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2009年4月11日 (土)

俳句について

4月11日(土)

先日、山の帰り、稲荷山公園の夜桜見物をした。Sさんが花吹雪が酒のカップに入ったりするのを俳句に詠めという。

私は俳句を始めて6-7年になるから、もう俳人みたいになればいいのだけれど、いまだに俳句を外から見るような気分が抜けない。あまり熱心ではないからでしょうね。

俳句を作るひとは、何十万人、何百万人といるわけでしょう。その人達が、桜を詠んだりするわけです。花びらがコップに入るのだって、多くの人が詠んでいるでしょう。その中で特色を出そうとしたら、言葉のアヤで考えたり、少しひねってみたりするわけです。時には、奇をてらうような表現だってしかねません。

坪内稔典氏の

  三月の甘納豆のうふふふふ

などという句は有名ですが、これだってひとの意表をつこうとした気持ちがあると思います。普通のことを普通に詠んでいい句にするなんてことは、もう難しくなっているんですよね。

俳句にはいろいろな約束事があります。「必ず季語を入れる」「一つの句に『や』と『かな』『けり』を使ってはいけない」「三段切れはいけない」「季重なりはいけない」などとうるさいことです。

そういう約束事を絶対だと思う人もいるようです。しかしどうでしょうか。季重なりがあろうと季語が無かろうと、優れた詩と言えるものがあったら、それは良い俳句のはずです。「や」と「かな、けり」を同時に使ってはいけないとか、三段切れはいけないとか言うのも同じで、その約束を守る方が俳句を作る上では無難ですよ、ということなのだ。

それを、何でも教えられた通りに覚えて信じる人達は、それを金科玉条にしてしまう。なぜその約束事が出来たのかを考えるならば、場合によってはその約束事を破っても良いのだと言うことが分かるはずなのだ。

俳句は、芸事のような面もあります。お師匠さんが弟子に教える方便として、「季語を入れること」「季重なり」を避けること等々を教えるわけですね。家元は弟子を俳句上手にしなくてはなりませんから、無難な方法を教えるわけです。

でも、それはあくまで無難な方法であって、絶対ではないと思います。その約束を破っても、良い詩は、良い俳句なのです。

誰でも知っている例を幾つか挙げましょう。

  目には青葉山ほととぎす初鰹  素堂

これは三段切れです。

  しんしんと肺碧きまで海の旅  渡辺白泉

これは無季です。

  降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男

「や」と「けり」を使っています。

これを駄目な俳句という人は、よほどすばらしい俳句を作っているんでしょうね。

花吹雪から脱線しちゃった。単色で描いた稲荷山公園のスケッチをのせます。

Tati0011   

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