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2009年1月13日 (火)

英草紙から その1

1月13日(火)

自分のブログを書く前に、いくつかのブログを読む。その中の一つを読んでいるうち、俳人土肥あき子氏が書いた「こぶた探訪記」というのを覗いてみる気になった。昭和22-23年頃小学校4年生の国語の教科書に載った、

  こがらしや小ぶたのはなもかわきけり

という俳句の作者を捜す話しである。興味がある話しだったのでプリントしたが、25枚にもなっている。私はその俳句について知るところはないもないけれども、読むうちにさまざまな感想を持ちました。それは、いずれこのブログで、何回かに分けて書くことになるでしょう。

昨日の前書きの続きです。

上野の国立博物館に「法隆寺宝物殿」があり、7弦の「琴」が展示されています。展示する曜日、気温や湿度などに制限があり、限られた日しか展示されません。「琴」は聖人君子の弾ずるものとされていましたから、聖徳太子が弾いたものかも知れません。興味のある方は、国立博物館に問い合わせた上で見学してください。

「英草紙」巻2

「豊原兼秋音を聴きて国の盛衰を知る話」 その1

    原作       近路行者  

    現代語訳    ぼんくらカエル

豊原兼秋(とよはらかねあき)は、元弘のはじめ(1331年)、後醍醐天皇が逆心を退けて、笠置(京都南部)に行幸されたとき、お供をし、御輿を担いだこともあった。そののち後醍醐天皇は追いやられ、兼秋も捉えられて、詮議を受けた。しかし、兼秋は、ただついていっただけで大した罪もないので、禄を取り上られ追放されただけですんだ。

兼秋は紀州に下って、知り合いのところに身を寄せ、鬱屈した日々を送っていた。

兼秋は音楽を伝える家の育ちで、楽器の奏者として優れていた。しかし、世の中は乱れているし、漂白の身でもあり、たまに楽器をいじっても、満足な音が出なかった。そんなわけで2年くらいは楽器に触ろうという意欲も湧かなかった。

元弘3年(1333年)の夏、清少納言が「月の頃はさらなり」といった頃、ふと思い出して、管楽器を取り出し「還城楽(げんじょうがく、雅楽の古曲)」を吹いてみた。昔の晴れがましい日々を思い出したりしながら吹いていると、いつになく良い音が出る。このところ満足な音が出なかったのに、今日このような音が出るのは、御門に何か良いことがあったのではないか、と思われた。

そこで、都に行けば何か分かるだろうと、いても立ってもいられなくなり、その日のうちに身支度を調えて、次の日の早朝には旅だった。

急いで大阪辺りまで来ると、人々があちこちにかたまって噂をしている。何事か聴いてみると、後醍醐天皇が流されていた隠岐の島を抜け出し、今日にも兵庫に来られるという。

人々が嬉しげに語るのを聴き、兼秋は、行き先を兵庫に変えた。

                                          続く

    

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