「いや、終わらないだろう。義家さまはご無事らしい。清原軍も疲れ切っていてるので、追い打ちをする力はないということだ」

「それでは、この戦は、一体どうなるんだろう?」

「そうさねえ・・・もとはといえば、義家さまが清原氏の内輪もめに手を出したからだが・・・」

「義家さまは、ずっと前に、清原氏に助けてもらったことがあるんだってね」

「そうなんだ。義家さまの父の源頼義さまと安倍氏の戦のとき、清原氏に助けてもらったんだ。今度はその清原氏を討とうというのだからね、清原軍では、義家さまを、恩知らずといっているそうだよ」

「それにしても、こんな戦は早く終わってもらいたいね。われわれ百姓には迷惑なばかりだ」

「全くだ。この前など、敵と間違えられて、殺された娘がいるんだ」

「殺したのは、義家軍かい、それとも清原軍かい?」

「それは分からない。だけど、どっちにしても、私たちには同じことさ」

「全くだ」

「こんなところで立ち話をしていると、私たちもどちらかの敵と思われるかもしれない。早く帰ろう」

「そうしよう。くわばら、くわばら」

 外は、それっきり静かになった。道太はこれまで、義家さまのすることは、すべて正しいのだと思っていた。義家さまを、恩知らずなどという人がいるとは、信じられないことだった。

 しずがまた芋がゆを持ってきた。芋がゆを食べると、不思議に足の痛みが引き、道太は急に元気が出てきた。疲れもすっかり取れている。

「道太さまはもう歩けますね。だけど、私は治らなかったの」

「え? しずも怪我をしたのか?」

 しずはそれには答えず、黙って顔を伏せた。その顔は透明に近く、雪よりも青白く見えた。

 しずが出ていった後で、道太も外へ出た。外は静かな雪である。近くにしずの家があるはずだと思って見まわしたが、それらしい家はなく、あたりは白一色の雪の原である。不思議に思って振り返ると、さっきまで入っていた雪のほこらが消えている。まるで狐に化かされているようで、道太はしばらく、ぽかんとその場に立ちつくした。

                 続く

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次女退院

1月11日(月)

次女、退院。

赤ちゃんは次女の家の特等席に、小さなベッドを置いて、寝かされた。しばらくそこが、彼の世界。

明日、次女の友達が、沐浴の仕方を教えるために来てくれる。去年出産した仲の良い友達が、たまたま近くにいたのである。

次女はのんびりした娘なので、そんなにぴりぴりしていない。そこが良いのだろう。私がいたうちは、赤ちゃんはよく寝ていたが、今頃は泣いているかな、などと、爺さんの方がやきもきしたりして・・・。

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2010年1月10日 (日)

かまくら伝説・七

1月10日(日)

かまくら伝説 第7回

雪のほこら

 戦は勝ったり負けたりのくり返しで、本当の勝負が付かないまま、また冬がやってきた。

 あと2,3日で正月という日、大きな戦いがあり、義家軍の陣は破られてしまった。味方は、ちりじりになって逃げた。父の道行が道太に言った。

「わしは義家さまをお守りする。おまえは一人で逃げよ。武士の子ならば、自分力で逃げのびよ」

 道太は裏山をめざして逃げた。雪に足を取られながら懸命に逃げた。どのあたりまで逃げたときだったか、太ももを濡れた筆でなでられるような感触がして、目の前の雪に、流れ矢が突き刺さった。 

Tati0009_2  なおも道太は夢中で逃げた。いつの間にか夏の日に、しずと会った裏山のふもとを通りすぎていた。小川はすっかり雪に埋もれている。左足の、腿のあたりがこわばってきた。そっと手を当ててみると、着ているものを通して、掌に血が付いてくる。さっきの流れ矢でやられたらしい。夢中で走っていたために、怪我に気がつかなかったのである。

