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2009年12月30日 (水)

人物練習帳・5 宗教について

12月30日(水)

人物練習帳。たしか5枚目だったと思います。

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年末だからといって、来年はどうしようなどと言うことは、何も考えません。流れにまかせ、あるがままに生きています。でも、年末なので、まともなことを考えてみます。

私は何の宗教も信じてはいませんが、なぜか、若い頃から宗教に興味は持っています。

私は霊魂不滅などということを信じていません。ましてや来世とか、最後の審判だとか、天国や地獄も、信じていません。私の考えでは、死ねば何もかもなくなる、ただそれだけのことです。

仏教に親しみは感じています。釈迦は解脱をしました。私の理解に寄れば、解脱とは輪廻転生を去ること、何者にも生まれ変わらないことだと思います。つまり、何もなくなるということ、「無」ですネ。私のような未熟なものが、悟りを開いて解脱するなどと言うことはありません。しかし、悟りを開かなくても、無になることに変わりはありません。ただ、悟りを開くまでは輪廻転生をくり返す、などと言われれば「嘘でしょう」と思うわけです。

霊魂の不滅を考え出したのは、人間の弱さだと私は思います。死んで無になることに、われわれの精神は耐えられなかったからではないか、と思うのです。来世、あの世などについても同じです。

善因善果、悪因悪果などといいますが、現実の世界では、悪いことばかりしてぬくぬくと生活するものもあれば、まじめに一生懸命に働いても、辛い不幸に見舞われる人もいます。「悪い奴ほどよく眠る」などという状態を、目の当たりにしなければならないのが、現実の生活というものです。世の中は、あまりに不公平です。人間の感情は、それでは治まりません。だからせめて、悪い奴には来世で不幸になってもらはなくてはならないのです。その意味でも、ありもしない来世が必要なのですね。

日本の仏教が、葬式仏教になったのは、江戸時代に幕府の取った宗教政策のせいでしょう。お寺を通じて庶民を管理したからではないでしょうか。お釈迦様は、葬式をしろなんて言っていないはずです。

死んだ人にとっては、葬式も法事も仏壇も、どうでもいいのだと思います。問題は生きている人です。わが家でも、妻の葬式はしましたし、仏壇があり、その前に花を添えています。そこに仏様がいるわけでも何でもありません。ただ生きている私の問題なのです。仏壇に線香をあげ、花を供える。それで毎朝、妻を思い出すわけです。

どの民族でも、人が亡くなると、一定の儀式があると思います。そうして死者との決別をするのです。そうしないと、生きている人の気が済まないのです。葬式をしないからといって、罰が当たるなどと言うことはないでしょう。どの時代、どの民族にも葬式の儀式があるのは、生きている人間として、気持ちの整理をしたいのだと思います。

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