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2009年5月31日 (日)

名栗湖のスケッチ

5月31日(日)

午前中、曇ってはいたが雨は降っていなかったので、智光山公園の菖蒲のスケッチに出かけた。ところが、ついたころから大雨で、尻に敷くはずのビニールシートを頭に被って、退散するはめになった。

残念なので、先日名栗湖で描いたスケッチを公開します。

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さわらびの湯の近くから蕨山への登山コースがあるが、最近名栗湖まで行ってその脇から蕨山に登るコースが整備された。左上のスケッチは、そのコースの途中から名栗湖を見下ろしたもの。

右上は名栗湖の奥、この先はます釣り場になる。

左下は右上の絵の中にある橋を渡って対岸から描いたもの。

最後の絵は、名栗湖から棒ノ嶺に登る白矢沢コース登山口にある水飲み場。

奥武蔵の登山道で、もっとも魅力的なのは、棒ノ嶺に登る白矢沢コースだと思っています。狭い岩の間(ゴルジェ)を登り、滝の脇を登り、という登山道は、深山幽谷を歩いているような気分になります。関東ふれあいの道になっているので、よく整備されていますが、雨の降る日にこのコースを下ると、少し怖い。

○御伽婢子は、今日も休みです。

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2009年5月30日 (土)

左甚五郎

5月30日(土)

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秩父神社です。

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本殿の左の壁に、三猿の彫刻があります。三猿といえば日光の東照宮が有名で「見ざる、聞かざる。言わざる」ということで、封建時代の無難な身の処し方を言っているように思います。秩父神社の三猿は、「見て、聞いて、話そう」だそうです。積極的で、現代的な三猿ですね。

本殿の右の壁には、左甚五郎の作という、龍の彫り物があります。左甚五郎の作と言われる彫刻は、これまでも幾つか見たけれど、本当に名人なのかなあ。どれを見ても、感激したことはありません。

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これがその龍です。

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2009年5月29日 (金)

朝食と料理 狐の妖怪・2

5月29日(金)

1日中雨。このところよく降りますね。

Imgp1468 恥ずかし気もなく、朝食の写真です。

メインの皿は、酒蒸しにした鶏肉、ニンジン、キュウリ、ワカメ。

右はみそ汁で、具はカブの皮とニンジンの皮。何でも食ってやろうの精神です。瀬戸物の椀に水、味噌、ダシを入れ、電子レンジでチン、ハイ、できあがりという代物。

そうそう、メインの皿のタレも、余り物を利用しました。タマネギ、ナスなどを甘酢に漬けていたのですが、それを食べ終わった残りの汁に味噌とゴマを加えたタレです。

左のどんぶりは、冷凍の焼きお握りを崩してお茶漬けにしました。薬味に紫蘇のふりかけなどを入れてあります。

鶏肉の酒蒸しは昨日作ったもの。今日やったことと言ったら、ニンジンやキュウリを切ったことくらい。後は電子レンジのお仕事です。

朝食は、バランスを考えて、ばっちりと摂りますが、短時間で作れるものばかり。

夕食も手の込んだものは作りません。それにしても、1人になってから10年も経つのに、料理は覚えませんね。インターネットのレシピに助けられています。冷蔵庫をみて、あるもので作るというのが私のやり方ですが、インターネットなら、私でも作れそうなものが、何かしら出ています。

そんなわけで、わが家のシェフはインターネットと電子レンジです。

御伽婢子・17

狐の妖怪・2

前回のあらすじ 琵琶湖畔で、旅館を営む竹割小弥太は、物怖じしない性格だった。ある日、狐が人間の娘に化けるのを見る。小弥太は、騙されたふりをして、狐を家まで連れ帰った。

琵琶湖の北の方は木下藤吉郎の領地になり、京都から来た武将、石田市之助が小弥太の宿に泊まった。そして狐の娘の美しさに心を奪われ、是非譲ってくれと小弥太に頼んだ。

小弥太は他にも多くの金持ちがこの娘を欲しがっていると言って渋り、うまうまと100両をせしめて、娘を譲り渡した。

石田は娘を岐阜に連れ帰り、寵愛した。けれども娘は少しも高ぶることなく、よく気がつき、まめまめしく働いた。本妻にもよくつくし、自らはへりくだった。そのため、本妻にも気に入られた。家来や出入りする者たちにも気を配り、石田の家にはよい娘が来たと評判になるほどだった。

半年ばかりして、石田はまた京へ上ることになった。京の高尾で祐覚僧都に会うと、

「あなたは精気を奪われている。早く原因を取り払わないと、命を失うことになる」

といった。石田は、いつの世もいい加減なことを言う坊主はいる。これもそのくちだろうと思い、信じなかった。

しかし、間もなく石田は病気になった。顔色は黄色くなり、痩せこけて、うわごとを言う。家の者は驚いて、医者よ薬よと治療したが、何の効き目もない。

やっと高尾の僧が言ったことを思いだし、祐覚僧都を招いてみてもらった。

「やはり私の言った通りだ。あなたは私を信じなかったけれど、仏法は慈悲をもととしている。直してあげましょう。すぐに岐阜の家に帰りなさい。私も一緒に行きます」

岐阜の家に着くと、僧都は、壇を飾り灯明を立て、香を焚き、弊をたて、祭文を読み上げた。

すると、にわかに黒雲が空を覆い、雷は激しく鳴った。娘は怖れ惑い、倒れて死んだ。娘は古狐だった。

娘が人に与えたものをよく見ると、それは、木の葉だったり、松ぼっくりだったりした。

石田の気持ちはさわやかになり、病は癒えた。

狐の屍は遠く、山に埋めた。

小弥太はどうしているかと尋ねさせてみると、大金をもらったものだから、その金を持ってどこかへ行方をくらましていた。どこへ消えたかは、誰の知らないという。

                          終わり

御伽婢子第2巻終わり

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2009年5月28日 (木)

K福祉会後援会 狐の妖怪

5月28日(木)

午前、ボラグループ定例会。

午後、K福祉会後援会総会。

総会後、NHK制作のDVD「笑顔輝く日まで~京都精神科在宅医療の挑戦」を鑑賞。精神科医とそのグループによる、精神障害者の在宅医療の試みを記録したもの。優れた試みと思うけれど、医師の保険の点数などはどうなるのだろうか。はたして日本の医療制度はどうなのだろう。、他の医師も真似してやっていける仕組みになっているのか、気になるところだ。

NHKは同じ内容に解説などを付けたものを、6月17日8時30分から放送予定という。

御伽婢子・16

狐の妖怪

琵琶湖のほとり、武佐というところに割竹小弥太という者が住み、宿屋をして生計を立てていた。相撲が好きで、力があり、胆力も座っていた。

あるとき篠原村に用事があって出かけたが、夕方薄暗くなったころ、狐が道に出てくるのをみた。人間の頭蓋骨を頭にのせている。何をするのかとみていると、頭蓋事を頭にのせて立ち上がり、北に向かってお辞儀をした。すると頭蓋骨は落ちたが、また頭にのせてお辞儀をした。こんな事を7回ほどくり返したが、7回目には頭に馴染んだのか、落ちなかった。次に、いずまいを正し、北に向かって礼拝をくり返した。すると狐は、17・8歳の美しい娘に変わった。

小弥太が近づいていくと、娘は哀れっぽく泣き声を上げた。小弥太はそ知らぬふりをして娘のそばに行き、声を掛けた。

「こんな淋しいところで、どうして1人で泣いているのです?」

「私はここの少し北の方に住んでいました。最近、木下藤吉郎という大将が山本山の城を攻めてきました。父と兄弟は山本山で討ち死にし、母は家の中に隠れていましたが、家に押し入った盗賊に殺され、財宝は残らず奪われました。私は草むらに隠れて、かろうじて生き延びましたが、この先のことを考えると、生きている手だてもなく、家族の後を追って死のうと思っています。その悲しさに泣いていました」

小弥太は考えた。こいつめ、おれを騙すつもりだな。よし、それならば、おれの方がこの狐を騙してやろう。それで、やさしく声を掛けた。

「それはなんとも気の毒です。私の家は貧しいけれど、あなた1人を養うくらいのことは出来ると思います。家事などを手伝って貰えるなら、来ていただいても良いですよ」

「それはありがたいことです。お世話になることが出来るなら、あなたを私の父と思い、必ず家のために役立つように致します」

そこで小弥太はその娘を家に連れ帰った。娘は小弥太の妻に対しても、同じ話しをした。小弥太は何も言わなかったので、妻は娘の話を信じ、その哀れっぽさや美しさにもほだされ、家に置くことに同意した。同居してからの娘はよく気が利いて、妻にも尽くした。

                             続く

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2009年5月27日 (水)

ユガテから桂木観音へ

5月27日(水)

山歩き。同行は、Sさん、Hさん、Kさん、ぼんくらカエルの4人。

コース。

西武線東吾野駅~福徳寺~ユガテ~エビガ坂~一本杉峠~鼻曲山~天望峠~桂木観音~虚空蔵尊~東武線越生駅

Sさんが一緒なので、昭文社の地図では点線で示されているような、道を探しながら歩くコースです。私などがリーダーだったら、ハイキング地図の実戦で示されているようなコースしか歩きませんからね。Sさんがリーダーの時は、これが楽しみ。

標高は最も高いところでも475メートルくらいだったかな。それでも小さな上り下りをくり返して、優に10キロを超える距離を歩きました。吾野駅からの歩き始めは8時40分ころ。越生駅に着いたのは午後3時ころ。5時間半は歩いたと思います。

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福徳寺からユガテへの標識に「飛脚道」と書いてあるのはおもしろいですね。この道は、今年の1月にも歩きました。今日の道、標識はこんなにしっかりしたものばかりではなく、紙に字を書いて、立木に縛り付けたようなものもありました。また。一本杉峠の標識は、板に書いてはありますが、一本杉の根に縛り付けてありました。4枚目の写真は、桂木観音からの見晴らし。美しいですね。

ところで次の写真は、何の実でしょうか?

