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2009年7月 5日 (日)

車椅子と仲間の会 和銅の銭

7月5日(日)

車椅子と仲間の会。

本職は畳屋のYさんが、そば打ちを趣味にして、いつの間にかその権威になって、弟子を取り、店を持つようになった。そのYさん、前会長と幼なじみだったらしく、お弟子さんと共に、ここ数年、車椅子と仲間の会のために、そばを打ってくれる。今日はその日。美味しくいただきました。

精神障害者のための福祉法人、こぶし福祉会の理事にSさんという方がいて、今年理事を辞めました。その時、関係者にそばを打ってくれたのですが、このSさんはYさんの弟子です。

今年から車椅子の会の会長になったのがKさんで、これはいつかこのブログにも書きましたが、両手両足を失った人です。そのKさん、義足義手と車椅子で、1人で函館に行き、先祖の墓参りなどしてきたようです。

西武線新狭山駅から電車に乗り、羽田から飛行機での往復。函館の墓参では車椅子の介助を頼んだそうですが、後は1人でやったのです。Kさんの行動力には心底感心します。自信がついたので、今度は帯広の友人に会いに行くそうです。

函館で泊まったホテル、バリアフリーの部屋があるのはそこだけだったそうですが、素泊まりで1泊3万円だって。やむを得ないのかも知れないけれど、高いなあ。バリアフリーの宿はそこしか無いのだそうだ。床はふかふかの絨毯だったそうで、実は車椅子にとって、これは大変だ。固い床の方が良いのです。車椅子は、芝生だの砂浜だのふかふかの絨毯だのは、大の苦手です。バリアフリーをうたうなら、その点にも考慮が欲しいところです。

御伽婢子・45

和銅の銭・3

前回までのあらすじ 京都の西院に隠棲する僧都昌快のところへ、秩父和通と名乗る老人が訪ねてきて、僧都と1日を語り合う。帰る老人を見送ると20メートルほど先の竹藪の前で、忽然と姿が消えた。翌日里人に頼んでその辺りを掘らせると、100文の和銅通報が出てきた。

「なるほど」と僧都は思った。

昔、43代目の天皇、元明天皇の御代、秩父から我が国の銅が産出された。そのため年号を和銅元年(708年)とあらためた。

その銅で和銅通報が作られた。ここ訪ねてきた老人が、外は丸く、内は四角の帽子を被っていたのは、和銅通報の形に違いない。青い衣を着ていたが、それは銅の錆だろう。5銖の重さは銭の重さであろう。

秩父和通と名乗ったのは、姓は秩父に産したこと、名は和銅通宝の略であることを表す。

銭ならば足が無くても諸国を渡り歩く。人相の悪いものも、銭を見れば口元をほころばす。無口な人も、銭を見れば口を開く。人にはさまざまな好みがあるが、銭を好まぬ人はない。屈強の兵士だって銭で動く。欲が深いものは銭を見れば何とかしてそれを手に入れようと思う。貪るものは、銭を見れば病人が医師に遇うようだと思う。まことに銭はくせ者・・・。

僧都は100文の銭を里人に分かち与え、自らは信仰を深くした。

後に山名の乱があって、里人は逃げ、僧都もどこにいるのか分からなくなった。

                         終わり

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