「なあに、かすり傷だ」

 道太は、自分に言い聞かせながら、なおも逃げた

 どのくらい逃げたのだろうか。夜が近くなってきた。道太は疲れ切って、雪の上に何度も倒れ、そのつど起き上がって、のろのろと歩き出すのだった。今度倒れたら、もう起き上がれないかもしれない。棒のような足には、雪の冷たさも感じられなくなっていた。左ももの傷だけが、生きている証拠のようにうずく。しかしそれも、痛いのか痛くないのか、良く分からないようになった。頭はもやがかかったようで、何も考えることが出来ない。

「道太様」

 ふいに、だれかの声がする。道太は振り返ったが、誰も見えない。まぼろしの声を聞いたのだと、道太は思った。

「道太様」

 また声が聞こえる。しかし、やはり誰もいないのである。自分は死ぬのかもしれない、だから、まぼろしの声が聞こえるのだ、と道太は思った。

「道太様」

 なおも声が聞こえる。死ぬものならば死んでもかまわない、声のする方に行ってみよう、と道太は思った。のろのろと歩いて行くと、目の前に雪のほこらが現れた。道太はそのほこらに入った。ほこらの中は意外に広く、下には、厚くわらが敷かれている。道太はその藁の上に倒れこみ、深い眠りに落ちていった。

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山の会の新年会

1月10日(日)

山の会、山行。

山行といっても、新年会をやるための山行。

毛呂駅下車、鎌北湖、北向き地蔵を経て啓明荘へ。

このところ毎年、啓明荘で新年会をやっている。啓明荘は西武線武蔵横手駅から山道(とは言っても、車が走れる)を小時間登ったところにある。さまざまな団体に餅つきなどをさせるのが呼び物の、民宿とでも言うのだろうか。餅つきをして、ついた餅や鍋物などを食べさせている。大変安い。飲み物、おつまみなどの持ち込みOKというのも良い。

今日の花

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蝋梅です。下は、蝋梅の根本に咲いていた福寿草。

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下山中の滝(五常の滝)

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毛呂で見た珍しい景色 Imgp2767_2

太い丸太を立てて、その上に半鐘が釣ってありました。火の見櫓の捩り。工務店の遊び心。

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2010年1月 9日 (土)

かまくら伝説・6

1月9日(土)

かまくら伝説 第6回

蛍の少女・2

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「あは、あははは、あははは」

 嬉しくて仕方がないというような少女の笑い声で、道太は目を覚ました。見ると川の向こう岸で、7,8歳くらいの女の子が、夕焼け雲を追いかけて言う。いや、夕焼け雲と思ったのは、蛍である。あたり一面が蛍の海だ。少女は、蛍を捕まえては、竹の籠に入れている。貧しい身なりだが、目のきれいな、可愛い少女だ。そばに、姉らしい人もいる。

 道太はゆっくりと体を起こした。

「あっ」

 道太に気づいて、姉は1歩下がった。

「あっ」

 道太に気づいて、妹は1歩前へ出た。

「こんばんは」

 道太が声をかけると、妹は川の縁まで駆けてきて、道太がしているように岸に座り、流れに足を入れた。姉が困っているのに気にもとめず、道太と顔を合わせると、にっこりと笑う。道太もつられて笑い、話しかけた。

「どこに住んでいるの?」

「うん。あっち」

 少女は、川上の方を指さした。

「名前は?」

「しず・・・しずです」

「しずか、良い名前だ」

 大人ならきっとそう言うだろうと思って、道太は名前を褒めた。

「うん、良い名前でしょう」 

 少女が答える。姉が少女のところへ来て道太にお辞儀をした。そして、少女の袖を引き、

「さあ、帰りましょう」

 と、しずをうながした。しずはそれにかまわず、

「お武家様はなんて言うの?」

 と聞く。

「原島道太だよ」

「ふうん。は、ら、し、ま、どう、た、なの」

「原島道太様と言いなさい」

 姉がしづの手を引いて立ち上がらせた。

「さよなら」

 しずが言った。

「さよなら」

 道太も言った。しずの姉がもう一度、道太にお辞儀をして、しずの手を引いて帰っていった。蛍の海の中でしずが振り返り、

「原島道太様」

 といって手を振る。道太は、立ち上がって二人をみおくった。

                 続く

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赤ちゃんって小さい

1月9日(土)

