« 散歩が好き 妻が見ている夢を夫が現実に見る・2 | トップページ | 年金問題  »

2009年6月 3日 (水)

家事の日 鬼谷に落ちて鬼となる

6月3日(水)

私は男だが、一人者なので主婦でもある。水曜日は、家事をする日と決めている。

現役を離れて10年もたつから、ゆとりを持って毎日を送りたいと考えている。家事は毎日しなければならないわけだけれども、1週のうち、1日か2日は、家事だけしていればよい日を作っておきたいのである。実際には、水曜日でも用事が出来たり、遊びに行ったりするわけだけれど・・・。

近所の本屋さんに取り寄せてもらった本を受け取りに行き、その足でセキチューに買い物に行った。セキチューへ行く途中、春紫苑というミニギャラリーに寄る。山の知り合いがパソコンのオートシェイブ展をやっていたためだ。行ってみると、狭い会場に女性ばかり沢山いるので、なんとなくそわそわしちゃって、さっと眺めただけで出てきてしまった。オートシェイブって、なかなか洗練された絵になるんですね。

マルエツでも買い物。銀行へ行ったり、宝くじを買ったり、作り置きのおかずを作ったりして、のんびりした1日でした。

御伽婢子・20

鬼谷に落ちて鬼となる

福井県若狭の国に、蜂谷孫太郎という者が住んでいた。家は豊かで、仕事もしないで遊んで暮らせる身分だった。儒学を好み、それほど深く理解しているわけでもないのに、文字を読めないような人のことは軽蔑し、学問のある人を見ても「俺ほどではないサ」と思って慢心していた。

あまつさへ仏教を馬鹿にし、天国や地獄などがあるとは認めず、鬼神、幽霊などを信じてはいなかった。

彼の主張は次のようなものだ。仏とは、旨いものを食って暖かな衣類を着、妻子に楽をさせること。餓鬼道とは食うものも食えずに、薄汚れたぼろを着て、妻子を売り払うような生活をすることだ。畜生道とは、他人の門にたって食を乞い、捨てられたものを食って汚いとも思わず、野宿をし、雪が降るときでも裸でいるようなことだ。地獄道とは、罪を犯して牢に入れられ、縄を掛けられたり首をはねられたり、拷問を受けたりすること。そしてそれを扱うものが獄卒である。このほかには何もない。来世だとか幽霊だとか、坊主や神子の言うことを信じるものは愚か者だ。

たまにいさめる人があっても、弁舌にまかせて言い負かし、勝手にやりたいことをやっている。そのためまわりの人は、鬼孫太郎と呼んで、あまり取り合わなかった。

あるとき用事があって、敦賀に1人で出かけた。家を出るのが遅かったため、目的地に着く前に日が暮れてしまった。

琵琶湖の北は兵乱の後だったので、まだ物騒で、人の行き来も少ない。宿を貸してくれるような家もない。河原に出て見渡したら、戦で倒れた人の白骨がここかしこに散らばっている。4方の山は雲に閉ざされている。どうしたものかと心細く、北の方に松の林が見えたので、そこに分け入り、その根に座って休んでいると、梟の声はすさまじく、狐火が光り、風の音も身に凍みて、なんとも心細い。

                        続く

|

« 散歩が好き 妻が見ている夢を夫が現実に見る・2 | トップページ | 年金問題  »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/29938228

この記事へのトラックバック一覧です: 家事の日 鬼谷に落ちて鬼となる:

« 散歩が好き 妻が見ている夢を夫が現実に見る・2 | トップページ | 年金問題  »