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2009年7月 6日 (月)

金原亭馬生の俳句 幽霊による武将の評価・1

7月6日8(月)

金原亭馬生という落語家がいた。志ん生の子供で志ん朝の兄である。志ん生や志ん朝に挟まれているせいか、落語好き以外にはあまり知られていないかも知れない。でも、良い落語家だった。矢野誠一が今日の読売新聞夕刊に、その馬生の俳句を紹介している。

   チンドン屋日だまりにゐる余寒かな

   陽炎やこまかく動く猫の耳

   晩秋やひとり寝好む身の弱り

3句目は癌の告知を受けてからの俳句だそうです。どれも良い俳句ですね。

知人が俳句初心者の添削をしている。そこに提出された句。

   落ち葉踏み祖母の歩幅となりにっけり 奥富利幸

良い句ですね。さすがに添削は無しだ。

秀句などというものは、有名俳人だけが作っているわけではない。どこかで生まれ、人に知られずに消えていく秀句など、掃いて捨てるほどあるだろう。もっとも、私が作るような駄句ならば、バキュームカーで吸い込むほどあるだろうけれどね。

御伽婢子・46

幽霊による武将の評価・1

甲州に鶴瀬安左衛門というものがあった。元々は恵林寺の行者だったが、才覚があり、武田信玄に認められて、その家来となった。

1566年7月15日、盂蘭盆の供養をした。暮れ方になって、快川和尚に会うため恵林寺に行った。どうしたわけか連れてきた従者たちと、はぐれてしまい、鶴瀬ひとりで恵林寺に向かった。すると、恵林寺の門の外で、多田淡路守に出会った。淡路守は信玄秘蔵の足軽大将で、武勇に優れ、その名を知られていた。しかしながら数年前に病気で死んだはずである。夢でも見ているのだろうかといぶかりながら、鶴瀬は門の中に入った。

寺の庭には、むしろが敷かれていて、従者たちが人を待っているようだった。しばらくすると、越後の上杉謙信の家臣直江山城守、北條氏康の家臣北條左衛門佐、武田信玄軍法の師山本勘助、がやってきた。

まず山本勘助が上座に座り、次が直江、そして北條左衛門佐の順に座った。

北條左衛門佐が発言する。

武田信玄は知恵も武勇も優れている。思慮深く、戦の仕方もかっちりとしていて勢いがある。敵に向かって流水のごとく戦い、勝ち戦などは、燦然とした星、気性の潔いことは、輝く月のようである。

しかしながら、自らの武勇を誇り、和を求めない。戦国の世とはいえ、一生を戦いの中に過ごしている。その戦いぶりは堂々としているとはいえ、思い切った策がない。小さく勝が大勝はしない。大敗もない。その名は全国に響いているけれども、自分の領土を守るばかりで、それ以上になれない。

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