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分かる方は教えてください。

御伽婢子は休みます。

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2009年5月26日 (火)

阿修羅像を見に行かざるの弁 真紅の帯・3

5月26日(火)

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この画像、前にブログに載せました。

興福寺の阿修羅像は、私のもっとも好きな仏像です。というより、私の見たあらゆる彫刻の中で、最高のものと思っています。興福寺で阿修羅像を見たとき、私は体中から力が抜け、恍惚としてしまいました。彫刻を見てこんな気分になったことは、後にも先にもこのときだけです。

そのことも、前にブログに書いたと思います。東京で阿修羅像の展示がありましたが、結局私は行きませんでした。行っても、がっかりするだけだと思ったからです。どのみち満員で、人の頭を見に行くようなものでしょう。

実を言えば、興福寺で再び見るとしても、私にはためらいがあります。

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あのときと同じ感動はえられないと思うからです。興福寺で初めて阿修羅像を見たときと今では、私の感性も心理状態も違います。とても、恍惚感に浸るわけにはいかないでしょう。見るたびに感動を新たにすると言うならばいいのですが、そうはならないだろうという予感があります。

あの感動は1回限り、そんな気がします。

鉛筆画の方ものせてみました。少し気に入らないところもあるのですが・・・。顔も違うナア。

御伽婢子・15

真紅の帯・3

前回までのあらすじ 越前敦賀の人、檜垣平次は、幼なじみの浜田長八の姉娘と婚約していた。しかし織田と朝倉の戦があり、朝倉と縁のあった平次は巻き添えになるのを怖れて、京へ逃れた。5年後に帰ってみると娘は死んでいた。49日に仏寺から帰った長八の妹娘が、乗り物から何かを落とす。平次が拾うと、昔、姉娘に送った真紅の帯だった。その夜、妹娘が長次のもとに忍んでくる。

そのまま家に入った妹娘が言う。

「真紅の帯を落としたのを、あなたは拾ったでしょう。あなたとは深い因縁があるのです。私たちは一緒になりましょう」

「その申し出には驚きます。私はあなたのお姉さんと婚約していたのです。今はあなたのご両親のお世話になっています。そんなことが知れたら、ただでは済みません。許されることでは無いのです。どうぞ、帰ってください」

「いいえ帰りません。私の父は、すでにあなたを婿と思って、このようにあなたを自分の家の離れに住まわせています。私が忍んできたのに、その気持ちを受けてくれないのであれば、自殺するしかありません。そして、あなたに恨みを残すでしょう」

そうまで言われては、平次もどうすることも出来ず、その夜二人は契りを交わした。そののちは、娘は夜に来て朝に帰る日が続いた。1ヶ月ほどして、娘が言った。

「これまでは人にしられなかったけれど、こういう事は洩れやすいものです。もし洩れたら、どんな結果が待っているかも知れません。駆け落ちをしましょう」

平次も娘に情が移っていたので、共に逃げることにした。三国に知人がいてそこを頼っていった。知人は快く平次たちを迎え入れ、そこで1年ばかり過ごした。またも娘が言う。

「二人が駆け落ちして1年が過ぎました。両親は心配して、もう許してくれているでしょう。これからふるさとへ帰りましょう」

平次も、もっともと思い、一緒にふるさとの敦賀に帰った。そして娘を舟に残して、1人で浜田長次の家に行き、娘と共の駆け落ちをしたわびを言った。そして、もう1年も経つのだから許して欲しいと頼んだ。

両親は怪訝な顔をした。

「あなたは何を言っているのだ。妹ならば家にいる。病が重くて、このところ寝たきりだ。あなたと一緒に行くことなどで来はしない」

そこで平次は、真紅の帯を出して見せたところ、浜田夫妻は大いに驚いた。

「その帯ならば、姉娘が亡くなったとき、一緒に墓に埋めたものだ。何でまたそれが・・・」

平次が娘を舟に残してきたというので、長次が人を使って見に行かせたところ、舟には誰もいなかった。

家では、寝たきりだった妹娘が立ち上がり、うわごとのように何かを言い始めた。

「私は平次と婚約していたのに、病を得て先に死んでしまった。墓の中に入っているけれども、平次とは深い縁があるので、今ここにいる。どうか私の妹を、平次の妻にしてください。それが私の願いです。そうすれば、妹の病気も良くなるでしょう。もしそうしてくれなければ、妹も私と同じ運命が待っています」

家の者は、みんな驚きあきれた。その姿は妹だが、声も仕草も姉とそっくりである。長次が聞く。

「死んだものがなぜ執念深く、また出てきたのか?」

「平次との縁は非常に深いものがある。閻魔大王の許可を得て、1年あまり平次の妻として過ごした。しかし、もはやあの世に帰らなければならない。私の言ったことを忘れないでください」

そう言うなり、娘はばったりと倒れた。人々は驚いて娘の顔に水を掛けたら、妹は蘇り、病もないような元気な姿になった。

その後、平次と妹娘は夫婦となり、姉の仏事をないがしろにせず、平穏に暮らしたという。

                        終わり

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2009年5月25日 (月)

コンパネの家具 真紅の帯・2

5月29日(月)

精障者作業所Mへ。

近ごろ施設の営繕のようなことをやる機会が多い。畑の見回りが終わってから、製品整理の棚作り。コンパネという型枠大工が使う12ミリのベニヤがある。そのコンパネを使う。棚の厚さが12ミリでは貧弱なので、要所要所では2枚貼り合わせたりして作る。お店で、お客様の見えるところに置くものなので、見た目も気にしながら作った。

家具屋は、フラッシュという方法で板を作るのが普通だ。まず、梯子のような芯を作り、それにボンドを付けて2枚のベニヤで挟むのである。だからフラッシュで作った板は、厚さはあっても軽い。それに引き替え、コンパネを2枚貼り合わせた板で作った棚は、重い。といって、機械無しでフラッシュの板を作るなどという事は、おいそれとは出来ない。

何はともあれ、重い家具を作って、ペンキを塗る。作業着を着ていかなかったから、衣類のペンキが付かないよう、慎重に塗らなければならない。

近ごろは、こんな仕事をしていると、時々、指がつったりするんです。筋肉の柔軟性がなくなっているんですね。

御伽婢子 通算14回

真紅の帯・2

前回のあらすじ 檜垣平次は隣家の浜田長八の姉娘と婚約していた。しかし朝倉義景と織田信長の戦の難を逃れて、5年ほど故郷を跡にした。その間に、長八の娘は死んでしまう。

娘の葬式が終わって、ひと月くらいたったころ、平次がひょっこり帰ってきた。平次は、

「戦の難を逃れて京都にいたけれども、そこで両親が亡くなってしまった。婚約していた長八の姉娘のことが忘れがたくて帰ってきた」

という。

浜田夫妻は泣きながら言った。

「姉娘はあなたのことを思いながら、先月の初めに亡くなった。長い間頼りのないことを恨めしく思っていたに違いない。これを見なさい」

といって、娘が硯の蓋に書いた歌を見せた。

  せめてやは香をだににほへ梅の花

        しらぬ山路のおくにさくとも

(大意・どこかの山奥に咲いていても、梅の花よ、せめて匂いを出してください。どこかで生きているなら、せめて便りを下さい)

平次と浜田夫婦は、位牌の前に花と線香を手向け、あらためて悲しみの涙を流した。

浜田夫婦が言った。

「両親が亡くなったのなら心細いでしょう。娘はなくなったけれど縁のある人です、裏の離れに住みなさい。われrわれと一緒に住みましょう」

こうして、49日の仏事には、平次に留守をさせて、一家のものは小塩の墓に詣でた。

夕方、浜田家の人々が帰ってきたとき、平次は門に出て迎えた。夫妻は家に入ったが、下の娘はまだ乗り物の中で、何かを落とした。平次が拾って離れに帰り、よくよく見ると、姉娘に与えた真紅の帯であった。

その夜更け、離れの戸を叩く者がいる。誰かと思って開けてみると、今年16歳になる妹娘である。

                            続く

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2009年5月24日 (日)

「エセー」について 真紅の帯

5月24日8(日)

「エセー」について

なんとなく今日の題名は、かっこいいね。

本当のことを言えば、私には「座右の書」なんてありません。でも、強いて挙げるならば、モンテーニュの「エセー」と言うことになります。これも、中卒程度の私が言うのだから、なんとなく格好付けているような気がします。結構大部な本ですが、若い頃、たぶん3度くらいは通して読んでいます。

モンテーニュの「エセー」を、若い頃読んだだけで分かるのかと言われたら、分からないと答える他はありません。でもこの本は、理解力が低い人には低いなりに、何かを感じさせる本でした。私の知能では、生涯にわたって、深く理解するなんて事は出来ないでしょう。それでも、もう1回通して読んでみたいと思っています。そう思いだしてから何年か経つのに、実行していません。根気がない、エネルギーがないんです。

「エセー」はモンテー二が考えたこと、感じたことを自由に書いている本で、取り立てて体系があるというものではない。だから読む方も、適当なところを開いて、そのページを読んでみる、というのでも良いのだ。