次女の入院先に行きました。赤ちゃんに始めて対面。あらためてその小ささに感じ入ってしまう。そうだったねえ、赤ちゃんって小さいんだ。

長女も次女も、生まれたばかりのころは、座布団に寝かせたりしたのを思い出す。

次女は沐浴の仕方を今日習ったらしい。看護婦さんが沐浴させながら説明するのを見た、聞いた、と言うことで、自分でやりながら手ほどきを受けたというのではないようだ。そのため、自信がないらしい。私も、二人の子供を沐浴させたから、出来るとは思うけれども、実際にやるとなると、少し怖い気がする。とにかくこんなに小さくては、すぐに壊れそうだものね。

月曜日に退院の予定。名前はKと決まった。

私の子供の場合は、迷いに迷って、退院まで決まらなかった。看護婦さんに、自分の子供なのだから、早く決めてくださいと言われたっけ。

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2010年1月 8日 (金)

かまくら伝説・5

1月8日(金)

かまくら伝説 第5回

蛍の少女

 いくさはもう何年も続いている。源義家が東北地方の長官として京都からやってきたとき、原島道太は父の道行と共に、義家に従ってやってきた。そのころ8歳だった道太も、今は12歳だ。いくさは、義家がこの地について、間もなく始まった。道太は、京都のことはもう思い出すこともない。生まれたときから、すうっといくさをしているような気さえする。

 清原家衡の軍は強力だった。何年も戦って、義家軍は、家衡の立てこもっていた沼柵(ヌマノキ)を落としたが、家衡は落ちのびて、金沢柵(カネザワノキ)に入って、抵抗を続けている。慎くんが道太を見かけたのは、義家軍が清原軍を追って、金沢柵に向かっていたときである。

 慎くんが道太の心に入ってから半年が過ぎ、今はもう夏である。あいかわらず家衡は、太い柱を隙間なく並べて城のようにした、金沢柵に立てこもっている。義家軍は、どうしても金沢柵を落とすことが出来ないのだ。

 ここ何日、うだるような暑さが続き、両軍に目立った動きはない。ある夕方、道太は陣の裏山の方に行ってみた。せせらぎの音をたよりに、夏草をかき分けて進むと、両岸に青草の生い茂った小川にでた。道太は岸に座り、両足を流れに入れて、あおむけに寝ころんだ。

 夕焼けである。茜色の雲が空いっぱいに広がっている。雲の色が、見る間に変化していく。夕焼けの輝きを全身に受けながら、道太は目をつむった。まぶたの裏にまで、夕焼けの暖かな色が伝わってくるようだ。体の芯まで、夕焼けに染まっていくようである。日中の暑い盛りは静かだった小鳥たちも、しきりにさえづっている。

 やがて、夕焼けの雲の動きがはげしくなった。あかね色の雲がちぎれて、ちぎれたくもがまたちぎれて、ちぎれて、ちぎれて、小さな綿くずのようになって、赤や紫の色のまま、ふわりふわりと舞い降りてくる。道太の上にも、裏山の森の上にも、義家軍の陣の方にも、金沢柵の方にも、赤や黄や紫の小さな雲が、たんぽぽの綿毛のように漂いながら、舞い降りてくる。

                   続く

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ベランダから

1月8日(金)

水彩画の会。ただし、見せるべき絵はありません。

変わりに、ベランダから写した夕焼け。

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電線などがなければもっと良いのだけれど・・・。

これが4階からの眺め。 

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2010年1月 7日 (木)

かまくら伝説・3

1月7日(木)

かまくら伝説 第3回

不思議な少年・2

 急の空気が冷たくなったような気がして、慎くんは首をすくめました。ばさりと音がして、小さな雪のかたまりが、足元に落ちました。はっとして見上げると、大きなカシの木が枝を広げています。驚いたことに、慎くんと不思議な少年は、雪原の大きなカシの木の下に立っているのでした。

