98歳の弁 和銅の銭・1
7月3日(金)
近ごろは100歳前後の人に会うことが珍しくなくなった。昨日訪問した老人介護施設では、102歳の人がいる。私は時々しか行かないのに、会うと「久しぶりねえ」などと言う。ぼけていないのである。
今日特養Sで私が相手をした人は、明治43年生まれ、98歳の人が2人と、大正7年生まれ89歳の人の3人。これが全然ぼけてないんですね。98歳の人2人は車椅子に乗っているけれど、平らなところならば誰にも押してもらわずに、自分で移動する。89歳の人は杖をついて歩く。
その、98歳の1人が言う。
「いまの政府は駄目ねえ。テレビで見てると、全然統制が取れてない」
ウーン、恐れ入りました。
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御伽婢子・43(第6巻)
和銅の銭・1
原作 浅井了意
現代語訳 ぼんくらカエル
昔、京都四条の北大宮の西に、淳和天皇の離宮があった。後に橘の美千代大后住まわれたという。ここを西院という。時は移り、宮殿は消えてしまったが、名前だけは残っている。その辺り、いまは農民の住みかになっている。
文明年間(1469-1487)に長柄の僧昌快と言って、学、行共にに優れた者が世を厭い、西院に草庵を結んで引き籠もっていた。
ある日、見慣れない者が尋ねてきた。歳は50歳位。姿形が普通ではない。天辺は丸くて、下は4角の帽子を被り、着ているものは薄くて、蝉の羽根のようだ。秩父和通(チチブイズミチ)と名乗り、昌快の前に座って、さまざまな話しをした。
「私は武蔵の国秩父の生まれだが、長じて京に上り、以後、日本中を巡り歩いた。およそ、行かないところはない」
和通の知識は深くて、真言3部の秘経、両界の曼荼羅、印明、陀羅尼、灌頂に至るまで、その理を述べるのだが、僧都の未だ知らないことが多かった。昔から今までの世の中の移りゆく様を、まるで見ているように話す。
続く
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