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2009年3月31日 (火)

『福翁自伝』の感想

3月31日(火)

『福翁自伝』を読んで「へえー、そうなの」と思ったことがある。明治元年、王政復古がなっても、福沢諭吉は新政府を、攘夷思想の持ち主達の集まりと思っていたようである。

幕末の志士たちも、はじめは尊皇攘夷ということで立ち上がった。幕府がなし崩しに鎖国を解いていくことがけしからんと考えていたわけだ。幕府の方も、本音を言えば外国と通商などしたくはなかったのだが、外国の圧力に負けて、渋々国を開いたわけだ。しかし、それが志士たちには気に入らない、というのが尊皇攘夷運動の始まりだったと理解している。

いつの世だって、人々は自分に都合の良い世の中になることを求めるのである。多少のことは我慢しても、どうしても生きにくい世の中になってくれば、それを変えようとする動きが出てくる。幕末、武士階級の身分はかたまってしまい、下級武士は才能があっても出世できない、馬鹿でも家老の子は家老という状態だった。封建制度も行き詰まって、下級武士達の生活は厳しくなっていた。その状態を打破しようというのが尊皇攘夷の運動だったと思う。自分たちの地位を守ろうとしたのであって、文明開化を求めるものではなかった。

それが薩英戦争や、下関事件などで外国の力を知り、志士たちも攘夷などといっていられないことを悟ったのだと思っていた。しかし考えてみれば、倒幕の指導者達は攘夷の無謀を知ったとしたも、尊皇攘夷思想に踊らされた多くの者たちは、その理解はなかったかも知れない。幕府を倒せば攘夷が実現でき、日本は理想の国になり、自分たちの地位も安定する、等と考えた人達もいるのだろう。

討幕運動というものが、もともと攘夷思想から始まっているのだから、明治元年、王政復古がなっても福沢諭吉が信用しなかったのも、もっともである。まだ混沌としていたのでしょうね。

福沢諭吉ははじめから開国論者だし、門閥制度は嫌いなのだから、幕府側と尊皇攘夷派のどちらにも与せず、冷静に眺めていたのである。

もう一つ、教育にかんすること。諭吉は子どもたちをアメリカに留学させるとき、「学問を勉強して半死半生の色の青い大学者になって帰ってくるより、筋骨たくましい無学文盲なものになって帰ってこい」といっているのがおもしろい。

諭吉の『福翁自伝』を読んだためか、こんどは勝海舟の『氷川清話』を読みたくなった。これも、昔読んだことはある。もとより勝海舟は大変な偉人ではあるけれど、その時、ちょっとはったりの強いところもあるなあ、と思ったのも事実だ。これも文庫本であるようだ。

本当は、海舟の父、勝小吉の自伝みたいなものがあるはずで、破天荒でかなりおもしろいらしい。小吉は文章などあまり書けなかった人らしいのだが、妻に書き取らせたものだったと思う。これは本になっているのだろうか。読んでみたいものだ。

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