そんな読み方ならば、今でもたまにはする。今日は、第56章「祈りについて」を読んでみた。たとえば、こんなことが書いてある。

~われわれは習慣で祈っている。もっと正確に言えば、われわれのお祈りを読み、発音している。

~あまりに自分の考えに自信を持ちすぎて、これと反対の考え方はあり得ないなどと思いこむのは全く困った病気だ。

~神に祈る秘密の願いを平気で明るみに出せる人はほとんどいない。

ふーん、なるほどね。

御伽婢子 通算13回

真紅の帯

福井県の敦賀に浜田長八という裕福な人がいて、二人の娘がいた。

その隣に檜垣平太(ヒガキヘイタ)という者がいて、これは元来武士だったのだが、武士をやめて町人になり、成功して豊かに暮らしていた。平太にはひとり息子がいて、名前を平次といった。

平次は長八の娘たちと同じくらいの年頃で、幼なじみである。長じて年頃になったとき、平太は息子の平次と長八の姉娘を結婚させようとしたちころ、長八も賛成で婚約することになった。そのしるしとして、酒魚を調え、真紅の帯を娘に与えた。

ところが天正3年(1575年)朝倉と織田の戦いが始まり、朝倉の方の若林長門守(ワカバヤシナガトノカミ)も、城に立てこもった。実は、檜垣平太はこの長門守の家来だったのである。そのため平太たちは累が及ぶことを怖れて、5年ばかり京都の縁者のもとに避難していた。その間、敦賀の方には何の音沙汰もなかった。

長八の娘は19歳になり、美人だったので、あちこちから結婚の申込があった。しかし娘は。頑として聞き入れなかった。幼なじみの平次を思い、朝夕涙するばかりで、ついに病に倒れ、半年あまり病床にあって、亡くなってしまった。

両親は大いに悲しみ、平次に送られた真紅の帯と共に、小潮と言うところの寺に亡骸を埋めた。

                           続く

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2009年5月23日 (土)

九品仏 等々力渓谷

5月23日(水)

歩く会。

山の仲間8人で、九品仏見学、等々力渓谷、二子玉川河畔、田園調布などを歩く。

九品仏のあるお寺、広い境内を持ち、堂宇も多く、樹木など、大いに風情があると思いました。しかし子供のころ田園調布に住んでいたHさんによると、昔の風情は失なわれているそうです。駐車場があったり、歩道が舗装されていたりするのが気になるようです。それでも、都内にこんなお寺があるのは奇跡のような気がしました。

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どんな写真にしようか考えましたが、大木で代表させることにしました。どこだか分からない特徴のない写真になってしまいましたけれど・・・。

九品仏の寺を出て、等々力渓谷へ。この渓谷は、50年以上も昔、歩いたことがあります。大方忘れてしまいましたが、その頃は谷はもっと狭かったような気がします。護岸工事をして幅を広げ、歩道も広く、舗装されていました。その分風情は落ちるようです。しかし、良くなったこともあります。どぶの匂いがしなくなりました。

等々力渓谷は、こもれびの写真で代表させましょう。

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Imgp1452 これは等々力渓谷の傍の廃屋。どういうものか、私は田園調布の立派なお屋敷よりも、このような廃屋の方が好きです。いじけてるのかな。

その後、二子玉川の河原から田園調布駅まで歩き、帰宅。万歩計を付けていた人によれば、2万歩以上歩いたそうです。

○御伽婢子は休みます。

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九品仏 等々力渓谷

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2009年5月22日 (金)

水彩画の会 十津川の仙境・4

5月22日(金)

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似たような絵を前にも描いたことがあるような気がするけれど・・・。

今日のぼんくら日記は、これだけです。

御伽婢子 通算 12回

十津川の仙境 第4回

前回までのあらすじ 薬種商の長次は、十津川温泉から山奥に分け入り、平家の落ち武者の集落に迷い込む。その住民たちに、平家が敗れて以来の、世の移り変わりを教えて欲しいと頼まれる。

「それではお話しましょう」

長次は座り直して言った。

「平家の皆さんが西海に沈んでから、、源頼朝の世界になりました。しかし病のため、幾らもしないうちに頼朝は死にました。平家を倒すのに功績のあった源範頼、源義家は頼朝に討たれてしまい、頼朝の子頼家が跡を継いだのです。しかし頼家もまた、子供を儲けないうちに亡くなりました。その後は頼家の弟実朝が世を治めました。

~処が頼家には妾腹の子がいて、公暁といいます。この公暁が実朝を殺してしまいました。

~その後は北條氏の天下になり、9代ほど続きました。やがて世の中が乱れて、新田義貞が、鎌倉の北條氏を滅ぼしました。こんどは足利氏と新田氏の争いが起き、最後に、足利尊氏が、新田義貞を破りました。

~足利尊氏は長男に京都を治めさせ、次男に鎌倉を治めさせました。

~その後京都の公方と鎌倉の公方は仲違いし、鎌倉では執権上杉の一族が、足利の公方を追い落としました。その頃になると、京都の公方にも実力はなくて、世の中は大いに乱れました。各地に群雄が割拠し、あちらでもこちらでも戦争を始めました。

~安徳天皇が西海に没した寿永2年(1182年)から今年、弘治2年(1556年)まで374年。天皇は26代、鎌倉は源頼朝から3代、北條9代、足利が12代、京都の足利は13代目です」

三位の中将はこれを聞いて涙を流した。

夜は更けて、風の音以外は何も聞こえず、長次の気持ちは澄み渡っていった。三位の中将に勧められるままに酒を飲んでいるうちに、夜が白々と明けてきた。長次は、帰るべき時が来たのを感じて席を立った。

三位の中将が言う。

「私たちは仙人ではない。ましてや幽霊などではない。知らぬ間にこんなに長生きをしてしまった。あなたは帰っても、私たちのことを、けっして他言しないでください」

そして1首の歌を詠んだ。

   みやまべの月は昔の月ながら

      はるかにかはる人の世の中

山に出る月は変わらないのに、人の世は代わるものですね、と長次を送った。

長次は次に来るときの道しるべにしようと、所々に竹を差して帰った。しかし次の年に訪ねてみると、ただ老松が生い茂り、すすきの原があるだけで、差したはずの竹は見えなかった。

                           終わり

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2009年5月21日 (木)

ネジクレ者(酒飲みの弁)

5月21日(木)

今日も惚けをやりました。でも、それを書くのはやめておきます。で、今日は何を書こうかなと、迷ってい鱈、昔書いた随筆が出てきました。少し形を変えて書き直してみます。

ネジクレ者

父は9人兄弟の次男坊だった。祖母は11人産んだのだが、育ったのは9人だった。

わが家は酒飲みの家系で、みんな浴びるほど飲む。祖母にしてからが、女だてらに(旧意味使いです。女性を蔑視するつもりはありません)1升酒が平気だった。

家系ばかりではない、土地柄が、飲む土地柄だったのである。S叔父に言われたことがある。

「お前たちの方では、宴会の時、1人当たり4合も出せば大宴会だろう。俺たちの方では、1人に1升出さなければ文句が出る」

私の先祖は、酒処の秋田で、酒の仕込み桶作りを生業としていた。梯子を掛けて登るような大きな桶である。酒とは切っても切れない縁のある家系だ。私も友人達と飲めば強い方だが、郷里では「少しは飲める」と言うことにしている。郷里の人達には、とても太刀打ちできないからだ。

そんな中で、父だけが例外だった。飲めば飲めるのだが、酒席を嫌い、晩酌をたしなむ程度だった。健康で体格が良く、規則正しい生活をする人だった。だから、兄弟中で1番長生きをするだろうといわれていた。しかし実際には、最初に死んでしまった。直腸癌であった。

私がまだ現役時代、日帰りで静岡に行く用事があった。埼玉のわが家から、片道4時間の旅である。用事を終えて帰り、自宅のトイレに飛び込むと、痛みもないのに、肛門から鮮血がでた。長時間座っていたので、肛門付近が鬱血していたのかも知れない。私の判断では、疣痔か直腸癌である。

父の病気のおかげで、直腸癌については、私も素人なりに、多少の知識は持っている。早期発見がしやすい癌であること、手術による治癒率が高いこと、痔と間違えるために、発見が遅れる場合があること、などである。

鮮血はでたが、私の判断では、たぶん痔だと思った。私の仕事は座業が多い。そのため、仲間も痔で悩む者が多い。場所が場所だけに、それまで診てもらったことはないが、私にもその気配はあった。しかしその時は、きちんと診てもらおうと思った。痔ならば何ほどのこともないが、癌ならば放っておけない。現代の医学でどうにもならない病気ならばともかく、助かる病気で死んでしまうのはつまらない。

病院では、案の定疣痔が発見された。バリュウムを注入してのレントゲン検査、さらにはファイバーグラスによって直接腸を診る検査、などをしてもらった。

なかなか辛い検査である。下半身を裸にされ、木のベッドに寝かされて、美しい看護婦さんのそばで、上やら下やら横やらを向かせられる恥ずかしさもさることながら、ファイバーグラスが直腸内を通るとき、左脇腹が痛いのだ。医師によると、私の直腸は、その辺りでねじれているのだそうである。自慢ではないが、私はハラワタがネジクレタ者なのである。だから今だに、ネジクレ者として生きている。

酒は好きなように飲んでいる。深酒をしても、とうに父の亡くなった歳をこえている。

長くなったので、御伽婢子は休みます。

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2009年5月20日 (水)

評議委員会 十津川の仙境・3

5月20日(水)

