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2008年12月31日 (水)

墓参

12月31日(水)

今年も後3時間です。こんなブログに寄り道をしてくださった方に感謝します。良いお年をお迎え下さい。

今、隣の部屋では、孫たち、長女夫婦が紅白を見ています。私は少し飲んでいますが、酒を中断して、飲みつぶれる前にブログを書いています。

今日は。次女夫婦も加えて、墓参りに行ってきました。わが家の墓は高尾にあります。高尾駅は、何十年か前まで浅川駅と言っていました。高尾駅になったのは、多分近くに高尾山があるからだと思います。

帰路、国分寺で途中下車して、お鷹の道、真姿の池湧水群、旧国分寺跡などを見る。

次女たちが所沢の家に引っ越してくるのは1月8日とのこと。その日私は、ボラグループの定例会、新年会。3時くらいには行けるかなあ。行ったところで、じゃまにしかならないだろうけれど。

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2008年12月30日 (火)

汝殺すなかれ

12月30日(火)

いよいよ押し詰まりました。こんなこと書く必要はないんだけどサ。

娘夫婦と孫たちが来る。例年30日に来て元日に返る。ご主人の方の実家にも行くために、正月休みを二つに分けるのだ。両方に義理を立てなければならない、これも大変ですね。

夜、娘の夫と飲みましたが、私の方が酔っぱらい、少し横になりました。彼は強くなり、私は弱くなりました。

明日は亡妻の墓参りに行きます。その時、次女夫婦と一緒になる予定。

資本主義と人道主義について書くつもりでしたが、酔っぱらっているので、来年、気が向いたら書くことにします。

あらためて、私はケツメドの青い人間だなあ、と思います。そんなこと、大人になれば、普通は書かないのです。日記だって、出来事だけ書く方が、後での読み返しに耐えるのです。思いや思想みたいなものを書いてしまうと、何年もして読み返したときに、違和感をおぼえるものです。それでも私は、あえて書いてしまいます。

後で違和感をおぼえるのは、思いにぶれがあるからです。生きている人間は、頭がこちこちにかたまっているのでなければ、考えだって変わります。どんなことがあっても変わらないという思想は、あらためて考える能力を失っている脳みそで考えているからです。それでもなお、自分の思想にぶれがないようにと思います。そんなとき、私が頼りにしている思いは只一つ、いつも書いていることですが「人を殺すのは悪だ」と言うことです。

ぶれない思想と言ったら、私にはこれしかありません。この思想に照らして、イスラエルのガサ攻撃は許せません。どんな理由を述べたところで、一般人を大量に殺して、それが許されるなんて・・・。

今年は暗い年でした。

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2008年12月29日 (月)

テンションの低い日

12月29日(月)

12月29日というのは、正月の餅をついてはいけない日だったような気がする。理由は知らないが、「くにちもち」などと言っていたから、29日の9を苦に引っかけて縁起を担いだのではないだろうか。多分、大掃除もいけなかったのではないか。

29日だからというのではないが、今日は何となくボーっと過ごした。おっと、いけない。本当はいつだってボーっとしているのだから、いつもより以上にボーっと過ごしたと言い直しておきます。

明日、孫たちが来るので、4組の布団を干し、買い物に行き・・・それだけだな、今日やったのは。

年賀状、2枚ほど、宛先不明で返ってくる。今年は珍しく25日に出したのです。こういうのは年内に返してくれるんですね。はじめて知りました。

良い天気なのに、テンションの低い1日でした。だからブログも短い。

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2008年12月28日 (日)

カーテンの洗濯

12月28日(日)

今年は手抜きの大掃除。「今年は」なんて書くのはまやかしで、「今年も」と書くのが正しいのだけれど、少し格好をつけたのです。12月に入ってからチビリチビリとやってきたので(お酒じゃないよ、掃除だよ)、なんとか終わりに近づいた。

今日は大掃除の中の大洗濯(そんな言葉はないというなら、私が作ります)。こたつ掛けや家中のカーテンの洗濯。小さなマンションといえども、カーテンの数は結構多いですね。窓以外にも、ちょっとした仕切に使っていたりします。洗濯機を何回動かしたか、じっくり考えれば分かるけれど、面倒なので考えません。とにかく沢山動かして、風呂の水を全部使いました。

