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2009年7月11日 (土)

社会福祉大会 幽霊が武将を評する・5

7月11日(土)

狭山市の社会福祉協議会が創立30周年だそうで、狭山市市民会館でそのセレモニー。と言って、例年とそう大きく変わるわけではない。表彰式があって祝辞があって、講演と、ちょっとしたアトラクション。

講演は「中越地震の報告」で、講師は柏崎市社協の人。被災の状況と、救援活動の実際を話す。

もう一つの講演があって、「災害直後の連携体制」と言う題。狭山市の防災課の人が講師。こちらはまあ、うん、終わり。

御伽婢子・50

幽霊が諸将を評す・5

前回までのあらすじ 武田信玄の家臣鶴瀬安左衛門は恵林寺の境内で、いまは亡き武将たちが、武田信玄、上杉謙信、北條氏康、織田信長を評しているのを聞く。そこへ上杉憲政の家臣長野信濃守がやってきて、上席にいる山本勘助を非難する。勘助の第1の罪は、信玄を諫めず、敵の娘を妾にし勝頼を生ませ、武田家に内紛のもとを作ったこと、と言う。信濃の守の非難は続く。

「信玄の父信虎は剛毅不敵の人だったが、偏屈で自分勝手なところがあった。信玄がまだ晴信と言っていたころ、晴信を追放して弟の次郎信繁に跡を継がせようとした。信玄はこれを知って、妻の実家、今川義元と組んで、信虎を追い出し、家督を奪った。信虎は流浪して北條氏康に助けを求め、どうにか養われている。

後に信玄は自分の不幸を思い、信虎を甲府に呼び戻そうとしたとき、おまえはそれを諫めて、信虎を呼び戻したらまた内紛が起こる。そのままにしておけ、と言ったではないか。これでは信玄は、後々までも不幸者と言われてしまう。これがおまえの罪の第2である。

次は川中島合戦の時だ。山本勘助、おまえは軍配を任されたのに、西条山の上杉軍にばかり気を取られて、上杉軍が夜の間に川を渡ることに全く気がつかなかった。川を渡られてから慌てて陣を立てたが、このときも、武田軍の右側は上杉にとって攻めやすいところだったのに、ここを義信望月などと言う脆弱な大将に守らせた。案の定簡単に破られてしまった。

謙信は一気に押しつぶそうとして自ら先頭をきり、武田の本陣を切り崩した。西条山の軍が引き返してきたから良かったものの、信玄は危うく敵に討たれるところだった。この戦で、大勢の有力な大将が討たれ、おまえも恥じて討ち死にをした。これも前もって備えるべきを備えなかったためである。何を持って軍師などと言えるのか。これがおまえの罪の第3である。

おまえは武道の修行と称して諸国を渡り、四国では尾方という武将に軍法を伝授し、城の設計をし位置取りを決めたという。だいたいおまえが設計して建てた城などと言うものは何処にあるのだ。

今川家に嫌われ、信玄に拾われたらこれをひけらかし、人に笑われているのを知らないか。武田家の軍師になったからと言って、その後信玄には大した勝ち戦がない。おまえの功績など何もないではないか。

もともとおまえはわれわれの敵方だ。それを目の前にして、親しく語り合うなど、私の大将が許さないだろう」

山本勘助は一言もなく、黙って座を退き、信濃守に上座を譲った。

信濃守は重ねて発言した。

「皆様はそれぞれ立派な家臣ですが、私は1城をまかせられていたものです。そのために上座を占めます。はしたないことを言ったけれど、どうか許されよ」

                      続く

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