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2009年1月31日 (土)

顔の見える・・・

1月31日(土)

もう1月も終わり。平凡ですが、月日の流れは速いねえ。

一時「顔の見える○○」とよく言われました。本当にね、今は何事にも顔が見えなくなっています。抽象的にではなく、私が言うのは、文字通り顔が見えないと言うことです。

誰が作ったか分からない食品を食べ、誰が作ったか分からない衣類を着、隣の人も分からないような家に住んだりするのです。毎日毎日、道ですれ違う人や電車で乗り合わせる人の顔など、いちいち覚えていたりしません。みんなそんなことには無関心で過ごしています。繁華街で、すれ違う人すべてと挨拶を交わしていたら、1メートルもすすめませんよね。みんな他人には無関心なんです。そうしなければ日常生活が出来ないのですから、良いも悪いも言えません。

自分のすることを、何もかも見られているような社会も息苦しいけれども、何をしても無視される社会というのも虚しい。どの辺がちょうど良いのですかね。

なんだか、我々を取り巻く社会が大きく成りすぎましたね。村社会なら、自分のすることを、個性として認めて貰えたでしょう。そこで自分の絵を描いていれば、人は認めてくれました。(さっきの「顔」は具体的な顔ですが、ここでの「絵」は抽象的に使っています。)村社会が崩壊して、世界全体が自分の社会と言うことになってしまうと、よほどすごい絵でも描かない限り、存在を認めて貰えません。困りますね、私のような平凡な人間には。

顔の見えない社会では、人は残酷なこともするのです。戦争を考えてみてください。一人ひとりの顔を見て、その苦しむ様子を見ながら、棍棒などで人を殺すなら、作戦を立てる人だって、そう多くは殺せないでしょう。だいたいそのようなことをしたら、殺す方の精神が異常になります。しかし、一人ひとりの顔も見ないで、紙の上で作戦を立てる人には、人を殺すという実感がありません。紙の上では、何人でも殺せるのです。

命令を受けた方も、遠くから爆弾を落としたりするわけで、一人ひとりの苦しむ顔を見なくて済むようになっています。また兵士たちは、悩まずに人を殺せるような訓練も受けるのだそうですね。それでも前線の兵士は、精神に異常を来す人が多いそうです。

古代人を野蛮だなどと言いますが、戦争をするときは、顔を見ながらで、そう多くの人を殺したわけではありません。冷静に、紙の上で作戦を立てて多くの人を殺すような行為は、古代人以上に野蛮だと私は思います。

話は違いますが、企業なども大きく成りすぎました。なんでも競争に勝たなくてはならなくて、どんどん大きくして、会社が危なくなると、まず働く者の首を切るのです。最初にやるのが人件費の削減ですかね。

切られる人が路頭に迷おうとも、知ったことではないのです。何しろ、顔が見えないのですから・・・。

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