ちょっと脱線しますが、風呂は好きなので毎日沸かします。しかし毎日水を取り替えるのはもったいないと思い、洗濯した日に取り替えるようにしています。ですから無精をして洗濯を引き延ばしていると、1週間以上同じ水を湧かし返すこともあります。それでも、洗濯で風呂の水を使い切ることはありません。今日などは風呂の水を全部使い切ったので、ケチな私は満足です。

その洗濯をしている間に窓を拭き。テーブルや棚なども拭いて、朝から3時頃までかかったかな。昨日の山の疲れと重なって、へとへとになっちゃった。

Photo 昨日西武線で見かけた老人のスケッチです。なかなか味のある顔をしていたのですが、その表情が描けません。

まあ、ご愛敬にのせました。

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2008年12月27日 (土)

ツツジ山

12月27日(土)

今年最後の山行は奥武蔵、ツツジ山から旧正丸峠を通って、正丸駅に回遊する。

コース

正丸駅~三田久保峠~ツツジ山~苅場坂峠~虚空蔵峠~旧正丸峠~川越山~正丸山~正丸峠~正丸駅。

Sさん、Kさん、Hさん、私、そして初参加のTさん。リーダーはSさん。私ならばとてもいけないような、ルートを探しながら歩くコース。正丸駅から三田久保峠までは昭文社に地図にもない山道。三田久保峠からツツジ山までは波線で書かれているコース。

正丸駅近くの標識のない階段から登りはじめる。それ以後、ツツジ山まで、急登、急降が続き、道もはっきりしないコースである。苅り場坂峠以後は、普通の登山道。天気はよいが寒い1日でした。

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4本の手足を使ってのぼる急な山。苅場坂峠までは、杉林ばかり。こんなきつい山にも、植林されていることに驚く。

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日陰には、いつ降ったのが雪が残る。苅場坂峠には車道が通っていて、別荘が何軒も建っている。「ハイキングここにもあった分譲地」なんて川柳があったなあ。

旧正丸峠に向かう道で、珍しいものを見る。野生の梨の木である。帰ってから図鑑で調べると、ヤマナシ、あるいはアオナシというものであるらしい。疎開していた頃、隣の家の裏に大きなヤマナシがあって、近所の子供に笊に入れた実を安く売っていたことを思い出す。家に持ち帰った実をかじってみたら、美味いとはとは言えないが、ほんのりと甘みはあった。

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帰って、忘年会。Aさん、Fさんも参加。

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2008年12月26日 (金)

今年最後の水彩画

12月26日(金)

恥ずかしながら、今年最後に描いた水彩画をのせます。

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ことしの年賀状は、男の子と女の子がコタツに当たり、男の子は居眠り、女の子はみかんの皮を剥いている画でした。年賀状にするくらいですから、本当は去年の暮れに描いたものですが、一応は今年最初の画と言うことにしておきます。最後の画もコタツになりました。掃除の途中で読み聞かせをしているお母さん。

画の雰囲気は昭和20年代ですね。その頃のお母さんはこんなにきれいじゃなかったよ、これでは今のお母さんだ、とは、画の仲間の評です。確かにそうですね。本当は着物を着せてたすき掛けにしようかと思ったのです。足も当然足袋ですね。でも、難しそうなので、いつもの私の術で、楽な方にしちゃった。それに、私の愛する女の人は、美しいに限ります。なんてね。

精障者作業所Mへ。大掃除。午前中、リサイクルショップの什器や商品を店の前に出し、窓をふいたり、掃いたり。終わって、メンバーさん達と打ち上げ会。

午後、床のワックスを業者に頼んで掛けてもらい、3時頃から、スタッフと共に、出した商品、什器を中に入れる。

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2008年12月25日 (木)

Sさんからの電話

12月25日(木)

私は東京の本郷で琴作りを覚えた。その後、埼玉県の浦和に新工場を造ると言うことで、そちらに移った。大宮にアパートを借り、そこで結婚した。今は浦和も大宮も同じさいたま市だ。

その頃隣に住んでいたのがSさん夫婦で、私たち夫婦よりも少しだけ年上だった。その後、両方とも引っ越しをくり返し、いつか音信不通になっていた。それがひょっこりと、今日電話が来たのである。

