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2009年1月15日 (木)

お鷹の道  英草紙から・その3

1月15日(木)

少し前まで、今日は成人の日だった。その前は小正月だった。オット、これは今でも小正月でした。成人の日は、私が成人になる少し前に出来ました。1月15日だったので、小正月にあわせて祝日にしたのだと思ったものです。ですから成人の日が15日から移動するのは、何となく違和感があります。文化の日や勤労感謝の日は動かないのにね。文化の日は明治節、勤労感謝の日は新嘗祭でしたかね。

お鷹の道

午後、暇があったので、国分寺、お鷹の道を散歩しました。

Imgp0808 Imgp0805

湧水群があって、蛍がいるという小川にそった遊歩道です。近くに旧国分寺跡などもあり、遊歩道の端には、現国分寺があります。

Imgp0813 50年も前のことです。私はこの国分寺に寄ったことがあります。当時の住職は話し好きだったのか、二十歳前後の私をつかまえて、ここに万葉植物園を作ると言っていました。その植物園は、この境内にあります。寺の関係者の方が庭仕事をされていたので、聞いてみると、90何歳かで亡くなられたと言うことです。

国分寺駅の近くに殿ヶ谷戸という庭園があります。そちらにも寄ってみました。

Imgp0827 デジカメの電池が切れたので、こちらはこれだけです。

                                      

英草紙より

豊原兼秋音を聴きて国の盛衰を知る話 その3

兼秋の曲がまだ終わらないうちに琴の音に変調をきたし、鋭い音がして1本の弦が切れた。

兼秋は大いに驚いた。この秘曲を弾くとき、それと知って盗み聴く者があれば、琴の音色が変わるといわれていた。都ならばまだしも、こんな田舎で、この曲を知るものがあるとも思えない。四国の海の荒れ果てた山の下に、この曲を知るものなどいるはずがない。さては朝廷の使いと知って、謀反を働く者があるか、さもなければ盗賊が隠れているのかも知れない。兼秋は、

「者ども、岸に登ってその辺を探してみよ。何者かが潜んでいるかも知れない」

と命令した。従者たちが押っ取り刀で岸に躍り上がろうとしたとき、がけの上から人の声がした。

「皆さんお静かに。私は盗賊や刺客ではない」

現れたのは菅笠を被った樵(きこり)である。船の者が静かになって、なぜそんなところにいるのかと聞いた。

「私は柴苅りをして生活をしている者です。急な雨で岩陰に隠れ、雨が止んだので立ち去ろうとした。すると、珍しい曲が聞こえてきたので足を止め、聴き入っていました。なんで途中でやめてしまったんですか?」

兼秋は笑って答えた。

「山で柴を打つ者が、なんで私の曲が分かるものか。お前は本当の樵ではあるまい。おそらく盗賊の頭か何かだろう。まだ罪を犯したわけではないから許してやる。さっさと立ち去れ」

「これはまた、大人(たいじん)の言葉とも思えません。10軒しかないような小さな村にも忠臣はいる者です。門のうちにも君子はいるが、門の外にも君子はいます。大人はこの山の中に、その曲を分かって聴く人はいないと思ったかもしれませんが、ここにこうして居るではありませんか」

                     続く

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