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2009年8月14日 (金)

私も夏休みです 菅谷九右衛門

8月14日(金)

私は仕事をしていないわけですから、毎日が日曜日みたいなものです。それでも、ボランティアをしたり、趣味の会へ行ったりで、何かしらやることがあります。ところが今週はそれらもなくて、私も夏休みです。

昨日、お墓参り。明日、お坊さんがお経を上げに我が家に来ます。それだけが用事で、後は家事くらいのものです。

Tati0009

毎度おなじみの入間川のスケッチです。

少し暑かったのですが、西武電車で仏子駅まで行き、そこからなるべく入間川沿いに歩くようにして、狭山川越自転車道まで、何とか繋いでみました。残念ながら川の土手ばかりで歩き通すというわけにはいかないようです。

御伽婢子・75

菅谷九右衛門

天正年中(1573-1592年)のことである。

伊勢の国の国司は具教(トモノリ)公でその御所を武井の御所と言った。国司の甥は民部少輔具時(トモトキ)と言い、南伊勢の木作りと云うところに住んでいた。

具時の郎党に、柘植三郎左衛門および滝川三郎兵衛という者がいた。二人とも、武勇、知謀にすぐれていた。

国司具教、甥の具時共におごりがあり、百姓を苦しめ、おべんちゃら言うものを可愛がり、国の行く末も危なく思われた。そこで二人は、信長に内通し、国司を滅ぼし、信長に認められて、高い地位を得た。

隣国伊賀に反乱が起こり、武井の残党や近郷のあぶれものなどが集まり、要害に立てこもった。信長はこれを討とうとしたが、敵もなかなか強くて、柘植と滝川は討たれてしまった。その後、反乱者と信長の和議が成立し、伊賀は信長のものとなった。

それから1年ほどたったとき、信長の家来、菅谷九右衛門が所用で山田郡に行ったとき、柘植、滝川の2人にばったりと出会った。2人は死んだはずなのに、夢でも見ているのかと声をかけた。

「柘植さんと滝川さんではありませんか?」

「やあ菅谷さん。こんなところで会いましたか。久しぶりですねえ。酒でも飲みましょうや」

柘植はそう言うと、小僧に小袖を持たせて、酒を買ってこさせた(つまり、物々交換です・ぼんくらカエル註)。3人は酒屋に借りたむしろを道ばたの草の上に敷き、酒盛りを始めた。

                             続く

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