K福祉会理事会、評議委員会。評議委員なんて、よほどのことがなければ。いてもいなくても良いようなもの。

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理事長や担当者の説明を聞き、時々資料を見ながら、机の下でこんな似顔絵を描いたりして・・・不謹慎ですな。

御伽婢子 通算11回

十津川の仙境・3

前回までのあらすじ 薬種商の長次は十津川に湯治に来たいた。ある日山奥に分け入ってみると、平家の落人の村に迷い込んだ。長次は泊めてもらった家で、三位の中将平維盛(タイラノコレモリ)が屋島から逃れるときの話を聞いている。

維盛の話しは続く。

~維盛が屋島を逃れるときに詠んだ歌。

 をりをりはしらぬうらじのもしほ草

      かきおく跡をかたみともみよ

~従者重景の返歌

 我おもひ空ふく風にたぐふらし

      かたぶく月にうつる夕ぐれ

~少年石童丸は涙を抑えて、

 たまぼこの道ゆきかねてのる舟に

       心はいとどあこがれにけり

~まるで知らぬ道を逃げ、虚しい思いを抱き、心はまことに頼りない。和歌山県を過ぎ、遠く都を眺めながら高野山に登り、滝口入道にあった。

~滝口入道の案内で聖地をめぐり、伊勢にいたり、岩田川で水垢離をとった。その時の歌。

 岩田川ちかいの舟にさほさして

        しずむ我が身も浮かびぬるかな

~神に願を掛けたので、沈んでいく身だけれど救いもあるだろう。それから新宮、那智を巡り、松の木を削って遺書を残す。

《権亮(ゴンノスケ)三位中将平維盛、戦場を出て、那智の浦に投身す。元暦元年(1184年)3月28日。維盛27歳。重景同じく27歳。石童丸18歳。

辞世の歌

  生まれてはつひに死てふことのみぞ

      定めなき世にさだめありける》

~定めなき世でありながら、生まれた者は必ず死ぬという事のみが定めである。と書いて、自殺したものと思わせ、実際にはこの山に隠れた。

~その後、どこで知ったのか肥後守貞能(サダヨシ)がここまで訪ねてきた。貞能の話しで、平家の一門が壇ノ浦で敗れて水中に没したこと、都に隠れた者もすべて討ち取られたことを知った。

~われらは良く逃れられたと思い、悲しみの中にも心を静め、田を植え、薪を取って暮らしてきた。それ以来、人が訪れることはない。花が咲けば春と知り、木の葉が散ると秋と思う生活だ。今は貞能、石童丸の子孫が増え、村を作って住んでいる。

~その後はおそらく頼朝の世になったのだろう。現在は誰の天下になったのか、教えてください」

その話を聞いて、長次は驚いてしまった。

「珍しく、山の中に集落があると思っただけなのに、そんな身分のある方々だったとは・・・」

「いやいや、昔はともかく、今は何の身分もないのです。それより、今の世の中の様子を教えてください」

そこへ、貞能、重景、石童丸などがやってきた。みんな60歳くらいに見える。

「どうか我々にも、今の世の中の様子を教えてください」

と口を揃える。

                       続く  

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2009年5月19日 (火)

川越散歩 十津川の仙境

5月19日(火)

歯科と内科の医院へ。そして銀行。

歯科は歯石取り。内科は血圧の薬をもらいに。銀行は、マンションの管理費の振り込み。マンションは自主管理(自分たちで管理組合を作っている)だが、管理費は、私が普段使っていない銀行に振り込むことになっている。私は1年に1回まとめて、その銀行に振り込むことにしている。

午前中は、そんなことで大方終わり。

午後、川越の散歩。

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この蔵造りの町並みが、川越の人気スポットらしい。30年前は、川越の小江戸も、そんなに人気はありませんでした。道には電柱も立っていました。せめてここを、歩行者専用道路にでもすればいいのですが、車の通りが激しい。その合間を見つけて写真を撮りました。ここがメイン道路なので、車を規制できないのでしょう。通りには蔵造り資料館などもあって、内部を見学することが出来ます。

菓子屋横町はこの近くですが、今日は行きませんでした

もう一つの観光スポット、時の金は、蔵造りの町並みからちょっと入った横町にあります。その横町に、ご隠居さんがいるかどうかは知りません。落語だったら、横町にご隠居さんがいるんですけどね。

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Imgp1428 これは三芳野天神。童謡「通りゃんせ」が生まれたところがそうです。川越城本丸御殿の裏なのですが、本丸御殿の方は、改修工事のため、現在見学できません。

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喜多院と、その境内にある池。喜多院はいつも人で賑わっているけれど、少し裏にはいると、静かなものです。子どもたちがザリガニを捕っていました。

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中院です。小さいけれど、美しい庭園があります。特に、しだれ桜のころは見事です。

御伽婢子 通算 10回

十津川の仙境 第2回

前回のあらすじ 薬種を商う長次は皮膚病の治療のため、十津川に湯治に来ていた。皮膚病がほぼ治ったので、薬草を探しに山奥に入り、道に迷う。そこで、古びた集落に入り込み、古風な人に会い、一夜の宿を取らせてもらう。

案内された家は、気品のある、清潔な家であった。長次は主に聞いた。

「こんな村があるとは知らなかった。なぜこんな人里離れたところに住むようになったのですか?」

「それはあまり話したくないのですが・・・」

「そんなことを言わずに、是非話した下さい」

「それほどいわれるなら・・・実は私たちは平家の者です。私は三位中将維盛(サンイノチュウジョウコレモリ)といいます。祖父は平清盛、父は平重盛です。

~一族は県政を際またが、東国に源頼朝が兵を挙げ、北国からは木曽義仲が決起しました。源氏の勢力は強く、平家は敗北が続き、ついに木曽義仲によって都を追われ、一ノ谷の戦では、源義経に敗れました。その戦いでは、多くの無精が討ち死にをしたのです。

~その後、私たちは四国の屋島に白を構えて立てこもりました。妻子とも離れ、心は都にあるけれども、いかんともしがたく、ただ虚しく日を過ごすのみ。将来の希望も持てず、逃げ出すことにしました。譜代の侍の重景、石道丸という少年、武里という舟の達人、この3人を連れて屋島を抜け出しました。

                         続く

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2009年5月18日 (月)

ふるさと 十津川の仙境

5月18日(月)

《ふるさとは遠きにありて思うもの》とうたったのは、たしか室生犀星だったような気がするが・・・。ふるさとを離れて60年近くも経つから、思い出すこともめったにない。さっきテレビで過疎の村の話しをしていたので、ふと思い出した。ふるさとの小学校が廃校になったのは、そんなに新しいことではない。紛れもなく過疎の村である。

秋田県、横手盆地のどん詰まり、村の半分は水田、半分は出羽丘陵の山並みというところだった。湯沢駅からの私鉄が、近くの町まで来ていた。その町の隣の村といいたいところだが、実は隣の、そのまた隣にあるのが、私の村だった。今はその町と合併して羽後町という。

この私鉄、何十年も昔になくなってしまった。西馬音内でというのがその町で、近ごろは西馬音内盆踊りで、知る人は知るというところだ。この町、西馬音内と書いて「ニシモナイ」と読む。知らなければ読めない難読地名だ。

50年くらいも前の話。東京で働いていた私の従妹が帰郷した。列車の中でたまたま帰郷する同級生に会い、西馬音内で私鉄を降り、村まで歩いて帰った。私の伯父は村で一つの演芸場を持っていて、年に何回かは旅役者が芝居などをやっていた。従妹の帰ったその日の夜、何人もの人が、伯父の演芸場で芝居があるらしいといって集まってきたという。

東京の格好をして二人ずれで歩いていたので、道筋の人は、旅役者が来たと勘違いしたのである。

当時から、そんな田舎でした。

○○

御伽婢子 通算 9回

   浅井了意・作 現代語訳 ぼんくらカエル

(第2巻)十津川の仙境

大阪に長次という者がいて、薬を商っていた。しかし皮膚病が治らなくて和歌山のと津川に湯治に来た。その温泉が良かったのかどうか、半月ばかりしたら、だいたい治ってしまった。

聞くところに依ると、この温泉の奥にはにんじんとか強壮剤となる百合とかが生えているという。何でも、一つ見つければ、その辺りには他にも沢山生えているのだそうだ。長次は湯治の慰みに、なんとか見つけてやろうと考えて、1人で山奥まで分け入っ、道に迷ってしまった。

谷に下ってみると、籠が流れてきた。さてはこの上流に人里があるに違いないと思い、谷に沿って登っていったが、日は暮れかかり、鳥はねぐらに帰っていく。そうこうするうちに、岩をくりぬいた門があったので、中に入ってみた。中には古びた家が5,60軒あり、犬波走り、鶏は屋根に上がっている。石垣には苔が生え、桑の枝、麻の葉が茂り、なかなか奥ゆかしい。

やや古風で烏帽子を被った気品のある人が、長次を見つけて、驚き、怪しんで聞いた。

「何でまたここにおられるのです。普通の人の来るところではないのに・・・」

長次はありのままに語った。その人はヨモギの靴を履き、あかざで作った白杖をつき、自ら三位の中将と名乗った。

「ここは山も深く、険しい。熊や狼もいるし狐も出る。もう日が暮れたことだし、今夜は泊まって行きなさい」

といって長次を家に案内した。

                           続く

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2009年5月17日 (日)

八つ手の植え替え 黄金100両、3

5月17日(日)

ベランダの八つ手と棕櫚の鉢を取り替える。

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おやおや、買ってきた鉢のラベルが付いたままだ。同じ場所に置いているのが歴然としてるね。ベランダの横のパイプがじゃま。神経の細かい人なら、もう少し考えて写真を撮るでしょう。

