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2009年9月 6日 (日)

木下航志のライブと子守唄 修行僧幽霊に逢う・3

9月6日(日)

木下航志と言う盲目の歌手がいる。ピアノの弾き語りをする。狭山市の市民会館で、そのチャリティーライブがあった。

目を閉じて聞いていると、山の彼方から雲がもくもくと湧いてくるような感じを受けたり、広い池の岸に波が静かに寄せているように感じたりする。声量があり、澄んだ響きがある。

アンコールで、最後の1曲だけアカペラで歌ったのが「竹田の子守唄」。歌詞は悲しい。なんで日本の子守唄は悲しいのだろう。ライブのはじめの方で、「赤とんぼ」を唄ったが、その歌詞の違いについて、いろいろ考えた。

「赤とんぼ」は子守唄ではなくて、子守をしてくれた姐やを懐かしんでいる詩である。

1) 夕焼け小焼けの赤とんぼ

   負われて見たのはいつの日か

2) 山の畑の桑の実を

   小籠に積んだは幻か

3) 十五で姐やは嫁に行き

   お里の便りも絶え果てた

4) 夕焼け小焼けの赤とんぼ

   止まっているよ竿の先

三木露風作詞である。三木露風が「子守の背中で赤とんぼを見た、あれはいつだったのか」、と言うのが1番の歌詞。「背負われている」のであって、「追われている」のではない。

「子守り」という者の存在は、私の世代でも話しで知っているだけである。貧しい家の少女が、金持ちの家の子守りに雇われて、赤ちゃんを背負いながら1日を過ごすのである。三木露風は、その子守りの「姐や」を懐かしんでいるのである。「子守り」の存在をしらない人が「負われて見た」を「追われて見た」と思ってしまうのは、やむを得ないのかも知れない。

「子守り」なのだから、3番は「姉や」ではなく「姐や」なのである。

ブログというのは私程度の生半可な知識しかない者でも。自由に書き込める。そのせいで、この「赤とんぼ」の解釈なんか、随分傑作があるんだそうですね。「負われて」の間違いは良くはないけれど、しょうがないな、とは思う。でもたとえば、「赤とんぼ」は戦後の歌で、「戦闘機の零戦」のことだとか、「姐や」は「従軍看護婦に行って生死が分からず、便りが来なくなった」だとか言う解釈もあるんだってサ。

「赤とんぼ」を「零戦」と解釈したのは、ひょっとしたら「あれかな?」というのはある。

Tati0009

左のイラストは幼いころに見た記憶をもとにして描いてみた。戦争中の航空兵の練習用の飛行機である。私は市ヶ谷の陸軍練兵場の近くに住んでいたが、まだ戦局が悪化しないうちは、上空を、よくこの練習機が飛んでいた。主翼が上下2枚ある複葉で、航空兵の顔が見えるほど低空で飛んでいることもあった。人々は、この飛行機のことを、「赤とんぼ」と呼んでいた。胴体の色が赤かったように思っているけれど、幼少時の記憶である。確信は持てない。さっきも書いたが、ブログというのは、私程度の人間でも、自由に書くのである。援用しようとするならば、自分でしっかり調べなくてはいけない。

脱線ばかりしているので、だいぶ長くなった。

「竹田の子守唄」だが、悲しい歌ですね。赤ん坊のための歌と言うよりは、子守りをしている子供の、嘆きの歌です。「五木の子守歌」と同じ系統ですね。

1) 守もいやがる盆から先にゃ

   雪もちらつくし子も泣くし

2) 盆が来たとてなにうれしかろ

   かたびらはなし帯はなし

3) この子よう泣く守をばいじる

   守も1日痩せるやら

4) 早よも行きたやこの在所越えて

   向こうに見えるは親の家

この歌は京都の部落民に歌い継がれた歌だそうです。この在所を越えて親の家に帰ったところで、貧しい生活が待っているだけです。それでも帰りたいのが親のところ。しかしそれも出来ないことを、子供ながらも知っているのです。

これはもう、恨み節ですね。本歌には、自分たちが食べるのは「もんぱ飯」というような歌詞もあったようです。「もんぱ飯」とは「オカラ」のことだそうです。  

御伽婢子.92

修行僧幽霊に逢う・3

前回までのあらすじ 河内の国を旅していた修行僧が、日暮れて泊めてくれるところを探していたとき、14-5歳の少年に逢う。少年は自宅に案内し、過去帳に自分の名前を書かせ、消えてしまう。修行僧はその家の持仏堂の前で夜を明かす。

夜が明けて、その家の家族が持仏堂の前に集まると、痩せこけた僧が一人、仏前に座っているのを発見した。

これはまた、盗賊か、それとも古狸が化けて出たのか、と、問いつめると、修行僧は昨日の出来事をありのままに語った。仏前の供物を見ると、修行僧が食べたという半分はなくなっていたが、少年が食べたという半分は、そのまま残っている。

「さては藤四郎の亡霊が現れたか、なんで修行僧の前には現れて、母である私には現れないのだ」

とは母嘆き悲しんだ。

聞けば、ちょうど100日前に、流れ矢に当たって亡くなったのだという。

無情を感じた母は、修行僧に髪を切ってもらい、尼となって菩提を弔ったと言うことだ。

                              終わり

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