「ここはどこだろう?」

 慎くんがつぶやくと、

「さっきと同じところさ」

 と少年が答えました。

「なんで? さっきかまくらに入ったのに・・・」

「かまくらのあった場所さ。ただし900年前のね」

「なんだって! 900年も前だって?」

 慎くんはびっくりして辺りを見まわしました。しかしそこは、ただしんしんと雪が降り続く雪原でした。

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「前をよく見てごらん」

 不思議な少年が言います。慎くんが目をこらすと、何か黒いかたまりが、雪原を横切っていきました。なおも目をこらすと、それは鎧かぶとに身をかためた武士でした。ミルク色のもやの中で、影絵のように、左から現れて右に消えて行きます。一人の武士が消えると、次の武士が現れます。

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次の武士が消えると、その次の武士が現れます。みな、弓を持ち、矢を背負っています。中には、馬にまたがる武士もいます。やがて、ひときは立派な武士が現れました。

「戦争なんだよ。ほら、いまそこを通っているのが源義家(ミナモトノヨシイエ)さ」

「源義家って、誰なの?」

「義家を知らないのかい? 源頼朝なら知っているだろう?」

「頼朝ならね。鎌倉幕府を開いた人だよね」

「そうそう。義家はね、頼朝の、お爺さんのお爺さんさ。そのころ、日本で1番強いと云われていた武士なんだ。でも、いま戦っている清原家衡(キヨハラノイエヒラ)もすごく強くて、さすがの義家も苦しんでいるんだ・・・あ、原島道行だ。馬の上で何か考え事をしながら通る武士がいるだろう。あの武士は作戦を立てるのが上手で、義家の相談相手なんだ」

しばらく、誰も現れなくなりました。

「もう終わりらしいね」

「まだだよ。少し遅れて、僕たちくらいの少年が来るはずだ。原島道行きの子供で、道太って言うんだ」

 話しているうちに、眉が太く、気の強そうな少年が現れました。子供のくせに、大きな弓まで持っています。

「あれが道太だ。慎くん、君にはあの少年の心の中に入ってもらうよ」

 霧が深く立ちこめて、不思議な少年の姿が消えました。慎くんは、体ごと、道太の心の中に吸い込まれていきました。

                   続く

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元気でした 

1月7日(木)

昨日出産した次女、元気でした。今日までは母子は別の部屋で寝て、明日から一緒になるのだそうです。出産した日と、次の日は、ゆっくり眠れるわけです。

赤ちゃんには会えませんでした。面会時間が決まっていて、ちょっとそれまでは待てませんでした。

長女が生まれたときのことを思い出します。その産院では、新生児はガラスの部屋に入れられていて、看護婦さんが、ひな壇に寝かされているわが子を見せてくれました。その段の、その位置にいるのが私の子だと思って、参院に行くたびにそこを見て、手を振ったり、笑いかけたりしていました。ところが、退院間際になって、新生児の位置を毎日ずらしていることに気がついたのです。

赤ん坊の顔って、どれがどれだか分からないものです。

遠くに住む長女にも、今日の様子を電話で報告。

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2010年1月 6日 (水)

かまくら伝説・2

1月6日(水)

かまくら伝説 第2回

不思議な少年

 しんしんと雪が降ります。その雪の下で、横手市はかまくら祭りの賑わいです。

 かまくらは大きな雪のほこらです。雪を積み上げて、中をくりぬいて作った雪の家です。中は、大人が立って入れるほどの高さがあります。真ん中に火鉢を置いて、まわりに3,4人の子供が座れるくらいの広さがあります。

 かまくら祭りは、子どもの祭りです。子どもたちはかまくらの中で餅を焼き、甘酒を温めるのです。かまくらの奥には水神様が祭られています。道行く人達は、水神様にお参りをし、甘酒をふるまってもらうのです。

 慎くんはお父さんに連れられて、かまくら見物に来ました。子どもたちに声をかけられて、水神様にお参りをしたところです。お父さんが甘酒を飲んでいるうちに、慎くんは外へ出ました。

 雪が激しくなり、あたりはミルク色の濃いもやに包まれてしまいました。そのもやの中からうきでしたように、一人の少年が現れました。藁の雪帽子を被り、藁の沓を履いています。