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ついでに部屋置きのテーブル椰子の鉢も取り替えました。これはあまり大きくしたくないのだけれど、近ごろ勢いが弱ってきたので、ひとまわり大きくしました。

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NHK囲碁トーナメントで対局中の棋士、左は鈴木歩棋士ですが、美人に描けなくてごめんなさい。描く人の腕が悪いのです。右は林子淵棋士。

Tati0012 この女性は囲碁対局解説者のアシスタント。アマチア6段だそうです。

もう少し暇があれば、私は碁もやりたいのです。いえ、本当は暇があればではなくて、もう少しエネルギーがあればでしょうね。碁をやるくらいの暇はあります。

御伽婢子 通算 8回

黄金100両 第3回

前回までのあらすじ 大阪の文兵次(アヤノヘイジ)は友人の由利源内に100両の金を貸した。その後、兵次は財産を失い、源内は出世した。しかし源内は言を左右して金を返してくれない。あまりの不実な態度に兵次は源内を殺そうとするが、思いとどまって、初瀬の観音にお参りに行った。そこで池に落ち立派な御殿に迷い込む。

兵次が休んでいると、長い眉と髭を持った、帽子を被った老人が出てきた。手には白杖を持っている。兵次に向かって、笑いながら、

「久しぶりだな。昔のことを覚えているかね?」

と聞く。兵次はひざまづいて、

「私はここへ来たのは初めてです。なんでこの道を通ったことなどありません」

「おまえは飢えに苦しんでいる。昔のことを忘れるのも無理はない。ここに梨とナツメがある。これを食べなさい」

それを食べると、兵次の心はさわやかになり、雲や霧が晴れてすっきりと月が出るように、過去のことを昨日のように思い出した。

老翁はいう。

「おまえは前世で、この辺りの領主だった。観音を信じて良くお参りに来たが、領民には辛く当たり、民百姓をむさぼった。そのために、死後は地獄へ堕ちるところだったが、観音の大悲をもって、再び人間界に送られたのだ。しばらくは富貴だったが、昔の因果で、今のように貧しくなった。それなのに源内の不義に腹を立て、殺そうなどと思った。しかし、思い直したのは立派である。この後はかりそめにも悪を働こうなどと思うな。善行を積み、安らかに一生を送りなさい」

そういわれて、兵次はここが人間界ではないことに気がついた。そこで、気になっていることを聞いた。

「今の世の中は麻のごとく乱れています。この先どのようになるのか教えてください」

「今の世の人の心は獣のようだ。臣は君に背き、子は親をはかる。兄弟は敵となり、常に争って、心の安まる暇もない」

老翁は諸国の行く末を鏡に映して、兵次に語った。

「由利源内はどうなるのでしょう?」

「間もなく彼の主人は打ち首になる。源内は3年を待たず家運がつきて災いがおよぶ。おまえは源内の傍にいてもろくな事はない。都を離れて笠取山のあたりに行きなさい。ここに10両ある。これをあげよう。持って行きなさい」

老翁に教えられた道を通って、兵次は家に帰った。その後。兵次は笠取山の奥に移り住んだ。源内はその主人と共に、織田信長によって殺された。兵次の子孫は今も残って、平穏に暮らしているという。

                           終わり

御伽婢子、13巻のうち 第1巻の終わり。

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2009年5月16日 (土)

つばさ会(俳句) 黄金100両

5月16日(土)

つばさ会。

私は俳句を始めて7年たつけれど、俳句が上手くなっているとは思えない。そのくせ生意気で、俳句の約束事などについて、疑問を持ったりする。なかなか素直に、ハイそうですか、という気分にならない。だから上達しないのだろう。

でも、俳句って本当に上達するのかなあ。「上手い人は、はじめから上手い。長年やると達者になるだけ」といった人がいたけれど、それが本当のような気がする。

俳句には、性質や好みが現れるよね。

  花見酒カップに落ちて蟻泳ぐ  ぼんくらカエル

  われら酒好き初蝶を見ても飲む     ”

飲んべえだから、こんな句ばかり作っている。もちろん初蝶は、見なくても飲むのです。

御伽婢子 通算 7回

黄金100両 第2回

前回のあらすじ 文兵次は由利源内が困っていたときに、黄金100両を貸した。その後、文治は災難に遭い無1文になった。源内は出世したので、金を返してもらおうとしたが、言を左右して返してくれない。

それから半年ばかりたって、12月になった。その年は何とか過ごしたけれど、新年を迎える手だてがない。文治は源内のもとへ行き、

「妻子は飢えている。わが家には餅をつく金もない。貸した金を全部ではなくても良いから、たとえ少しでも返してください」

と頼んだ。

「それは気の毒だけれど、私もわずかばかりの禄を食む身、とてもお返しすることは出来ない。とはいえ、明日使いを出して、米を少しとお金を少しお送りしましょう。それでとにかく、年を越してください」

と源次は言った。兵次は喜んで家に帰った。

しかし次の日、幾ら待ってもその使いは来ない。家の門に立ってそれらしい人を見るが、誰も文治の家には寄らない。とうとう1日過ぎてしまった。

もはや米もなければ、灯りをともす油もない。あんなに約束したのに友情を裏切り、悔しいこと限りがない。源内一家を皆殺しにして自分も死のうと思い、源内の屋敷に忍びこもうとした。しかし考えてみれば、源内はともかくその妻子に罪はない。源内を殺せば妻子は路頭に迷うことになる。天に誠があるならば、われにも生きる道はあるだろう、と思いとどまった。

家に帰り、源内を殺そうと思った刀などを売って、何とか正月3ヶ日は過ごした。次の朝、兵次は初瀬の観音様にお参りし、山に分け入った。そして、謝って山中の池に落ちた。すると水は左右に分かれて道が出来た。道を伝って200メートルほど進むと、立派な門がある。入ってみると、人の気配もなく静かで、古い趣のある松が立ち並ぶだけである。

そのまま奥に進んで御殿の入り口の階段のところまで来たが、咎める人もいない。ただ、鐘の音が遙かに聞こえるだけである。

兵次は疲れ果てて階に腰を掛けて休んだ。もはや倒れるほどだ。

                         続く

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2009年5月15日 (金)

またポカをした 黄金100両

5月15日(金)

昨日、扇風機を買いました。

私はビンボー人で、わが家には効きの悪いエアコンが1台あるだけです。なので、冬はコタツ、夏は扇風機で過ごすことが多い。その扇風機も去年は調子が悪かった。ついたり消えたりして、なかなか思うように動いてくれないのだ。時々分解したりして、自分なりに直してみたりしたが、快調というわけにはいかない。今年もぼつぼつ扇風機の必要な時期になったので、ヤマダ電機で買ってきたのである。

取扱説明書の指示に従って組み立て、しまうときのために残った段ボールの箱を天袋に入れようとした。そこで私が発見した物は、扇風機なんです。

一昨年、新しい扇風機を買っていたのだ。去年はそれを忘れて、時々止まる扇風機を、だましだまし使っていた。

単なるポカか惚けか、それが問題だ。

水彩画の会。

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これが今日の水彩画です。

御伽婢子 通算 7回

黄金100両 第1回

大阪の平野と言うところに文兵次(アヤノヘイジ)という金持ちが住んでいた。兵次は情け深い男だった。

近くに由利源内というこざかしい男がいて、兵次の友達だった。由利源内は松永長慶(マツナガナガヨシ)に召し抱えられ、老母や妻子を奈良へ引っ越させた。その費用に困り、兵次から黄金100両を借りた。兵次は親しい友達のことでもあり、借用書ももらわずに貸してやった。

その頃、大阪や兵庫の辺りは、細川家と三好家の諍いがあり、大いに乱れていた。ある時兵次は、そのとっばちりで、財産をすべて奪われてしまった。

弘治年中(1555-1556)少し静かになったので、三好は京都にいて、その家老松永が、大阪南部を支配し、城を構え、民百姓をむさぼっていた。

そこで兵次は大阪南部に行き、妻子を宿に残し、源内に会いに行った。松永の家は賑々しく、兵次はやつれ果てて昔の面影はない。源内は兵次を見ても思い出さなかったが、名乗ると思い出して、酒などを勧めた。しかし、借金のことは一言も口にせず、兵次も言い出しかねて帰った。

手ぶらで帰った兵次を見て、妻が言った。

「源内さんからお金を返して貰えると思えばこそ、ここまで来たのに、わずかに酒を飲まされただけで、100両の金のことを言わずに帰るとは何事ですか。そんなことでは、私たちは路傍に飢え死にするばかりです」

確かにその通りである。翌日、夜明けを待ちきれず、兵次はまた出かけていって、源内にあった。

「そういえば、確かに金を借りたような気がする。その節はお世話になった。借用書を持ってこられよ。借用書通りに返しましょう」

と源内は言う。

「近くに住み、親しい仲だったから、借用書など取らずに貸したのです。今私は生活に困っています。助けると思って、あのお金を返して下さい」

兵次の答えに源内は打ち笑い、

「借用書が無くては返しようがないではないか。借りた金額を、私が思い出したら、その時に返しましょう」といって兵次を返した。

                      続く

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2009年5月14日 (木)

ボラグループ定例会 竜宮の棟上げ6

5月14日(木)

ボラグループ定例会。我々のグループも高齢化で、活力が無くなりました。親の世話をしなければならない人、孫の面倒を見なければならない人も増えた。外国旅行中の人、他のボランティアをしている人もいたが、今日の出席者は7名のみ。

