« 峰の茶屋~沼原湿原 | トップページ | 歳寄りはあちこち痛い 梅花屏風・2 »

2009年6月15日 (月)

この頃ちょっとナポレオン 梅花屏風

6月15日(月)

「ナポレオンはなぜ赤いズボン吊りをしていたか?」というなぞなぞがある。答えは「ズボン吊りをしなければズボンが落ちるから」です。いわゆる「引っかけ問題」ですね。わざわざ「赤いズボン吊り」と断られれば、普通は「なぜ赤かったのか」と考える。

今日の話しは、ズボン吊りは関係ないのです。いつものように、ちょっと寄り道です。

ナポレオンの辞書には「不可能」という言葉はないんですってね。私なんかは、何をやっても満足に出来ないから、「それは不可能」と言って投げ出すことを得意としています。・・・でも、これも今日の話題に関係ありません。酔っぱらいの足取りのように、あっちへよろけ、こっちへよろけながら書いています。

この1週間ばかり、なぜか睡眠時間が短くて、4時間も眠れば目が覚めてしまいます。昨日は山へ行って疲れたので、今朝くらいはゆっくり起きるかと思ったら、やはり4時間くらいで目が覚めてしまいました。幾ら歳よりと言ったって、どうしたんでしょうかね。

ナポレオンは4時間眠れば十分だったそうです(やっと出た!)。やっと出たけれど、話しはこれだけです。

精障者作業時Mへ。キュウリの収穫がはじまる。

御伽婢子・29

梅花屏風・1

16世紀ごろ、京都では三好と細川の戦が続き、室町幕府の足利義輝将軍がこれを鎮めようとしたが、力不足で、命令を聞く者もなく、手が付けられなかった。

その頃山口の大内義隆は、西海の大名とした権威高く、実力を備えていた。そのため、京都の公暁や殿上人の多くが義隆を便り、戦乱の京都を逃れて、山口の城に身を隠した。

ところが義隆は、武道を忘れ、風流の道に遊び、取り巻きおもねる人を大切にし、国政をないがしろにした。つまらない芸でも上手な者を多く集め、昼夜、好き勝手なことをしていた。

大内義隆の家老、陶尾張守晴賢が謀反をおこし、ついに義隆を自害させた。晴賢は大分県の大名大友入道宗麟の弟、三郎義長を山口の城に迎えて主君とし、政道を行った。

この内乱で、前関白藤原尹房、同じく前左大臣藤原公頼は山口の城から逃げる際、流れ矢に当たって亡くなられた。

従2位藤原親世は、髪を剃って変装し、上手く逃れた。

そのような人の中に、中納言藤原基頼という者がいた。絵、書、歌など諸芸に通じ、武道も心に掛けていた。馬の手綱さばきも見事だし、水練も得意だった。カッパのようによく泳ぎ、魚のように水に潜った。半日くらい潜っていても平気だった。義隆が京都にいたときは、ことさら親切にし、便宜を図ったので、京都の戦乱のおりに、わざわざ義隆が呼び寄せた者である。基頼は永住するつもりで、妻子や召使いも連れて山口に下り、城の外に家を構えた。そしてしばらくは安穏に暮らしていた。

                       続く

|

« 峰の茶屋~沼原湿原 | トップページ | 歳寄りはあちこち痛い 梅花屏風・2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/30124720

この記事へのトラックバック一覧です: この頃ちょっとナポレオン 梅花屏風:

» リングで死亡!三沢光晴 試合の映像を分析 [リングで死亡!三沢光晴 試合の映像を分析]
プロレスラー三沢光晴 リングで死亡!バックドロップで頸髄(けいずい)離断! [続きを読む]

受信: 2009年6月16日 (火) 20時48分

» 初心者でもできるテーブルマジック [初心者でもできるテーブルマジック]
宴会やパーティー等の出し物でテーブルマジックをやりたいと思う人は少なくないと思うのですが、いざやろうと思うとどこから手を付けようか迷ってしまいますよね。 [続きを読む]

受信: 2009年6月17日 (水) 23時50分

« 峰の茶屋~沼原湿原 | トップページ | 歳寄りはあちこち痛い 梅花屏風・2 »