電話はSさんの奥さんからで、こちらの電話番号を探すために、大分苦労をしたらしい。Sさんは20年ほど前になくなったという。私の妻は10年ほど前になくなっている。お互いにそれをはじめて知ったわけだ。時の流れは速い。奥さんにしてみれば、妻と話したかったのである。

奥さんの兄さんが亡くなって、実母を引き取ったと言うが、その母の歳が105歳というのには驚く。それも、来年の2月には106歳になるのだという。元気だそうだ。

近ごろは長寿者が多くて、私なども100歳以上の人に時々会う。しかし、105歳というのはない。私が施設であう100歳以上の長寿者は、皆女性です。

100歳にはまだだけれど、昨日は98歳の女性二人に会いました。全然ぼけていませんでした。女性に比べたら、男は駄目だねえ。90歳以上の人に会うのは、本当に珍しい。もっとも、私自身は80まで生きないような気がしてるけどね。飲んべえだもの。

特養老人ホームSへ。おやつレク、3F。

3Fは痴呆症の人たちが利用者である。ケーキ作り。とはいっても、あらかじめ用意されたスポンジにクリームを塗っていちごなどをのせる手伝い。利用者が途中で食べないように、などで気を使う。

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2008年12月24日 (水)

危ないね、ブッシュの靴

12月24日(水)

私はブッシュ大統領が嫌いだし、とんでもないことをしでかした馬鹿大統領と思っている。中東に多大な苦痛を与えた人だと思っている。薄っぺらな正義感で、テロとの戦いといいながら、実際にはテロをかえって助長し、多くの人民を死なせてしまった人だと思っている。テロとの戦いといいながら、戦争を輸出したことは、なんともやりきれないほど馬鹿である。

私はいつも書いているが、単純な命題を持っている。「人を殺すことは悪い」ということだ。これに関しては、理屈もヘチマもない。「人を殺してなぜ悪い」なんて聴かれたって、そんなことに理屈で答えなきゃならない筋はない。たとえばあなたが、包丁か何かで人を殺して、それで平気でいられるのかと言うことだ。あなたの感覚、あなたの感情がそれで平気なのかと言うことだ。もしそんなことをしてしまったら、自分の感情を押し殺すため、もっともらしい理屈を考え出すに違いない。感情が納得できないから、理屈で正当化しようとするのである。

ドストエフスキーが「罪と罰」で、この問題を扱っている。「罪と罰」の主人公の場合は、理屈の方が先にあったんだけれど。

人間の感覚、感情は、人を殺すことに、そうやすやすと絶えられるものではないと思う。殴り合って人を殺すこと、刃物で人を殺すこと、それをくり返すこと、普通の人はそんなことに耐えられないと思う。

しかし、行為する者と殺される者との距離が遠くなるほど、人はそれに耐えやすくなる。遠くにいる人を鉄砲で撃つ方が、殴って人を殺すよりは耐えやすいだろう。殺人という生々しさが無くなる。飛行機から爆弾を落とすのならば、その下で死ぬ人を実感としてみることは出来ない。核兵器投下も同じことだ。まして、作戦本部にいて、敵味方の兵士や人民はも数でしかないのだ。

ブッシュは自国に起きたテロに逆上して、スーパーマンのような正義感で、戦争を輸出した。そして、参謀本部の立場になった。あとは・・・。

だから中東の人々がブッシュにいらだつのは分かる。靴を投げたジャーナリストの気持ちもわかる。それでもなお、私は彼の行為に賛成できない。ジャーナリストならば、なんとか言論で立ち向かって欲しかった。幾ら主張しても、なんとも解決がつかないいらだちは分かる。だから同情はする。しかし、彼を英雄に祭り上げることは賛成できない。まして、その靴が人気だなんて。

それではまるで、集団ヒステリーではないか。そんなヒステリーの結果がどこへ行くか、日本は60年以上前に経験しているはずだ。

集団ヒステリーの危険については、いずれまた書く機会があるでしょう。

特養老人ホームSへ。おやつレク。2F。

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2008年12月23日 (火)

宗教について

12月23日(火)

