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2009年10月10日 (土)

こぶし祭り 強制疎開(銃後の生活)

10月10日(土)

こぶし祭り

第3回こぶし祭り。精障者授産施設リバーサイドと、生活支援センタースペースきずなの庭(車庫)で、こぶし祭り。市長やら国会議員やらお偉方が来賓出来ていた。

今年は大概職員がセットしたので、私などはやることがない。売り場を少し手伝ったが、そんなに売れるわけではないのに売り子は沢山いる。やることがなくてボーとしているのも嫌なので、そうそうにトンズラ。

職人出の私は、たいしてやることもないのに、世間話などをしながら時間をつぶすというのは大の苦手である。仕事があるならやる、なければ帰るというのが、私のやり方。仕事をしているような雰囲気で無駄話しているだけというのは辛い。

その場から消えようとしたら理事長に会っちゃった。だから「私は消えます」と言ったら、「楽しんでいけば・・・」という。楽しめないのだから、ヤナコッタ。

強制疎開

戦時中の疎開の話は、よく語られる。子どもたちには学童疎開があった。これもよく話される。しかし、強制疎開というのがあったことが話題になることは少ない。ご存じだろうか。

ある施設などを守るために、そのまわりの家を強制的に立ち退かせる、強制疎開というものがあった。

私の住んでいた市ヶ谷には、陸軍の練兵場があった。その練兵場を守るために、まわりの家々がかなり広い範囲で強制疎開させられることになった。

B29は住宅地に焼夷弾を落とした。当時の日本の家屋はほとんど全部と言っていいほど木造建築だったので、爆弾を落とすより、焼夷弾で火を付けて焼いてしまう方が、効率的だったのである。おそらく、その類焼を免れるため、重要な施設のまわりを強制疎開させたものと思う。

私の住んでいた家は無事だったが、狭い道路を挟んだ向かい側までが強制疎開になった。強制疎開地域と指定されると、引っ越す先があろうとなかろうと、一定の期日までに引っ越さなくてはならない。そして人々は、引っ越した家を壊すのである。

Tati0009

当時のことである。壊すのも人海戦術だ。向かいの家の場合、梁に縄をかけて、大勢の人がよってたかって、ひき倒した。家がギシギシ言っていました。子供心にも、もったいないなあと思ったものです。

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