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2009年5月22日 (金)

水彩画の会 十津川の仙境・4

5月22日(金)

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似たような絵を前にも描いたことがあるような気がするけれど・・・。

今日のぼんくら日記は、これだけです。

御伽婢子 通算 12回

十津川の仙境 第4回

前回までのあらすじ 薬種商の長次は、十津川温泉から山奥に分け入り、平家の落ち武者の集落に迷い込む。その住民たちに、平家が敗れて以来の、世の移り変わりを教えて欲しいと頼まれる。

「それではお話しましょう」

長次は座り直して言った。

「平家の皆さんが西海に沈んでから、、源頼朝の世界になりました。しかし病のため、幾らもしないうちに頼朝は死にました。平家を倒すのに功績のあった源範頼、源義家は頼朝に討たれてしまい、頼朝の子頼家が跡を継いだのです。しかし頼家もまた、子供を儲けないうちに亡くなりました。その後は頼家の弟実朝が世を治めました。

~処が頼家には妾腹の子がいて、公暁といいます。この公暁が実朝を殺してしまいました。

~その後は北條氏の天下になり、9代ほど続きました。やがて世の中が乱れて、新田義貞が、鎌倉の北條氏を滅ぼしました。こんどは足利氏と新田氏の争いが起き、最後に、足利尊氏が、新田義貞を破りました。

~足利尊氏は長男に京都を治めさせ、次男に鎌倉を治めさせました。

~その後京都の公方と鎌倉の公方は仲違いし、鎌倉では執権上杉の一族が、足利の公方を追い落としました。その頃になると、京都の公方にも実力はなくて、世の中は大いに乱れました。各地に群雄が割拠し、あちらでもこちらでも戦争を始めました。

~安徳天皇が西海に没した寿永2年(1182年)から今年、弘治2年(1556年)まで374年。天皇は26代、鎌倉は源頼朝から3代、北條9代、足利が12代、京都の足利は13代目です」

三位の中将はこれを聞いて涙を流した。

夜は更けて、風の音以外は何も聞こえず、長次の気持ちは澄み渡っていった。三位の中将に勧められるままに酒を飲んでいるうちに、夜が白々と明けてきた。長次は、帰るべき時が来たのを感じて席を立った。

三位の中将が言う。

「私たちは仙人ではない。ましてや幽霊などではない。知らぬ間にこんなに長生きをしてしまった。あなたは帰っても、私たちのことを、けっして他言しないでください」

そして1首の歌を詠んだ。

   みやまべの月は昔の月ながら

      はるかにかはる人の世の中

山に出る月は変わらないのに、人の世は代わるものですね、と長次を送った。

長次は次に来るときの道しるべにしようと、所々に竹を差して帰った。しかし次の年に訪ねてみると、ただ老松が生い茂り、すすきの原があるだけで、差したはずの竹は見えなかった。

                           終わり

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