犬とおばさんのクロッキー

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お粗末な絵でございます。 メモ用紙に描きました。御目が汚れませんように。

御伽婢子 通算 6回

竜宮の棟上げ 6

前回までのあらすじ 琵琶湖畔に隠れ住む真上阿祈奈君は竜宮に招かれ、新しい宮殿のための祝言を書く。その後宴会も終わり、竜宮の案内を願い、雷や大風、洪水を起こす道具を見せてもらう。

「これはまた大変な道具を見せてもらいました。ところでこの道具を使う役人はどこにいるのですか?」

「雷公電母、風伯、雨師はきわめて荒っぽい性格なので、普段は牢獄に閉じこめている。彼らの思う通りにやらせたら、何をしでかすか知れたものではない。彼らが仕事をするときは、、雨、風、雷の分量を決めて、それ以上させないようにしている。もし守らなければ、罰を与える」

竜宮は広くて、すべてを見学することは出来ない。真上は案内の役人と共に、もとの場所に帰った。竜王は真上に真珠と氷で出来た絹をみやげに持たせた。そして役人に、家まで送り返させた。

真上が目をつむると、空を駈ける心地がして、琵琶湖の勢多の橋の麓に着いた。真上は持ち帰った真珠と絹を宝物として、修行を重ね、居場所を隠し、その後のことは知る人もない。

                           終わり      

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2009年5月13日 (水)

世界バラ展 竜宮の棟上げ5

5月13日(水)

所沢西武球場で、世界バラ展を見る。

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まずはこの人だかり。 バラにそれほど興味があったわけではないけれど、会場近くに昔の知人がいたので、会いたくなって出かけたというのが実状。ところがその知人、バラは見たくないというので、帰りに会うことにして、1人でバラ展を見る。

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これがガーデニング部門大賞の作品。人だかりで、もっと良い角度からは写せなかった。

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 バラの下に白バラのあるバラの園  ぼんくらカエル

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バラと人に疲れて友人の家へ。友人とはいえ、会うのは何十年ぶりだ。私が琴作りの見習いだったころ、彼は三味線作りの見習いだった。共通の知人、誰、彼、のうわさ話に時を忘れる。私もよく喋るが、彼は私の上を行く。ほとんど聞き役。

犬(マルチーズというのかな?)を2匹飼っている。その犬の人なつっこいことと言ったらない。初対面の私に尻尾を振り、膝に乗り、手を甘噛みし、腕を舐め、頬を舐め、耳までなめ回す。2匹でその調子だから、くすぐったいやら、せわしないやら。

秋頃また会う約束をして別れる。

御伽婢子 通算 5回

竜宮の棟上げ 第5回

前回までのあらすじ 琵琶湖畔に隠棲する真上阿気奈君は、竜宮に招かれ、新宮殿の棟上げの祝言を頼まれる。祝言を書いて梁に掲げた後宴会になり、カニの精や亀の精たちの歌や踊りを見る。

酒宴はたけなわとなり、江の神、河の神、淵の神は客座を立ち、帰っていった。

真上は竜王に、、竜宮内の見物を願ってゆるされた。真上は庭に出たが、雲に隠れて何も見えない。竜王は雲をつかさどる役人を呼んだ。その頭には7つの輪がある兜を被り、鼻は高く、口は大きい。ハマグリの精に違いない。彼は口をすぼめて息を吐いた。すると雲は開け、数十里先まで見渡せるようになった。

庭の様子は、玉の植木を連ね、梢には五色の花を咲かせている。地には金や瑠璃の砂利を敷き、池には蓮の花が香りも高く咲いている。

竜王は役人を1人付けて、案内させた。

一つの楼閣があった。水晶で作られ、玉がちりばめられている。これに登ると空の上にいるような心地がした。

「ここは、神通力のある者しか登ることができないのです」

また、もう一つの高殿に登る。傍に丸い鏡のようなものがある。きらきらと輝いて、目を開けてみるには眩しい。

「これは何ですか」

「電母の鏡です。少し動かせば稲妻が走るのです。その近くにある大小の太鼓は、雷を落とす道具です」

真上は少し太鼓を打ってみたくなったが、役人が押しとどめた。

「これは雷公の鼓です。あなたが打ったりしたら、人間界は大変なことになります。大地は裂け、雷鳴はとどろき、人はみな肝をつぶし、死んでしまう事でしょう。死ななかったとしても、耳が聞こえなくなるでしょう」

傍らには、ふいごのような物があった。

「これにも触らないで下さい。これを動かせば、強風が吹き荒れ、やまは崩れ、岩石は空に舞い上がります。その傍の水瓶と箒も、触ってはいけない物です。この箒を水瓶に入れて振り回すと、人間界は大洪水に襲われます」

                           続く

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2009年5月12日 (火)

小沢代表辞任 竜宮の棟上げ 4

5月12日(火)

昨日、小沢一郎が民主党代表を辞めた。今やめるのは無責任だという声もあるけれど、私はやめて良かったと思っている。むしろ遅すぎた。遅かったおかげで、民主党の支持率は、少しずつ下がっていた。

多分、小川一郎は政治資金規正法の違反はしていないのだろう。説明責任、説明責任といわれるが、収支などは明細にしているようだし、それ以上何を説明しろというのだろうか。

小沢一郎は法律を犯してはいないのだろう。それでも私は、早くやめるべきだったと思う。たとえ合法的であっても、企業から大量の献金をもらうというのは、自民党と同じ体質であることを思わせる。それが嫌なのだ。それと、党首討論を避ける人が党首では困ると思う。寝技だけでなく、堂々と党首討論をすべきだ。

特定の企業や、官僚との癒着を断つには、一度政権を交代させなければならない。そのためには、党首が誰であれ、今回は民主党に勝ってもらいたいと私は思っている。

今日のニュースでは、鳩山さんが有力と言うことだが、私は管さんか岡田さんになってもらいたいと思うなあ。

政治の話しなんて、しちゃいました。

御伽婢子 通算4回

竜宮の棟上げ 第4回

前回までのあらすじ 琵琶湖畔に隠棲する真上阿祈奈君は竜宮に迎えられ、新しい宮殿の棟上げの祝言を求められる。その祝言を書き終えて、宴会が始まろうとしている。

竜王に言葉を掛けられ、今はなにもはばかることもないと、真上は盃を取った。

二十歳くらいの美女が10数人出てきて、雪の衣を翻し、舞、歌った。その美しさは、この世のこととは思えない。玉のかんざしに花を飾り、美しくたおやかな歌声を雲に響かせ、舞い踊った。

次に登場したのは、飾り立てた10人ばかりの子どもたち。まるでおひな様のように可愛い。音楽に合わせて、袂を翻し、澄み切った声で歌う。

竜王は喜び、自ら真上の杯に酒をつぎ、歌った。そして言った。

「皆のもの、客人に、何か芸を見せなさい」

最初に進み出たのはカニの精である。

~わが谷は岩間に隠れ、桂の稔る秋ともなれば、月は清くして風は涼しい。嬉しさに河に遊び海に泳ぐ。わが腹には黄を含み、外は丸くて固い。二つの目は空を望み、八つの足にまたがり、その形は乙女の笑いを呼ぶ。食せばその味は兵の頬を喜ばす。鎧をまとい鉾を取り、泡を吹いて目を回す。

と唄いながら、右に走り、左に駆ける。カニの仲間は手拍子を取り、座中は笑いの壺に入ったように笑い転げた。

次に進み出たのは亀の精。袖を翻して拍子を取り、首を伸ばしたり縮めたりして歌い出す。

~われは萩の草むらに隠れ、蓮の葉の上に遊び、文字を背負って水に浮く。網を被って夢を見る。我が甲羅は、占いに使われ、胸は兵の気を含む。世の宝となって道を教え、6角の甲をして1000年の齢を保つ。気を吐けば糸のごとく、尾を引いて楽を究。青海の舞を舞うべし。

と頭を動かし、首をちじめ、目を白黒させ、足を上げて舞う。満座の者、腹を抱え、声を上げて笑う。

そのほか、エビ、蛤、こだま、山彦、魚たち、それぞれが芸を尽くした。

                       続く

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2009年5月11日 (月)

いろいろ

5月11日(月)

精障者作業所Mへ。

畑の草取り、包丁研ぎ、メンバーさんの話し相手、棚を作るための図面書き、材木買い、など。

私は参加できなかったが、昨日の山の会では、トラブルがあったようだ。マイクロバスを仕立てて赤城の山へ行くはずだったのだが、バス会社との連絡が取れていなかったらしい。

結局、関八州見晴台に行ったという。ツツジは見事だったようだ。あそこのツツジ、満開の時は確かにすばらしい。

みんな家には遅くなると言って出ているので、帰ってからも、何人かはカラオケで時間をつぶしたりしたとか。

誰かが怪我をしたというようなトラブルでなくて良かった。

トラブルといえば、水彩画の会も、6月は公民館の予約の抽選が、全部はずれた。抽選にはずれた場合は、11日以後、日にちを選び空き部屋を探して予約申込をすることになる。これはもう、早い者勝ちで、受付は5時から、パソコンで行う。今年は私は副会長ということで、その予約などを行わなければならない。したがって、今朝は5時起き。第1と題3の金曜日に予約が取れて、やれやれと言ったところだ。

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竜宮の棟上げ 3

5月11日(月)

御伽婢子 通算 3回

竜宮の棟上げ 第3回

前回までのあらすじ 真上阿祈奈君(まがみあきなきみ)は竜王に招かれ、竜宮に来ている。竜王は新しい宮殿を建てている。真上はその棟上げに飾る祝言を書くように求められる。