「こんばんは。君が慎くんですね。僕のかまくらに来てください」

「え? ぼくは今、お父さんを待っているんだ。だから行けないよ」

「君は『よんじゃめぐり』の意味を知りたいんでしょう? 『かまくら』の意味も知りたいんでしょう? だったら、僕のかまくらに来てください」

 それだけ言うと、少年は慎くんの答えも聞かず、くるりと向きを変え、どんどん歩きだしました。慎くんは見えない糸にひかれるように、その少年に付いていきました。少年はずんずん歩きます。慎くんも、せっせとついて行きました。まわりの景色は、ミルク色のもやの中です。慎くんには少年の後ろ姿しか見えません。少年は、いくらか片足を引きずっているように見えます。

 しばらく歩いて、少年は急に立ち止まりました。

「これが僕のかまくらだよ」

 少年の指さす方を見ると、ミルク色のもやの中から、かまくらがひとつ浮かび上がりました。少年は慎くんをうながして、そのかまくらの入りました。ほかには誰もいません。慎くんが水神様にお参りをすると、少年は甘酒をくれました。その甘酒を飲むと、もやはますます濃くなって、不思議な少年さえも見えなくなりました。

                      続く

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やったぜ、ベイビー  ほりかねの井

1月6日(水)

やったぜ、ベイビー。

次女、男児出産。今、そのニュースに接したばかり。母子とも健康のようだ。私の気分、そわそわ。私にとって、3人目の孫になる。とにかく、そわそわ。

上の文だけ書いて1度アップしたけれど、考えてみれば、私が家でそわそわしたところで何も変わらない。母子ともの健康だそうだから、明日、病院に行きましょう。

散歩をしました。目的もなく家を出て、着いたのは堀兼神社と堀兼の井。

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真ん中に木の棒が幾つか見えるが、そこに井戸がある。地面をすり鉢状に掘って、その底から井戸を掘る形で、「まいまい井戸」というもの。まいまいとは、カタツムリのこと。カタツムリの殻のように、螺旋状にまわりながら降りていく井戸という意味です。

枕草子168段は「井は、ほりかねの井」ではじまる。岩波の「日本古典文学大系」では、ほりかねの井の註に「武蔵の国入間郡堀兼村」とある。現狭山市の堀兼だ。しかし枕草子に出てくる「ほりかねの井」がこの井戸という考えには、疑問を呈する郷土史家が多い。「ほりかねの井」とは「まいまい井戸」のことで、特定の井戸ではないと言う意見もある。

散歩が、堀兼の井に着いてしまったので、今度は「七曲の井」に寄ることに決めて歩き出す。

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これが「七曲の井」周囲70㍍、直径26㍍、深さ11.5㍍。堀兼の井より、こちらの方が古いと思われる。平安時代中期にはあったらしい。だから「七曲の井」こそ、「ほりかねの井」だと考える郷土史家もいる。ここは入曽地区だが、小字が「掘難井」というらしい。

この井戸の隣に不老川が流れている。

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もっとも汚染された川のワースト1として新聞などに紹介されたことのある川である。今では行政や住民の努力で、普通の川になった。この川、元々は乾期になると水のなくなる川だったらしい。不老川と書いて、本当はトシトラズガワと言ったのだそうだ。正月には水が流れないので、歳をとらない(昔は誕生日ではなく、正月に歳をとった)というわけである。だから、川の脇に、川より深い井戸を掘ったものだろう。

堀兼と入曽を回って、今日の散歩は3時間あまり。

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2010年1月 5日 (火)

かまくら伝説・1

1月5日(火)

