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2009年10月15日 (木)

酔わずにいられるか

10月15日(木)

老人介護施設、狭山ケアセンターへ。

「100万人あるとも我行かん」という言葉を父から教わりました。世の中全部が反対しても、自分の信ずる道を行く、という意味ですが、その通り出来たら、たいそう威勢が良いですね。なかなか人間は、そんなことが出来るものではありません。

そんなことを言う父は、別段人と衝突する人間ではありませんでしたが、組織に属することの出来ない人で、紙芝居屋をしたり、際物を売ったりして生活していました。ここで際物といったのは、別段怪しげな物という意味ではなく、アイスボンボンが流行ればアイスボンボン、ヨーヨーが流行ればヨーヨーを売るといった意味です。たとえば戦争中は、荷札とメガホンを売りました。

ちょっと説明がいるようですね。

当時、疎開をする人が家財道具を送るのに、荷札が必要でした。戦時中のことですから荷物は乱暴に扱われ、荷札も紙ではなくベニヤ板で、荷物を梱包した枠に、しっかり打ち付けられるようになっていました。

メガホンは、今の拡声器のように立派な物ではなく、ボール紙をラッパ型に丸めただけの物ですが、当時の生活では必需品でした。「空襲警報発令」とか「食糧の配給があります」とかを知らせる為に使ったのです。

そんな状態ですから、父は別段「100万人あるとも我行かん」などという生活をしていたわけではありません。「そうありたい」という気持ちがあったのでしょう。

なんでこんなことを書くかと言えば、最近インターネットのサイトで「戦争と文学」というのを読んだためです。ダウンロードしたら61ページ分あり、さまざまな情報がありました。与謝野晶子は「君死にたもうことなかれ」の詩で、反戦詩人と言うことになっているが、第2次大戦中は戦争協力者だったことなども書かれていました。また菊池寛の反戦の思想が、次第に戦意高揚の思想に変わっていく様を、彼の発表した文章によって証明しているものなどもありました。

与謝野晶子については、まんざら知らなかったわけではありませんが、菊池寛の変化など、当時の知識人の意識の変わり方のサンプルとして読みました。

今の若い人達が、当時の知識人の変化を、時代に迎合するため本心を隠していたのだ、と判断したりします。でも、違うんですよね。与謝野晶子も菊池寛も、本心から戦争に賛成するようになっていくのです。時代に迎合するつもりなど全くないのに、結果として迎合しているのです。

与謝野晶子も、菊池寛も、「100万人あるとも我行かん」という気概を持っていた人だと思います。それなのに、時代の熱狂というものに酔って行くのです。インテリであろうとなかろうと、状況によって私たちはそうなってしまうかも知れないのです。自分は決してそうならないなどと自信を持っている人の方が、むしろ危ないような気が、私はします。時代が一つの熱狂に流されるとき、自分は酔わずにいられるか、それが問題なのです。

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