頭の上に二つの輪を作った髪型の、12,3歳の子供が2人出てきた。1人は碧玉の硯、斑のある竹に犀の毛で作った筆、神の庭で作ったあかざの灰と麝香を加えた墨汁を持っている。他の1人は、水神が織った絹を持って来て真上の前に広げた。

真上は断るわけにも行かず、筆を染めて書き始めた。

《天地の間に、わだつみほど大いなるものはない。生きとし生けるものは、龍神をあがめ奉る。常に世を潤している。なんでその喜びを述べずにいられるだろうか。

《まさにこの月のこの日、竜王は新しく玉の御殿を造られた。水晶珊瑚の柱を立て、琥珀硬玉の梁を作る。珠のすだれを巻き上げれば、山の雲は青く麗しい。玉の戸を開けば、白いかすみが山を巡る。

《天は高く、地は厚く、南の海8千里を鎮め、北の渚500の淵を治める。空の上から泉のそこまで、その恵みを受け、竜王は哀れみを授ける。その力は古今を通じ、その幸いは河原の石ころにまでおよぶ。年古りた亀、錦鯉は踊って祝い、こだまや山彦は集まって喜ぶ。

《ここに歌1曲を作って、宮殿の梁に掲げる。

   扶桑海淵落瑶宮 水族駢テン承徳化

   万籟唱和慶賛歌 若神河伯朝宗駕

《東海の淵に御殿を建て 水族は並んで徳化に従う すべての風は喜びをうたい すべての河の神も諸侯も謁見して喜びを述べる》

  をさまれるみちぞしるけき龍の宮

    世はひさかたのつきじとをしる

《龍の宮はいつまでもつきないと歌にし、願わくば、棟上げの後、世は幸せに満ち、宮は穏やかに、わだつみは平穏に、治まりますように。天の日月と同じように永遠に続くことを疑いません。

と書いて、竜王に奉った。

竜王は大いに喜び、3人の客に見せた。3人の客も真上を褒めた。

竜王は言う。あなたは人間なので知らないだろうが、この3人は江の神、河の神、淵の神です。みんなあなたの友達と思い、心ゆくまで遊びなさい。さあ、棟上げの宴を開こう。

                            続く

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2009年5月10日 (日)

竜宮の棟上げ 2

5月10日(日)

御伽婢子 通算 2回

竜宮の棟上げ 第2回

前回のあらすじ 琵琶湖のほとりに隠れ住む真上阿祈奈君は、竜宮からの使者に連れられて不思議な馬野のり、雲の上を飛んで立派な門のところまで来た。

エビの頭にカニの甲羅を持ちハマグリの兜を被った者達が、槍や長刀を持って門番を務めていた。門番達は真上を見ると、皆ひざまづき、頭を垂れて迎えた。

真上は案内の者に導かれて門をくぐり、50メートルほど進むと、水晶の宮殿があった。階段を上っていくと、美しい雲の冠を被り、飛び行く雲を剣にした竜王が笏を持って真上を迎えた。竜王は真上を白い玉の床に座らせた。

真上はかしこまって、

「私は日本国の平凡な人間です。いずれ草木と共に朽ち果てる身です。なんで神王に上客としての扱いを受けるのでしょう?」

と聞いた。

「あなたの名前は、前から聞いていた。今日初めてお迎えしたが、遠慮するにはおよびません」

竜王は自らも七宝で飾られた玉座に座った。

そこにまた来客があり、竜王は階段まで迎えに行った。

客は3人で、いずれも、まるでこの世の人とも思えないほど、気高い様子である。玉の冠を戴き、錦の袖を抑え、威儀を正して静かに殿上に登り、床に座った。真上は驚いて、下座に移動した。竜王は3人の客に、

「今日は人間世界の学者を迎えた」

と、真上を紹介する。真上は深々と頭を下げて言った。

「私は人間世界の小臣です。卑しい人間が、なんでこのような高貴な方々と、席を同じくすることが出来るでしょうか」

3人の客は言う。

「人間界と竜宮は通路が耐えているけれども、竜王の人間を見る目は確かである。竜王が迎えた以上は、ただの人ではない。遠慮は無用である」

真上がもとの場所に座ると、竜王が言った。

「このたび私は新しい宮殿を造った。玉の礎、虹の棟木、何もかも備わっているけれども、足りないものは祝いの言葉である。真上殿は学識深く、徳高い者であることは紛れもない。そのために今日はわざわざ招いたのである。私のために、一編の祝言を書き給え」

                        続く

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認知症サポーター養成講座

5月10日(日)

通常であれば、山の会の例会に参加していた。今日は赤城山に行ったはずである。

車椅子の会で、認知症サポーター養成講座というのを受ける。話の内容はきわめて常識的なものだ。その講座を受講して、私もサポーターの仲間入り? サポーターの資格を示すオレンジ色の腕輪をもらう。

俗に「頭を使う人はぼけない」などというが、怪しいものだ。作家の丹羽文夫だってアルツハイマーになったのである。彼は、私などより何10倍も頭を使っていただろう。

スポーツをやったから肉体が鍛えられて病気にならないとか、たばこを吸わないから肺ガンにならない、とは言えないのである。スポーツ選手だった人でも筋萎縮症になる人はいるだろう。たばこを吸わず、吸う人のそばに行かないように注意していた人でも、肺ガンになる事もある。

頭を使う人はぼけにくい、ということはあるかも知れないが、使っていればぼけないとは言えないのである。頭を使っていればぼけないと信じている人は、現実を見ていない、つまり、頭を使ってまわりを観察していないんですね。

これから。『御伽婢子』の2回目を書きます。気が向いたらそちらも見てください。

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2009年5月 9日 (土)

竜宮の棟上げ

5月9日(土)

御伽婢子(おとぎぼうこ)

   原作 浅井了意  

   現代語訳 ぼんくらカエル

竜宮の棟上げ(その1)

滋賀県の勢多の大橋は、その頃としては最も大きな橋だった。橋の近くには、唐崎、塩津、海津などの名勝があり、琵琶湖に浮かぶ舟など、夢のように美しく見える。石山寺の鐘の音は余韻嫋々として、しなの里の蓮の花はかぐわしく、田上山の夕日は冴えわたる。夏ともなれば数限りなく蛍が飛び交い、あるいは車輪のように丸くなり、あるいは砕けてハラハラと湖面に散る。風流の心のある人は好んでこの地を訪れ、歌を詠み、言葉を尽くして賛美した。

橋の近くに、小さな祠がある。昔、俵藤太秀郷が、この辺りから竜宮へ行ったと言われていた。

永正年中(1500-1526年)、琵琶湖のほとり松本というところに、真上阿祈奈君(まがみあきなきみ)という人が住んでいた。もともと才能のある人で官職に就いていたのだが、世の中のありさまに嫌気がさして、官職を捨てて引退し、静かに世を送っていた。

ある時、いずまいを正した2人の者が来て、

「私どもは竜宮の使いです。是非訪ねていただきたく、お迎えに参りました」

という。真上は驚いて言った。

「昔は竜宮へ行く人もあったと聞くが、今は竜宮へ行く道などありはしない。無理な話です」

「いいえ、私どもがご案内いたします。門の前に馬を繋いであります。どうかその馬に乗ってください」

訝しく思いながらも真上が門に出てみると、立派な馬が繋いであった。真上を見ると、10人あまりの従者が立ち上がり、真上を馬に乗せた。先ほどの使者は先頭を走り、馬は空中を飛んで走る。足の下は、雲と煙のほかは何も見えない。

しばらくすると、馬は立派な門の前に止まった。真上は馬から下りてその門の前に立った。

                        続く

    

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散歩とスケッチ

5月9日(土)

夏のように暑い1日。いえ、暦の上では夏、俳句をやる人も今は夏です。

昨日の洗濯の、残り半分をする。これで孫たち関係のの洗濯は終わり。

散歩。私の散歩コースは幾つか決まったものがあって、今日は入間川コース。

Tati0009

Tati0011_2

今日から浅井了意の「御伽婢子」の現代語訳をはじめます。まあ、ぼけ防止のためにやるようなものですから、読み手があろうが無かろうが、見切り発車ではじめます。

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2009年5月 8日 (金)

浅井了意と御伽婢子

5月8日(金)

このところ天気が悪く、孫たちが帰ってから今日まで、洗濯が出来なかった。9時半ごろ、薄日が差してきたと思ったので、洗濯をはじめる。洗濯物が山ほどあるので、取りあえずその半分だけ洗濯する。

特養老人ホームSへ。なんと、帰るころには雨になっていた。洗濯物はベランダに干したのだから、濡れはしないけれど、今日乾くというわけにはいかない。

大根の葉のふりかけを作ってみる。まあまあのものが出来ました。材料は、大根の葉、干しえび、いりごま、削り節などです。

前にこのブログで、浅井了意の『狗張り子』の現代語訳をしてみましたが、こんど『御伽婢子(おとぎぼうこ)』の意訳をしてみようと思います。

『狗張り子』の時は、いろいろ誤訳もあったようですが、原則として逐語訳をしました。もっとも、山海の珍味として猿の脳みそや鹿の胎児が出てきたときには、とても訳す気は起きませんでしたけれど・・・。

浅野了意は多作の人で、学識豊かであり、かな草紙以外にも多くの著書があるようです。しかし『御伽婢子』は彼の代表作といえるでしょう。今回、逐語訳ではなく意訳にする理由は、訳す私が退屈しないためです。

