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2009年9月 1日 (火)

奥多摩むかしみち 歌の仲立ち・6

9月1日(火)

「奥多摩むかしみち」を歩いてきました。

ちょっと散歩のつもりだったのですが、軽い山登り程度の体力は必要でした。

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スケッチをしながらのハイキング。左はハイキングコースの途中。右は終点の奥多摩湖。

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圧巻は惣岳渓谷。むかしみちは惣岳渓谷のわきを通るのだが、高低差が大きすぎ、斜面の樹木がじゃまをしてよく見えない。吊り橋で対岸に渡り、怪しげな踏み跡をたどって河原に降りると、その一部を見ることが出来る。但し舗装道路や林の中の道を歩くだけの人には、危険なのでお勧めできない。街中を歩くような革靴の人は無理ですから近づかないこと。危険な目にあったとしても自己責任です。

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これは昔トロッコが走っていたという橋。 完全に廃道ですね。この先にトンネルもあります。「むかしみち」というのだから、こういうところも通れるようにしてくれればいいのに、なんて、勝手なことを思います。

とは言え、トロッコ道というのはダム建設のための道だそうで、「むかしみち」ほど古くないんです。「むかしみち」は「甲州裏街道」とも言われた道だそうだ。道の途中には、「耳の神様」やら「牛頭観音」やらさまざまな「地蔵様」など、民間信仰にまつわる遺跡などがあって、いかにも古い道だなあ、と思わせる。

Imgp1870

こんな細い道が続き、時々集落に出る。

Imgp1872

惣岳渓谷。

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もうこれ以上は画像を載せられないようです。全長10キロで、最後の3キロくらいは長い登りになります。これがきつい。

しかし、全体に風情のある山道で、なかなかのコースです。

実は精障者授産施設のボラの予定だったのに、すっかり忘れていました。別に今日でなくても良いボラなので、明日、行くことにしました。

御伽婢子・89

歌の仲立ち・6

前回までのあらすじ 永谷兵部は山名一族に連なる娘牧子とわりない仲になったが、親に認められ正式な夫婦になった。しかるに、応仁の乱が起こり、牧子とその両親は殺された。難を逃れていた兵部は、京都に帰ってそれを知り、悲しみに沈む。

ある夜、兵部のもとに、夢のように牧子が現れた。

「私はあなたと別れてから、田舎武士の手にかかって殺されました。けれども貞節を守ったことを天帝が憐れみ、今日あなたの前に現れました」

兵部は牧子が亡くなった悲しさと、会えた嬉しさで、涙が雨のように降った。夜もすがら語り合って朝になった。

   思はずよまためぐりあふ月かげに

       かはるちぎりをなげくべしとは

牧子返し、

   行末をちぎりしよりぞ恨みまし

       かかるべしともかねて知りせば

こんな嘆きを言うようになるとは思わなかった。こうなるとは分かりませんでしたものね。と互いに涙を流し、牧子は別れて立ち去った。牧子の後ろ姿は、影のようになって、薄れて消えた。

兵部は剃髪して寺に籠もったが、間もなく病によって虚しくなった。

                    終わり

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