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2009年11月25日 (水)

大雅と蕪村

11月25日(水)

特養老人ホームSへ。

このような施設も、利用者を楽しませるために、ミニイベントをときどき行う。今日はその一つ、昼食に鮨バイキング。私はその手伝い。もちろん鮨を握るわけではないけどサ。

ところで、今日の本題、池大雅と与謝蕪村。

今日のタイトルを見て訪問した人はお気の毒です。二人の絵をどうだとか言うことは書きません。第一、そんなこと、私に分かるはずがない。

蕪村は俳句でも有名ですが、大雅も俳句を書いているんですね。

  いくつじゃととはれて片手あけの春

  葛粉さらす水まで花のしづくかな

の2句が『続俳家奇人談』に載っています。1句目は、いまなら川柳と言うところですけどね。妻は玉欄と言いやはり絵が上手で、和歌も巧みだったとか。

大雅は貧しくて、ひとつしかない着物を、妻と二人で外出する方が着ていたと言います。あるとき大雅が酒を買ってきて、2人で飲み交わし、妻は裸で琴を弾いたというエピソードが書かれています。裸と言ったって、腰巻きくらいはしていたんでしょうけれどね。着物は1枚でも琴はあったんだ! 大雅と言うくらいだから優雅なんだ!

四十七士でも俳句をやっていた人は何人かいるようだし、江戸時代は文を読み書きするくらいの人、和歌や俳句を一つや二つ書いてみることはあったのでしょう。大雅も、『続俳家奇人談』に書かれるくらいですから、俳人でもあったんですね。

蕪村については、江戸時代に比して、現在は大きく評価されている俳人であること、知らぬ人はいないくらいです。

蕪村も貧乏だったらしいですよ。水辺に住んで、金が無くなると魚をとって、それを売って妻子を養っていたんだってサ。そう言えば、「さみだれや大河を前に家二軒」とか、「秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者」などという句は、漁で生計を立てていたことと関係あるのかな。

大雅や蕪村と言えば、江戸時代の代表的な画家なのに、貧しかったというのは事実らしい。当時は、狩野派のようなお抱え絵師でなければ、たいへんですね。

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