私は怪談や荒唐無稽な話しに興味があるのです。浅井了意のお説教を聞きたいとは思わないし、本筋に関係のない、くどくどした話はカットしたいと思うためです。一度経験しましたから、『狗張り子』の時よりは誤訳も少なくなるでしょう。自分自身にも興味が持てるような訳になればいいなと思います。

2.3日中にはじめます。

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2009年5月 7日 (木)

文明の逆説

3月7日(木)

例の通り、パソコンにむかってから何を書くか考えています。何もないなあ。

今読んでいる本は、立花隆の『文明の逆説』と、磯部潮という人の『人格障害かも知れない』。どちらも古本で買ったもの。

立花隆の本は1970年前後に書いたものをまとめて1冊にしたもので、内容に古さを感じるところはある。現代文明や、人類が内部崩壊をはじめたのではないかという立場で書かれており、基本的には、納得できる内容である。

通常の神経では理解不能な殺人事件などについて、「この問題の根幹には、過密文明社会が、人間の生物的本姓を極限まで抑制していることがある」と、小林登、東大教授の説を引用している。そうだろうねえ。

あるいは、こんな記述もある。

「ストレス学説の教えるところは、個人差はあっても、人間に耐えられるストレス総量には限度があるということである、限度に近づくと、肉体が狂うか、精神が狂うかし、それでも駄目なときは死ぬほかない」

「あらゆる文明は外からの攻撃によってではなく、内部からの崩壊によって破滅する」(トインビーの説)。外部からの攻撃は、そのきっかけを与えているに過ぎない。滅びるべくして滅びると言うこと(ぼんくらカエルの解釈)。

「現代人の周囲には大脳が受け止めて処理しきれないほどおびただしい情報が流れている。受け止める能力の限界が、手前勝手な情報の選択という現象を起こす。その時肝心な情報を取り入れない可能性が強い。(中略)過剰情報ととことんつきあおうと思ったら頭がおかしくなる。短略行動は、大脳生理の防衛機構とも言える」。現代人は、だから短略行動で理解不能な殺人などをする(ぼんくらカエルの解釈)。

そして立花隆は、人類の大量滅亡までを予測する。ウーン。現代文明が、もう、行き詰まりであることは確かだと思うが・・・。

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2009年5月 6日 (水)

いかの塩辛

5月6日(水)

今日はなんで休日なのかとカレンダーを見たら、「振り替え休日」と書いてあった。ああそうか、3日が憲法記念日で、日曜日と重なったから、日曜日の分を今日休むのだな。何年前までかは覚えていないが、以前は日曜と休日が重なっても、振り替え休日なんて無かった。

年寄りは、一度覚えたことを、覚え変えるのが苦手だ。パソコンはこれが多いんだよね。困ってしまう。

この話題だけ書いても、1日分の日記は出来る。でも、今日は違う話を書きます。

私は妻に先立たれた一人者の年寄りだから、否応無しで家事をしなければならない。料理や洗濯、掃除は家事の3大要素である。料理のためには、食料品の買い出しに行かなければならない。食料品の買い物はスーパーでしている。

スーパーでの買い方は、人によって違いがあるだろう。今日は○○料理だから、それに合わせて食材を買う、という方法もある。特に何を作ると決めているわけではないが、美味しそうなものがあったらそれを買う、というのも一つの方法だ。

私などは、とにかく安いものを買う。肉、魚、野菜、果物、のバランスは考えるが、買うのは安いものと相場が決まっている。蟹や鮟鱇は、「有ることは知っています」という程度のものだ。栄養のバランスを考えた上で、安物を買い、家に帰って、冷凍したり冷蔵庫に入れたり、必要な処理をする。後は、冷蔵庫の中を見て、あるものでおかずを作るのである。

そんなとき頼りになるのが、インターネットのレシピである。最近は良くこれを利用する。

昨日買い物に行ったら、スルメイカの安いのがあった。小振りなイカだったが、6杯で300円。これは安い。一人者にイカ6杯というのは多すぎるけれども、冷凍すれば何とかなる。安物買いの私としては、逃す手はない。

家に帰ってから考えた。6杯も買ったのだから、そのうち2杯くらいで塩辛を作ってみよう。で、インタ^ネットのレシピを見ました。その一つに、恐ろしいことが書いてありましたね。生のイカには、往々にしてアニサキスという寄生虫がいるんだって。これは酢漬けや塩漬けくらいでは死なないそうです。これを食べちゃうと、入院騒ぎになるそうです。

イカの身についているアニサキスは、注意深く見れば分かるらしい。また、よく洗えば洗い流すことが出来るという。しかし内臓にいるものは、そんなことが出来ないそうです。幸いなことに、冷凍庫に1晩くらい置けば、アニタキスは死ぬといいます。私は用心して、24時間冷凍庫に置きました。そしてレシピにしたがって、塩辛を作りました。上手く作れたかかどうかは、4-5日後に分かります。

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2009年5月 5日 (火)

もとの1人になりにけり

5月5日(火)

子どもたちや孫たちが帰り、もとの1人になりました。

長女の婿殿(多分この言い方は間違っています。娘の連れ合いはわが家の跡取りになったわけではありません。娘の方が嫁に行ったのです。)は報道関係の仕事をする人で、明日は横浜で仕事があるのだそうです。あいにくの雨、詳しくは聞きませんでしたが、外の仕事のようです。

孫たちには、たまに会うだけなので、その成長ぶりには驚かされます。上の子は、ここへ来て急に背がのびだしたようです。娘も婿殿も、小学生時代は小さくて、中学生になるころから急に背が高くなった人なので、孫も同じなのかな。

Imgp1366 Imgp1283

上の写真、右は4月29日、左は昨日撮ったもの。ベランダの八つ手。若葉の成長の早さに驚いています。孫も八つ手も伸びる時期?

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2009年5月 4日 (月)

賑やかな食事

5月4日(月)

長女の家族と共に、所沢の次女の家へ行く。

10時頃家を出て、航空公園で途中下車。公園を通過して、次女の家まで歩く。

私たちの到着が遅かったせいか、次女は途中まで出迎えに来ていた。次女の家で昼食。ビールなども飲みました。3匹の猫は皆臆病で人見知り。私たちが家にはいると、皆脱兎のごとく逃げる。

昼食後、全員でまた航空公園へ。来るときは私の道案内だったが、こんどは次女の道案内。私は随分遠回りをしていたようだ。

航空公園はことのほか、家族連れが多く、人工の小川の辺りには、子どもたちが水遊びで賑わっている。長女の家族、次女夫婦共々、わが家で夕食。7人で囲む食卓は、賑やかで良いですね。今日1日のことだけれど・・・。

少々疲れました。飲み疲れかな?

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2009年5月 3日 (日)

長女の家族

5月3日(日)

長女とその家族、来る。孫2人いるが、共に女の子で、上の方は背が低かった。しかし、今日見た第一印象は、「大きくなった」という感じ。両親(長女とその連れ合い)も小学生のころは低くて、その後急に伸びた人である。孫にもその時期がやってきたのかも知れない。

元来食の細い子だったが、今日はよく食べた。延びるんだもの、食べなきゃしょうがない。

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2009年5月 2日 (土)

岩根山

5月2日(土)

山行、長瀞町の岩根山へ。ツツジで有名な山だけれど、少し早すぎたようだ。

Imgp1340

後2週間もすれば全山満開と思う。現在でも、日当たりの良いところでは上の写真のように咲いています。

Imgp1338 そして、蛇もいました。1.5メートルくらい有ったと思います。これは青大将かな。蛇は気持ちの悪い存在で、私も好きではないけれど、きゃあきゃあ言うほどのことはない。日本の蛇で、ハブや蝮以外では、人間に噛みつくものはいないはず。

岩根山を下りても、まだ12時。帰るには早すぎるので長瀞へ向かう。

Tati0009

例によって、車中のスケッチも。

Tati0010 この女性どこか変だと思ったら、手が短い。

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2009年5月 1日 (金)

手づくりカレー

5月1日(金)

今日もまた、パソコンの前に座って、なにを書こうかと考えている始末。

今日はメーデー。私にも多少の思い出はある。でも、何だか書く気がしない。

先日、カレー専門の食堂で、手づくりカレーなんて言う宣伝文句を見ちゃった。なんか変な気がしたね。カレー専門店で手づくりじゃないカレーを売るとしたら、なんだろう。「3分間待つのだぞ」のインスタントカレーかなあ。「3分間待つのだぞ」なんてコマーシャルが出てくる辺り、私もふるいや。

なんでも機械で大量生産されるようになって、その反動からか、手づくりブームだ。何だか知らないが、手づくりでありさえすればいいもので、ありがたがるようである。

それにしても、カレーの手づくりというのは気になるなあ。自家製のルーを作ると言うことかな。カレーに入れる鶏や牛の肉を手づくりしているというのではないだろう。もっとも、肉の手づくりなんてしようがないよね。まさかひよこを飼って鶏にし、自分でひねるなんて事は出来ないでしょう。なんでも手づくりという時代だから、カレー屋さんも、手づくりなんて言い出したんだね。

そこへいくと、さすがに寿司屋さんなんかは、手づくりの鮨、なんて宣伝はしないね。手で握るのが当たり前で、鮨が機械の先から出てきたら、食べる気がしなもんね。

私のブログですが、手づくりブログでございます。白い紙に万年筆で、1字1字手で書いて・・・そんなわけないか。

特養Sへ。お年寄りの相手をしているうち、ベランダのプランターに野菜を植えるから手伝ってくれなんていわれて、ナス、キュウリ、トマトなどの苗をを植えました。

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