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2009年4月 4日 (土)

そういう者に私はなっている

4月4日(土)

桜、東京は昨日満開。狭山市辺りは1日遅れで今日満開。

彩の森公園はソメイヨシノと山桜(あるいは大島桜か)が半々くらい。うすみどりの葉と真っ白な花、私は山桜の方が好きである。ソメイヨシノよりも高潔な気がする。

勝海舟の『氷川清話』を読んでいる。やはり、当時の最も優れた日本人といえるのでしょうね。

勝部真長の「勝海舟伝」もついていて、そちらを先に読む。

江戸城明け渡しを西郷と話しあったことは有名ですが、その4年前に、西郷と会っているんですね。その時の様子を西郷隆盛が大久保利通に知らせた手紙が残っているそうだ。その見識や知略を褒めた後で「現事に候ては、この勝先生とひどく惚れ申し候」というのだから、江戸城の時は、お互いの肝胆相照らす中だったのだろう。

福沢諭吉が『痩せ我慢にの説』で榎本武楊や海舟を批判したときの海舟の答え、正確にはなんと言ったのか知りたいと思っていた。それはどうやら次のようなものだ。

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らずと存候」

正確な言葉で覚えておくのは難しいな。これまで通り、「行動するのは自分、褒めたりけなしたりするのは他人、自分は信念に従って行動するのだから、他人の批評なんか知っちゃあいないよ」テナ覚え方で行きましょう。

しかし、この言葉はすごいですね。海舟は幕末の剣豪島田虎之助の免許皆伝を受けていたので、剣道は生半可な腕ではなかったはず。それなのに自分の刀は紙こよりで封をして、簡単には抜けないようにしていたという。10何回も命を狙われたのに、自ら刀を抜くことなしに一生を終えたようだ。体には、あちこち切りつけられた傷があったという。本人も言っているが、事に当たるときは、命を捨ててかかっていたのでしょう。

宮澤賢治は「褒められもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい」とうたった。

海舟は批評から超越していた。賢治は批評の外にいたかった。

毀誉褒貶があるのは、何事かをしているからであって、私などは「褒められも、苦にもされず」に生きている。何にもしない、する能力がないんだもの。みんなそれぞれ、自分の力量に合わせて生きるんだね。

最後は遊びです。

Tati0009 これイチローに見えますかね。新聞の写真から描いてみました。

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