かまくら伝説 第1回

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よんじゃめぐり

 慎くんはお父さんに連れられて、秋田県の南の端のおばあさんの家に来ています。そこは小さな村で、お父さんのふるさとです。

 雪が慎くんの背の高さよりも、もっと深く積もっています。こんなに深い雪を、慎くんははじめてみました。それが珍しくて、2階の窓際によって、外ばかり見ています。

 雪はしんしんと降っています。あたり一面がミルク色に煙っています。静かです。その静けさを破って、子どもたちの歌声が聞こえてきました。

「お父さん、あの歌聞こえる?」

「うた? うん、そうか。今日は『よんじゃめぐり』だったのか。まだ、あんな行事をやっているんだなあ・・・」

 お父さんは目を細くして、昔を思い出しているようです。

「ねえ、お父さん。『よんじゃめぐり』って何なの?」

「ああ、あれはね、旧暦の1月15日に子どもたちが集まって、村中の家を廻って、鏡餅をもらって歩く行事さ。あとで、みんなでお餅を食べるのが楽しみでねえ・・・」

「ふうん。歌がだんだん近づいてくるね」

 慎くんは窓から首を出して、耳を澄ましました。子どもたちの、元気の良い歌声が近づいてきます。

  ヨンジャメグリ

  ヨンジャメグリ

  カーンナベカケレ

  シッケェサケカケナ

  アマサケカケレ

  モチアブレ

  ホーイ ホーイ

「変な歌だなあ。どういう意味なの?」

 慎くんが聞いたので、お父さんがその意味を紙に書きました。

  よんじゃめぐり

  よんじゃめぐり

  寒鍋かけれ

  しっけぇ酒かけな(辛い酒かけるな)

  甘酒かけれ

  餅あぶれ(餅を焼け)

  ほーい ほーい

「よんじゃめぐりって言うことばの意味は?」

「うーん。よんじゃめぐりのことばの意味ねえ・・・分からないなあ。そう言えば、誰からも聞いたことがないなあ」

 そう言われると、慎くんはかえって知りたくなります。「ヨンジャメグリ、ヨンジャメグリ」と頭の中でくり返しました。

 子どもたちの歌声が、ますます近づいてきます。とうとう家の前まできました。おばあさんが、鏡餅と小銭を持って、玄関の前に出ました。

  よんじゃあめぐり

  よんじゃあめぐり

  寒鍋かけれ

 子どもたちは歌をうたいながら家のまわりをまわります。腰まで雪に沈みながら、漕ぐようにしてまわるのです。

  しっけえ酒かけな

  甘酒かけれ

  餅あぶれ

  ほーい ほーい

 子どもたちは家のまわりを2回まわってから、鏡餅を受け取りました。

「慎くん。今日は横手の『かまくら』だよ。お父さんに連れて行ってもらいなさい」

 子どもたちに餅を渡して、家に入ってきたおばあさんが言いました。

「そうだな、慎に『かまくら』を見せてやるか」

 お父さんが言いました。

「お父さん『かまくら』ってどんな意味?」

「おや、また意味を聞くのかい。それも分からないんだよねえ」

 困ったな、という顔で、お父さんが答えました。

                続く       

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七福神めぐりの続き

1月5日(火)

畑があるので、精障者作業所Mへ。小松菜など、2週間ぶりに間引き。

七福神めぐりの道筋で見た花

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もう蝋梅が咲いている。と思ったら、

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紅梅まで咲いていました。

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のんびりと田園風景の中を歩いたり、山中の道を歩いたり。

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癒し系のせせらぎも多くありました。

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2010年1月 4日 (月)

越生七福神めぐり

1月4日(月)

越生7福神めぐりハイキング。

本当はボラはじめだったのだが、今日は顔合わせだけなので、そちらは失礼して、H男さんに誘われた、越生七福神めぐりハイキングの行く。行ったのは、H男さんH子さん(夫婦ではありません)とぼんくらカエル。

越生駅に着いたのが九時半ごろ、ハイキングが終わって越生駅に着いたのが四時頃。ほぼ13キロくらいのコース。休憩時間があるにしても、こんなに時間がかかったのは列んでいる時間が多かったから。

越生といえば梅祭りだが、今日はそれに次ぐくらいの大イベントなのだろう。参加者ぞろぞろ、各地で行列。

コース

越生駅~報恩寺(恵比寿)~正法寺(大黒)~弘法山(弁財天)~最勝寺(福禄寿)~円通寺(寿老人)~龍穏寺(毘沙門天)全洞院(布袋)~バスで越生駅

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報恩寺の、これは境内ですが、外から行列。途中で折れ曲がってもう一度折れ曲がってというような感じで長々と時間をかけ、記帳所で性別、町内、県内、県外の欄に○を付け(もちろん私は県内)、帰りのバスの無料券と抽選券をもらう。