明日がクリスマスイブで明後日がクリスマス。クリスチャンじゃないのにお祝いをして、彼氏と彼女はデートをし、友達や親子はプレゼントをしあう。

クリスマスが終わるとすぐに大晦日で、紅白を見て除夜の鐘を聴く。除夜の鐘って、仏教なんですよね。百八つの煩悩を消すんだってね。ぼんのうって、108あるのかァ。私なんか除夜の鐘を聴いたって、消える煩悩はないと思うけどね。煩悩を去って悟りを開くなんて、私にゃあ無理だ。

元日になると初詣。神社に行ったら、これは神道だ。

1週間のうちにキリストの誕生を祝い(本当は祝っちゃいないよね)、仏教徒として厳粛にに鐘を聴き、元旦には神道になって、神妙に祈りを捧げる。どうなっているんだろうね。

本物のキリスト教徒、本物の仏教徒、本物の神道にとっては、このでたらめさは非難されるべきものだろう。でも私などは、このいい加減さが日本人の良さだと思っているのです。

宗教と信者の関係は、デイラーとユーザーの関係に似ていると思います。車のことはよく知らないのですが、たとえばトヨタの車を買ったら、それに付随する部品は、なんでもトヨタ系のもの、いわゆる純正部品を使う客がもっとも良い客でしょう。これがデイラーの立場。ユーザーとしたら他社のものを使ってみたい人もいるはずです。

キリスト教やイスラム教は、デイラーの立場が強いんですね。精神の救いも、来世の救いも、現世の救いも、みんな自分の神でなければ気に入らないのです。

我々の国は、かなりいい加減ですね。死んだら仏教で葬式をし、結婚式は神前で(近ごろはキリスト者じゃなくても教会で式を挙げる人もいるが)式を挙げ、棘を抜くならとげ抜き地蔵にお参りをし、目を患ったら薬師如来、受験にさいしては天神さま、というわけだ。つまり日本は、ユーザーの力が強く、仏教や神道は強いデイラーには成れませんでした。

神も仏もごちゃごちゃと沢山あって(八百万の神ですなあ)、それぞれの人が勝手にいろんな神を拝むのです。一神教の人たちは、それを矛盾だと言いますが、一神教の方にだって、大変な矛盾がありますよ。キリスト教国同士が戦争をすると、どちらの国も、神に必勝を祈願します。これ、矛盾じゃないんですか?

こんな考え方はおかしいですかね。私は、なんの宗教も信じていないからこんなことが言えるのでしょうか。

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2008年12月22日 (月)

年用意

12月22日(月)

このごろ、ブログを読んでいるよ、と声をかけられたことが何度かあり、また、名前も分からない人からのコメントがあったりして、やはり嬉しいですね。いつも書いていることですが、このブログの第一の目的は、娘たちに私が無事でいることのメッセージです。ついでに公開して、読んでくださる人がいればということなので、自分の好き勝手なことを書いています。読んでくれる方に受けようなどと思ってはいないのですが、それでも読んで貰えていると分かることは嬉しいものです。

Tさんから電話があり、Hさんを含めた3人で忘年会をしようと言われたが、残念ながらお断りした。夜なら大抵空いていると言っていたのだが、Tさんの言ってきた27.28日だけ、山の予定があり、その流れで反省会?に成るのである。

明日23日と29日の2日間で、大掃除、年賀状書き、などをしなければならない状況です。今年は手抜きが多くなりそう。

精障者作業所Mへ。ボランティアも半日くらいのことが多いのだが、毎週月曜日のMは、1日である。たいしたことをするわけではないので、体へ楽ですけれどね。  

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2008年12月21日 (日)

民主主義について

12月21日(日)

めでたいかめでたくないか知らないが、私は今日から72歳。大分歳をとったけれど、これから先死ぬまでのうちで、今日が1番若いのである。

普通歳をとると、あまり青臭いことは考えないものだ(と思う?)。ところが今日のタイトルはどうだ、「民主主義について」だぜ。近ごろ見たことはないけれど、まだ私のケツメドは青いんじゃないかなあ。

ケツメドの青いかも知れない人間は、そんなに複雑なことは考えられない。タイトルはでかいが、単純に、平凡に考える。

民主主義というものは、私の理解するところによれば、世の中の権力と富が、1人、あるいは一部の者に集中しないようにすることだと思う。どのようにしてそれを実現するか、その方法が問題なわけだ。

