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2009年11月11日 (水)

ものいえば唇寒し

11月11日(火)

  古池や蛙とびこむ水の音

といえば、芭蕉の句であることは誰でも知っている。では、誰でも知っている句で、

  ものいえば唇寒し秋の風

ならばどうだろうか。これも芭蕉の句なのである。あんがい知らない人も多いと思う。俳句を始めるまで、私も知らなかった。「ものいえば」の方は、俳句というより、諺とか、格言といったものとして記憶していたのである。「あまりぺらぺら喋るもんじゃないよ」といった理解の仕方で、芭蕉のつもりとは離れて、俗っぽくして理解していたわけだ。

  手にとるなやはり野におけ蓮華草

というのは、瓢水居士という人の俳句だそうである。私などは「手にとるな」の方は知らずに、「やはり野におけ蓮華草」というフレーズだけを覚えていた。「野生の花は野生でこそ美しい。だからむやみに管理するな」というような、格言っぽい理解をしていた。但し「手にとるな」は俳句として拙いね・・・と思います。

  夕涼みよくぞ男に生まれける

というのは其角の句だそうです。誰の句とも知らずに、子供のころから覚えていました(俳句だったんですね!)。

  行水の捨て所なし虫の声

この句の作者は鬼貫(オニツラ)。誰の句か知らずに、気の利いた言葉として覚えていた句って、沢山あるんですねえ。

きっと次のようなのも、俳句だったんでしょうね。私はそうと思ったことはなかったのだけれど・・・。

  酒無くてなんで己が桜かな

  いうまいと思えど今日の暑さかな

二つとも、季語はあるし、575になっているもんね。誰の句なんだろう。知りたいところだ。俳句としては、低俗でしょうけれど。

そのほか、『俳人奇人談』『俳句・俳人物語』から、おもしろい句を2句。

  長松が親の名でくる御慶かな  野坡

  いねいねと人にいわれて年の暮 路通

1句目。子供の長松が、親の名前で新年の挨拶回りをしているわけです。

2句目。路通というのは乞食坊主だったが、芭蕉に拾われて俳人になりました。乞食だったころ、「あっちへ行け!」なんていわれていたんですね。

そのほか。

  木枯らしの果てはありけり海の音  言水

あれ? なーんだ。

  海に出て木枯帰るところなし  山口誓子

もとは言水にあり、だったのか。

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