« ボラスクール その他 | トップページ | 政府紙幣の発行? »

2009年2月 6日 (金)

釘の話・戦争中の荷札

2月6日8(金)

特養老人ホームSへ。

今は、荷物を宅急便などで送るとき、届け先と送り主の住所氏名、電話番号などを所定の用紙に書いて、荷物を包んだ紙に貼り付ける。少し前は、名刺より大きくハガキより小さいくらいの丈夫な紙に、届け先と送り主の住所や名前を書いた。これを荷札といった。まだ覚えている人は多いだろう。

Tati0009 荷札は左のイラストのようなものだ。荷札の上の方についている細い針金を、梱包した荷物の縄や紐などにからみつかせたものだ。今はダンボールにガムテープの梱包が普通だから、こんなに札より、貼り付ける紙の方が便利ですね。

話しは急にさかのぼる。戦争中の話だ。日本は敗色濃厚になってきて、都会の人間は疎開などをしなければならなかくなった。その頃の日本人、本当に貧しくて、家具や荷物は多くなかったけれど、それでも生活に欠かすことの出来ない荷物は、疎開先に送らなければならなかった。それには荷札が必要だった。

何しろ一般人は、トラックなどめったにことでは使えなかった時代である。みんな鉄道で運ぶのだ。荷物の取り扱いも乱暴だった。今のようにダンボールがふんだんにあるわけでもない。あり合わせの布や毛布などで荷物を包み、それを板で囲んだ。板と言っても、まともな板ではない。リンゴ箱を剥がしたような板である。当時のリンゴ箱は、もっとも安い、屑みたいな板で作られていた。

粗末な板で囲まれた荷物に、ベニヤ板の荷札を、釘で打ち付けた。そうなんです、その頃の荷札は、ベニヤ板で出来ていました。普通の荷札では、乱暴な取り扱いに耐えられなかったのです。そしてそのベニヤの荷札の四隅を、釘で打ち付ける必要があったのです。

リンゴ箱などを毀すとき、そこに使われていた釘などは、釘抜きで丁寧に抜いて、曲がったところは金槌で叩いてのばし、箱などに入れて取っておきました。一般家庭では、大抵の家に、そのようにして得た錆びた釘があったものです。一本の釘だって、使い捨てにはしませんでした。

実は、その頃、私の父は荷札を売っていました。荷札とメガフォンを自転車の荷台に積んで、都内を売り歩いていたのです。そんなものが、当時の生活必需品だったのです。昭和20年頃は、疎開している私たちのもとに、父はその売り上げを送っていました。その金額があまりに多くて、伯母は、何か悪事でも働いているのではないかと心配したほどです。

メガフォン、書く機会もあるでしょう。今日は荷札です。その荷札を売るさいに、釘も一緒に売ってくれと言う要望が出されるようになりました。今はたとえば蝶番を売るときに、取り付けに必要なネジも付けて売るというのが普通ですが、当時はそんな習慣はありませんでした。曲がった釘でもなんでも使えるからです。しかし、その釘さえ手に入らない時代になっていたのです。

そこで父は、どこで手に入れたのか、細い、よれよれの釘を4本付けて売ることにしました。大工や家具屋のように常日頃釘を打ち付けている人でも、油断して打つと曲がってしまうような釘です。そんな釘しか手に入らなかったのです。素人が、リンゴ箱を剥がしたような癖のある木に打ち付けるのですから、曲がらないはずがありません。父は、錐で穴を開けてから打つように指導していたようです。

戦後も、私たちは、古い曲がった釘を使っていました。新しい釘なんて、むやみに買ったりはしませんでした。戦後7-8年たってから、従業員を2-30人使っている会社の社長が、道路に落ちていた曲がった古釘を5-6本拾ってきたのを見たことがあります。それをケチとも思いませんでした。ごく当たり前のことだったのです。

それにしたも、なんででしょうかね。あのころは良く道路に釘が落ちていました。その釘で自転車がパンクしたり、ときには自動車がパンクしたりしました。

|

« ボラスクール その他 | トップページ | 政府紙幣の発行? »

コメント

懐かしい話ですね。
釘、確かに道に落ちていたりしましたね。
釘、はがされたタイルや平べったい石などは道で遊ぶときの
必須アイテムでした。

投稿: 五十路 | 2009年2月 7日 (土) 00時06分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/27841745

この記事へのトラックバック一覧です: 釘の話・戦争中の荷札:

« ボラスクール その他 | トップページ | 政府紙幣の発行? »