« この頃ちょっとナポレオン 梅花屏風 | トップページ | 入間川のスケッチ 梅花屏風・3 »

2009年6月16日 (火)

歳寄りはあちこち痛い 梅花屏風・2

6月16日(火)

さてこれからブログと言うことで、デスクトップのパソコンの前に座る直前、今日書くことをチラと考えた。そしてパソコンのスイッチを入れて立ち上げ、いざ書こうとしたら、さっき考えたことがもう思い出せない。何を考えていたんだっけ、テナものである。やっぱり惚けは忍び寄っているんだろうねえ。

思い出せないので方向転換。自分の体について考えてみた。今、尾てい骨の近くが痛い。尾てい骨の一つか二つ上の骨のようでもあり、そのまわりの筋肉のようでもある。触ってみても、はっきりした位置は、自分で特定できない。

実は先日の山行で、足を滑らし、はっきり転んだと言えるほどではないのだけれど、バランスを崩して手をついた。その時、足の筋をひねったかなにかで、足首やらふくらはぎやらに痛みが走った。痛さは感じても普通に歩くことが出来たので、たいして気にしなかった。

その影響で、昨日は少し足が痛かった。今日はどうも、それが腰に来た感じである。神経の痛みなんでしょうね。

ものすごくいたいのであれば、日記にはそのことを書こうと思うのだが、今日は、はじめはそれを書くつもりはなかった。書こうとしたことを思い出せなかったので、足だの腰だのの痛みについて書いたのである。

だいたい歳寄りというのは、あちこち痛い人が多いですな。どうしようもないほど痛む人もいるだろうし、私みたいに気にすれば痛い、と言う程度の人もいるでしょう。でもまあ、若い頃には考えられなかったですね、年中あちこちが痛むなんて。

  歳寄りはあちこち痛む梅雨の入り  ぼんくらカエル

こんなの、俳句としては駄目かなあ。

御伽婢子・30

梅花屏風・2

前回のあらすじ 16世紀、京都に兵乱が続き、一部の公家や殿上人が、山口の大内義隆を頼って、下向していた。ところが山口で陶晴賢の謀反があり、義隆は自害、義隆を頼っていた人々は、あるいは討たれ、あるいは城を逃れ出た。中納言藤原基頼も、山口に下向していた1人である。

陶晴賢の謀反があったので、中納言は妻や家来と共に山口から逃げて、貴重な財宝を舟に積み、京をめざした。広島あたりまで来たら、風向きが悪くなり、船を泊めて潮時を待つことになった。

その時の北の方の歌。

  だだの海いかにうきたる舟のうへ

    さのみにあらきなみまくらかな

中納言は北の方を相手に酒を飲み、寝入ってしまった。

船人は舟に積んである財宝に目がくらみ、盗むことにした。こんなに乱れた世の中だから、それを咎める人はいないだろうと思ったのである。そこで夜中に、家来3人を海に投げ入れた。騒ぎで目を覚ました中納言を、後ろから抱きついて海に入れた。北の方が驚いて身をすくめていると、

「安心しなさい。おまえは殺さない。私のせがれの嫁になれ」

と言う。やむなく承知したが、気分が優れないので、嫁になるのは気分が治るまで待って欲しいと頼んだ。

9月の13夜、船人とせがれ、姑、北の方たちは、舟にのって月を愛でた。夜更けて、皆酒によい、前後も知らず眠り込んだとき、北の方はこっそりと岸に上がり、足にまかせて、夜通し逃げた。追っ手が来るのではないかと気はせいて、石にぶつかり、茨に引っかかれ、足は血に染まった。

明け方、林の中に家を見つけたので、門の中に入ってみれば、読経の声が聞こえる。物音に気づいたのか、その声がはたと止んで、尼が出てきた。

                       続く

|

« この頃ちょっとナポレオン 梅花屏風 | トップページ | 入間川のスケッチ 梅花屏風・3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/30141034

この記事へのトラックバック一覧です: 歳寄りはあちこち痛い 梅花屏風・2:

» 三沢光晴 最後の勇姿 週刊プロレスのバックドロップ連続写真 [三沢光晴 最後の勇姿 週刊プロレスのバックドロップ連続写真]
角度が垂直!三沢光晴 最後の勇姿 週刊プロレスのバックドロップ連続写真! [続きを読む]

受信: 2009年6月18日 (木) 16時03分

« この頃ちょっとナポレオン 梅花屏風 | トップページ | 入間川のスケッチ 梅花屏風・3 »