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何はともあれ、お賽銭を上げて拝む。私は拝みはしても何も祈りません。賽銭箱に入れた10円玉は、文化財保護のための寄付のつもり。拝むのは、形だけですね。

正法寺

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境内の太鼓演奏。

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踊りをしたり太鼓を叩いたり餅つきをしたり、それぞれの寺で、さまざまな行事を行っていました

最勝寺

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円通寺

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龍穏寺

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この寺、太田道灌の父が再興した寺とかで、何十年も前になるが何かの団体で訪れたとき、住職が、越生はこの寺をもっと大切にしなくてはいけないと慨嘆していた。今日訪れた寺の中では、もっとも趣のある寺、古刹という感じはありました。

全洞院

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全洞院を出て、帰りのバス待ちの列に並ぶ。待つこと55分。その間に甘酒を振る舞われ、抽選をし、私があてたのは越生町内の温泉の入浴券。温泉だけに来るのでは大変だが、実はハイキングしてみたいところがあり、その帰りに寄るつもり。

帰宅は6時。

早く帰って原稿を1つ書くつもりでしたが、明日に延期。

風呂を沸かして入って、飯を作って喰って、酒を飲んで、今ブログを書いているというしだい。

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2010年1月 3日 (日)

蚕糸の森公園

1月3日(日)

梅里の継母に年賀に行く。今年92歳。さすがに体力は落ちているようで、寝たり起きたりして過ごしているようだ。惚けは、全くない。買い物も一人で行くが、途中で3回も4回も縁石などに腰をかけて休むという。この継母、本当に立派な人だと私は思っている。

一緒に住んでいる義妹も老けましたね。69歳だと言うから、これで継母が倒れたら。老々介護になってしまう。

コタツに入り、私はビールを飲みながら、昔の、あの人、この人の話。

帰りに、蚕糸の森公園による。昔蚕糸試験場といっていたところだ。

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私はどうしても、水辺が好きですね                             

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2010年1月 2日 (土)

次女夫婦来る

1月2日(土)

次女夫婦が来る。次女は妊娠中であり、臨月なので私の方が行こうと思ったのだけれど、来てくれた。来てくれればパソコンのことなど、いろいろ聞きたいこともある。

次女夫婦は家を買ったばかりで、これから先も夫婦で働かなければならないのだ。出産、育児休暇のあと、保育所を見つけられるかどうかが、大変重要な問題である。子供手当も良いけれど、働きたい主婦に働ける環境を作ること、保育所待機児童なんて言うのを無くすことの方が、もっと大切ではないのだろうか。

次女夫婦以外のことで、何か書くことはないかと考えたが、正月2日で、もう無いんですね。これからもブログを開いてから、何を書くか考えるような日が続くんだろうな。それでもブログを開ければ、何かしら書き続けることが出来たんだから、これからも出来るだろうとは思っている。

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2010年1月 1日 (金)

初日の出 ドジはじめ

2010年1月1日

開けましておめでとうございます。

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今年の年賀状です。下に「さん湖台」と書いて、(神奈川県)としてありますが、(山梨県)の間違いです。つまり、今年のドジはじめは、年賀状にはじまります。

Sさん夫婦とお婿さんの車に、Kさんと私が便乗して、関八州見晴台へ初日の出を見にに行ってきました。3時半。ココス前で車の拾ってもらい、鵜の木でKさんも合流。西吾野の関八州見晴台への登山口近くまで行き、車を路傍に止めて登山開始。ヘッドランプ、懐中電灯が便りの山登りです。

途中、高山不動により、参拝して頂上へ。頂上には100人くらいも人がいたでしょうか。私たちのように下から登ってきた人はほとんどいなくて、頂上近くまで、車で来た人ばかり。若い人も多い。私たちは、山の端が赤くなったころ頂上へ着く。

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いよいよ日の出です。

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反対側では、月が沈もうとしています。満月です。ニュースに寄れば、月食もあったのだそうですが、それは終わっている時間です。

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昨日の雪が、山ではいくらか積もったようです。

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下山途中、パノラマコースの見晴らしです。

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