日焼け 遊女宮木野・3
7月27日(月)
25日の磐梯山は、山頂でも気温は30°ありました。おかげで、首から肩にかけて日焼けでヒリヒリしています。日焼け止めのクリームを勧めてくれた人もいたのですが、塗ったことはないと言って断りました。馬鹿だなあ。もっとも、クリームを使わせてもらったところで、顔にぬるくらいで、首や肩にぬるなんて思いつかなかったでしょう。結果は同じだね。
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麻生さんって、気の利いたことを言うつもりになると、失言をするねえ。今度は、今の高齢者は働くしか能がないんだって。
多少は当たってるんだよ。貧し時代に青春を送っているからね。射撃をやるほど余裕のある人は少なかったサ。だけど65歳や80歳になってなにかをやろうとしてももう遅い、テナことを言われたら、なに言ってやがる、と思うよ。働くしか能がないんだから働かせろ、だなんて、若い人でさえ失業で苦しんでいるんだよ。歳寄りに働き口を与えられる世の中だと思っているのかい?
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精障者作業所Mへ。
パーキンソン病の奥さんのケアをしているKAさんがMへが尋ね来る。やはりパーキンソン病のI・Mさんへの伝言を頼まれる。
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御伽婢子・60
遊女宮木野・3
前回までのあらすじ 静岡の長者・藤井静六は、遊女・宮木野を身請けして結婚した。京に住む叔父の頼みで、静六は京に上ったが、叔父が亡くなっても、戦争のため帰ることが出来なくなった。
静岡の母は、清六の帰りがいつになるか分からず、便りもないことを悲しみ、病に伏した。宮木野は心を込めて看病したが、病はいよいよ篤く、半年ばかりして帰らぬ人となった。
姑は臨終に際して宮木野に言った。
「おまえは嫁として、本当の子でさえ出来ないほどよく仕えてくれた。あなた方の子を見ないで死ぬことは残念だ。その子は必ず親孝行な子になるだろう」
永禄11年(1568年)武田信玄は静岡に攻め入り、民家に火をかけた。武田方の軍兵は家々に押し入り、乱暴狼藉を働いた。宮木野は美しく魅力的な女性だったので、その餌食になりそうだったが、逃げて、首をくくって亡くなった。
程なく、駿府は武田の手に落ち、戦は止み、藤井静六は、やっと家に帰ることが出来た。しかし、母も妻もこの世の人ではなかった。静六は宮木野の墓の前で祈る。
「君は賢く才知があり、情をわきまえていた。私が帰れなかったのは戦のせいだ。世の中は思うようにいかないものです。ぜひもう1度、私の前に現れてください」
続く
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