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2009年5月25日 (月)

コンパネの家具 真紅の帯・2

5月29日(月)

精障者作業所Mへ。

近ごろ施設の営繕のようなことをやる機会が多い。畑の見回りが終わってから、製品整理の棚作り。コンパネという型枠大工が使う12ミリのベニヤがある。そのコンパネを使う。棚の厚さが12ミリでは貧弱なので、要所要所では2枚貼り合わせたりして作る。お店で、お客様の見えるところに置くものなので、見た目も気にしながら作った。

家具屋は、フラッシュという方法で板を作るのが普通だ。まず、梯子のような芯を作り、それにボンドを付けて2枚のベニヤで挟むのである。だからフラッシュで作った板は、厚さはあっても軽い。それに引き替え、コンパネを2枚貼り合わせた板で作った棚は、重い。といって、機械無しでフラッシュの板を作るなどという事は、おいそれとは出来ない。

何はともあれ、重い家具を作って、ペンキを塗る。作業着を着ていかなかったから、衣類のペンキが付かないよう、慎重に塗らなければならない。

近ごろは、こんな仕事をしていると、時々、指がつったりするんです。筋肉の柔軟性がなくなっているんですね。

御伽婢子 通算14回

真紅の帯・2

前回のあらすじ 檜垣平次は隣家の浜田長八の姉娘と婚約していた。しかし朝倉義景と織田信長の戦の難を逃れて、5年ほど故郷を跡にした。その間に、長八の娘は死んでしまう。

娘の葬式が終わって、ひと月くらいたったころ、平次がひょっこり帰ってきた。平次は、

「戦の難を逃れて京都にいたけれども、そこで両親が亡くなってしまった。婚約していた長八の姉娘のことが忘れがたくて帰ってきた」

という。

浜田夫妻は泣きながら言った。

「姉娘はあなたのことを思いながら、先月の初めに亡くなった。長い間頼りのないことを恨めしく思っていたに違いない。これを見なさい」

といって、娘が硯の蓋に書いた歌を見せた。

  せめてやは香をだににほへ梅の花

        しらぬ山路のおくにさくとも

(大意・どこかの山奥に咲いていても、梅の花よ、せめて匂いを出してください。どこかで生きているなら、せめて便りを下さい)

平次と浜田夫婦は、位牌の前に花と線香を手向け、あらためて悲しみの涙を流した。

浜田夫婦が言った。

「両親が亡くなったのなら心細いでしょう。娘はなくなったけれど縁のある人です、裏の離れに住みなさい。われrわれと一緒に住みましょう」

こうして、49日の仏事には、平次に留守をさせて、一家のものは小塩の墓に詣でた。

夕方、浜田家の人々が帰ってきたとき、平次は門に出て迎えた。夫妻は家に入ったが、下の娘はまだ乗り物の中で、何かを落とした。平次が拾って離れに帰り、よくよく見ると、姉娘に与えた真紅の帯であった。

その夜更け、離れの戸を叩く者がいる。誰かと思って開けてみると、今年16歳になる妹娘である。

                            続く

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