共産主義は、一部の者に富が集中しないように、富の平等化を図る考えだったと思う。しかし現実の世界では、共産主義国は、富その物が大きくならず、権力が一部の者に集中してしまった。スターリンや金日成を生んでしまった。旧ソ連や北朝鮮は本当の共産主義とは違うという考えもあろうが、現実の世界では、失敗だったといえる。

資本主義はどうだろうか。成人には平等な選挙権がある。国民の意思で政治家を選べる。国も富だ。

しかし、近ごろの世界を見るならば、富が一部の者に偏ったのは確かだろう。マネーゲームをして、儲ける奴はさんざん儲けたあとで、バブルがはじけた。その結果がどうだ。しわ寄せは弱い者、貧しい者にまず襲いかかる。選挙権という名目の権利はあっても、生きる権利さえ奪われるものが出てくる。貧富の差は、ますます拡大するばかりだ。

このまま、抜本的な改革を加えることが出来なければ、資本主義も破綻すると私には思える。職を奪われる者が増えること、ホームレスが増えること、これはもはや、非常事態と言うべきだろう。

だいたい仕事というものは、世の中に価値を生み出すものだと思っている。物を作る。物を売る。人々に楽しみを与える。何かしら人々の必要とすることをやる。それが仕事というものだ。マネーゲームなどは、ばくちでしかない。紳士然として幾ら金を儲けたところで、ばくち打ちだ。下品です。そんな下品な者たちのおかげで、真面目に社会の下隅で働いてきた人々が、今苦しめられている。

与党も野党も、党利党略ばかりやっている場合ではないのに、なんだろうねえ、国会は。

車椅子と仲間の会、望年会。この会の場合は「望」の字を使うのです。

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2008年12月20日 (土)

無題

12月20日(土)

俳句の会。

夜、特養Sの忘年会。Sさんと私は来賓席だった。びっくり。

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2008年12月19日 (金)

忘年会 数独

2月19日(金)

水彩画の会。

早めに終わって、忘年会。旨い酒を飲む。

じつは、明日、特養老人ホームの忘年会に呼ばれている。明後日は車椅子と仲間の会の忘年会。現役を離れてから、3日続きの忘年会というのは、初めてかな。

激辛数独を買う。数独に凝ってしまって、毎日1問か2問やらないと気が済まない。数をこなせば、どうしたって腕は上がる。だから激辛を買うのだけれど、そのくせ、新聞に載る初歩的な数独でも、油断すると間違えるのです。しかし、激辛だからといって、解決の糸口が見つからないなどと言うことはなくなりました。

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2008年12月18日 (木)

みかんの皮は旨い

12月18日(木)

私はけちだから、買ってきた食料はなんでも無駄なく食べたい。だから大根の皮なども、食べるように心がけている。大根の皮は、きんぴらにします。皮を細く刻んで、ゴボウのきんぴらを作るのと同じ方法で作るわけです。

とは言うものの、きんぴらの正式の作り方なんて、私は知りません。ゴボウを刻んだら少しの油で炒めて、酒と砂糖を適当に加え、みりんと醤油で炒め上げるだけです。大根の皮も、あまったサツマイモも、ジャガイモも、大根の葉の茎も、ブロッコリーの茎も、同じようにきんぴらに出来ます。酒と砂糖は、それこそ適当に入れます。醤油は炒めるものの量に応じて決めます。そしてみりんは醤油と同量を入れます。私のきんぴらは、なんでもこの要領です。注意するのは、みりんと醤油が同量であるということだけ。大根の皮の場合、たまには醤油の代わり味噌を入れることもありますが・・・。

でも、時々困ったことがおきます。大根の皮に気を取られて、かんじんの大根の実の方を忘れてしまうのです。皮を食べて実を捨てるようでは、それこそ、身も蓋もないってことになってしまう。実際にそんなことも起きてしまいます。だから、大根の皮を食べるのも、ほどほどにしないといけません。

近ごろ凝っているのは、みかんの皮。みかんは安いですからね。冬の果物はこれに限る。皮は取っておいて細く刻み、2時間くらい天日に干して、器に入れて冷凍しておく。これは、なんにでも使えるんですよね。野菜の即席漬けに混ぜても良い。煮物の上にチラしても良い。みそ汁にだって入れられる。しかも、結構美味い。

