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2009年1月18日 (日)

英草紙から  その6

1月18日(日)

英草紙から

豊原兼秋音を聴きて国の盛衰を知る話 

英草紙  原作   近路行者

      現代語訳 ぼんくらカエル

前回までのあらすじ 

後醍醐天皇に使える豊原兼秋は天皇の使いで四国、伊予の国へ行き、その帰り、船を讃岐に国停泊させた。船中で琴(キン、7弦のこと)の古曲を弾いたところ、岸の崖の上にその古曲を知る樵がいた。兼秋は不思議に思い、その樵を船中に招き入れて、樵に。楽器について質問をする。樵はそれに答え、「琴」についての蘊蓄を語っている。

豊原兼秋音を聴きて国の盛衰を知る話 その6

「伏義は中の段の樹を削って楽器を作った。その長さは3尺6寸1分で361度を示す。これは月星が天を1周する角度。楽器の頭の幅は8寸で、8節すなわち、8つの季節、立春、春分、立夏などをあらわす。尻は4寸で、四時すなわち春夏秋冬をあらわす。厚さ2寸は陰陽、天地を示すもの。

徽(キ・琴を弾くためのしるし)が13あるのは12月と閏月(旧暦の閏月は2月が2回ある)をあらわす。

琴ははじめは5弦だった。それは5行、すなわち金木水火土をあらわすもの。それぞれの音を宮商角微羽とした。周の文王はこれに1弦を加えた。清く哀愁を帯びた音を出し、これを文弦という。後に武王が1弦を加え7弦とした。その音は強く激しい。それを武弦という。後生になって、唐の太宗が2弦を加え9弦となったが、日本に伝わったのは唐よりも前なので、7弦なのである。

この琴を奏するときは、香を焚き心を正しくして奏する。すると虎や狼も吠えるのをやめ、猿は啼くことを忘れる。堯舜(ギョウとシュン・古代伝説の聖王)の御代には5弦の琴を奏して穏やかな詩を謳い、世の中は良く治まった。これは琴という楽器の徳のあるところだ」

「次に和琴だが、これは大和琴とも言う。その昔天照大神が天の岩戸に隠れたとき、御琴神天香弓(オンコトノカミアマノカゴユミ)が6張りの弓の弦を鳴らし、神楽にあわせたのをはじめとしている。

したがって和琴は6弦で、甲は上に反っていて弓のような形をしている。楓の枝を琴柱とし、楽器に飾りを用いない。膝の上に置いて奏するのは古風である。

私がひそかに思うのは、和琴もまた唐土から伝わったのではないだろうか。琴にまだ武弦が加えられないうち、神世の頃に伝わったので、雅楽の楽器となった。昔からあるので大和琴というのではないだろうか。

あるいは、和琴や笛は本当に日本で生まれたものかも知れない。

日本の神道の舞楽は昔から伝わるものが、伊勢、出雲、熊野、三輪などにあったというが、今に伝わるとは知らない。

昔は天上の神を地上に降すとき、皆和琴を鳴らしたものである。和琴は今は神楽に用いられる。和琴を弾けば、神と人間が共に喜び、邪悪のものを遠ざける。これが和琴の良いところだ」

                     続く

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