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2009年1月22日 (木)

ボラ関係 英草紙から・その10

1月22日(木)

午前、ボラ定例会。

午後、老人介護施設Kへ。

英草紙から

豊原兼秋音を聴きて国の盛衰を知る話 その10

前回までのあらすじ

豊原兼秋は後醍醐天皇の使いとして、伊予の国へ行き、その帰り、讃岐の国で不思議な樵に会う。今はほとんど知る人の無い琴の曲を、兼秋が奏したところ、彼はそれを聴き分けていた。兼秋は彼を自分の船に呼び入れ、音楽談義をする。彼(横尾時陰)の音楽に対する造詣の深さにうたれ、義兄弟となる。そして1年後の再会を約して別れた。その時期が近づいてきた。

兼秋は役所にしばらくの休暇を願い出て、船で四国に向かった。そして約束の8月15日(旧暦・中秋の名月の日)に屏風浦に着いた。兼秋は去年船を泊めたところで時陰を待つことにした。そして、自分が着いたことを知らせるために、琴を弾いた。

しかるに、どうしたことか、ある糸の音が、悲しく恨みを持つように響く。これは時陰に辛いことがあって、引きこもっていることをあらわしている。どうにも気になるので、翌朝早く、従者を5・6人引き連れて時陰に会いに出かけた。

1里(4キロ)ほど進むと大きな道に出た。どちらに向かえば山中村なのか土地の人に聞こうと思っていると、1人の老人が、杖をつきながら歩いてきた。訪ねてみると、

「ここが山中村です。左に行けば上山中村、右へ行けば下山中村。どなたを訪ねて行かれるのですか?」

と言う。

「横尾時陰という人を訪ねていきます」

その名前を聞くと、老人はハラハラと涙を流した。

「それは私の息子の名前です。去年の8月15日、樵に出て遅く帰った。聞けば、都の楽匠が珍しい琴の曲を弾き、互いに音楽について語り、意気投合して兄弟の約束をしたと言っていた。そしてその人に家を興すように誘われた。その後、生活のための仕事に加えて、音楽についてもいろいろ努力をしていた。あまりに一生懸命だったためか、せがれは神経を病み、数ヶ月前になくなりました」

それを聞いて、兼秋は悲しみのあまり、泣いて地に伏した。

「昨夜は会いに来ると言っていたのに現れなかったので、どうしたことかと思った。既に亡くなっていたとは・・・あまりのことに言葉もありません」

「あなたが豊原兼秋殿でしたか。せがれは臨終の時に言っていました。私が死んだら屏風浦のところに埋めてくれ、あなた様にそこで会うと約束をしているのだと。今日はせがれが死んで100日目です。これからお参りに行くところなのです」

「それならば、私も一緒に行きましょう」

兼秋が老人と連れだって、もと来た道を引き返した。すると、確かに新しい塚があった。

                         続く

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