みかんに限らず、オレンジでもグレープフルーツでも、柑橘類の皮は同じだと思います。

柚子味噌のように、みかん味噌を作ってみようかと思っているのだが、これはまだ試していない。

午前、ボラグループ定例会。

午後、K福祉会スペースきずなの営繕作業。

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2008年12月17日 (水)

言い訳

12月17日(水)

たいしたことは書かないのだけれど、、毎日ブログを書いて、我ながらよく書き続けられるものだと思うときがある。書くことが何も思い浮かばず、苦しみながらひねり出すときもあるが、あれもこれも書きたいと思って、かえってまとまらず、書けないときもある。今日などは後者の方ですね。

で、どれを選んで書くかと言うことになるのだけれど、これがうまくは行きません。あれもこれもと思うときには、中味はまとまっていないのです。そんなときは、このような楽屋落ちになるのです。

私は気分で書いています。今日書かなかったからこれを明日書こう、と思ったりはしますが、明日になれば別のことを書きたくなります。前の日のことなんて、覚えちゃあいません。たとえ覚えていても、書く気にならないのです。今日は今日、明日は明日。よく言いますよね、「明日は明日の風が吹く」って。

こう書くと、毎日新しい考えが湧いているようですが、何、同じようなことをあちこちひねり回して考えているだけです。だから、これは前に書いているかも知れない、なんてことが、よく思い浮かびます。これを書いている、これは書いていないなどと、過去のことを思い出せるほど確かな記憶力は、私にはありません。だから時にはダブルのです。

ここまで書いて気がつきましたが、今日の文章は、全部言い訳みたいなものですね。言い訳をさせたら私は上手いよ。自分のやったことに対しての言い訳なら、5個や10個くらい、たちどころに作り出せるんだから。

昨日、今日、部分的な大掃除。昨日は冷蔵庫。今日はレンジまわりと台所。まだ、風呂場とトイレ、窓ガラスが残る。

年賀状も書かなくちゃナア。

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2008年12月16日 (火)

反戦の詩

12月16日(火)

少し前のブログで、「モズが枯れ木で」というサトウハチロウの詩について書いた。その時、サトウハチロウはけして戦争に反対していたわけではないことも書いたと思う。しかし、詩の内容は、反戦である。意識の上では戦争に賛成でも、自分の体は、戦争に反対している。情緒、感情、感覚は反対なのである。鋭い詩人の感性は、意識を超える。意識というものも、結構危ないのです。

意識は海上に現れる氷山の一角に過ぎないこと、海面下にもっと大きな塊があることを最初に説いたのはフロイトだったと思いますが・・・。私は、詩人の感性は意識を超えると言いたいわけです。

意識的な反戦詩と言うことになったら、誰でも与謝野晶子の「君詩にたもうことなかれ」を思い出すのではないでしょうか。若い頃この詩を読んで、私も大いに心を打たれました。長い詩なので、全部覚えてはいませんが、このブログを書くために、読み返してみました。(ブログを書くことも、勉強になるなあ。誰ですか、今さら勉強しても先は知れているなんて言うのは。私だってそう思っていますよ)。

「君死にたもうことなかれ」は長い詩です。ここで全部を引用することは出来ませんが、特に私の心に残っていたフレーズといえば、次のようなところです。

○ 親は刀(やいば)をにぎらせて

  人を殺せと教えしや

  人を殺して死ねよとて

  二十四までを育てしや

○ すめらみことは 戦いに

  おおみずからは出でまさね

  かたみに人の血を流し

  獣(けもの)の道に死ねよとは

  死ぬるを人のほまれとは

  もとよりいかで思(おぼ)されん

同じ頃、大塚楠緒子が「お百度詣」という詩を作っています。反戦詩は沢山ありますが、これは私の好きな詩です。

○ ひとあし踏みて夫(つま)思い

  ふたあし国を思へども

  三足ふたたび夫おもふ

  女心に咎(とが)ありや

○ 朝日に匂ふ日の本の

  国は世界に只一つ

  妻と呼ばれて契りてし

  人もこの世に只ひとり

○ かくて御国と我夫と

  いづれ重しととわれなば

  ただ答えずに泣かむのみ

  お百度詣ああ咎ありや

「君死にたもうことなかれ」と同じで、ここの書くために調べましたが、心に残っていた詩です。この詩を書いた大塚楠緒子は、夏目漱石の弟子でした。漱石の女の弟子は、彼女くらいしかいなかったとも言います。本当のことは分かりませんが、漱石は彼女を好きだったと言われています。彼女は、35歳の若さで亡くなりました。その時の漱石の俳句。

  あるほどの菊抛げ入れよ棺の中

この俳句も、初めてであったときから好きでした。しかしその時は、「お百度詣」の詩人大塚楠緒子の死にさいして作ったものとは知りませんでした。

  

  

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2008年12月15日 (月)

働く者に安全弁がない

12月15日(月)

さて、なにを書きましょうか。

このところ、暗いニュースが多いですね。事件とか事故とかもそうですが、アメリカ発の恐慌(恐慌といっても良いんでしょうね)に、世界中が巻き込まれています。資本主義も行き着くところまで来たようにさへ思います。この期におよんでも、天下り先の法人を廃止することも出来ず、既得権を守ろうとする族議員がいたりする。

派遣社員、期間労働者、企業にとっての安全弁はあっても、そこで働く人々の安全弁はない。小泉純一郎以来、日本の政治家は、企業のための安全弁だけを作り、働くものの安全弁を外してきた。ホームレスやワーキングプアーは社会の根底を揺がす問題だと思っていたのだが、今やそのワーキングができない状況になろうとしている。貧しいもの、弱い者の力にならずに、なんの政治だろうか?

神の見えざる手とか言うものがあって、みんながやりたいことを勝手にやっていれば、世の中は自然に上手く行く、などという考えのもと、規制緩和を良しとしてやってきた。弱肉強食の世界である。

その結果がどうか?貧富の差の拡大である。神の手なんぞ、ありはしない。アメリカが貧困大国であることは、今や多くの人の知るところだ。日本も、貧困大国になろうとしている。

大企業も品がないね。この何年間か大幅な黒字を出しながら、従業員の給料は減らしてきた。そして景気が悪くなると、さっそくリストラである。社会自体、弱いところにしわ寄せが来る仕組みになっている。輸出が出来ないからといって、これでは国内需要が高まるわけもない。

もはや、小手先の改革では駄目ですね。今の政府にそれが出来るか?出来そうもないや。

精障者作業所Mへ。Mはリサイクルショップである。最近客が増えたように思う。景気が悪いからであろう。安く買える物があったらそれで良し、とする人が増えたのだろう。

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2008年12月14日 (日)

年用意

12月14日(日)

山の会で高水三山に行く予定だったが、雨で中止。

少しばかり疲れてもいたので、休養日とする。

年末ジャンボ宝くじと、年賀状を買う。今年描いた絵の中から年賀状向きのものを選び、パソコンで紙面作り。それに買い物。あとはテレビを見てくらす。ハハ、のんきだね。

年末だから、本当はレンジまわりくらい掃除をすれば良かったんだけど。まあ、ごろごろしている方が楽だ。大変なことはなるべく後回しにして、ぎりぎりになってから慌てるのがいつもの術です。

俳句の方では、新年を迎えるためにいろいろな支度をすることを「年用意」という。年末ジャンボを買うのが年用意とは思えないけれど、年賀状の方なら年用意のうちだろう。

ジャンボくじを買って、まだ当たらないうちに、その使い方でもめて夫婦げんかをした、なんて言う話をしてくれた人がいたが、もちろん笑わせるための作り話だろう。私ですか? もちろん使い道は考えています。でも、おあいにくさま、あなたには教えません。

  つかの間に生きる証の年用意  ぼんくらカエル

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2008年12月13日 (土)

那珂川苑

12月12日(金)

10日

10日、11日、障害者4人で栃木に那珂川に旅行してきました。車椅子のTさん、Kさん、歩けるが足と手の不自由なHさん、それにご存じ頭の不自由なぼんくらカエルです。

宿泊は那珂川町の那珂川苑という温泉旅館。詳しくは知らないが、栃木県など補助金が出ているのだろう、障害者のための設備が整っている旅館である。そのため、Tさん、Hさんはこの旅館に何度も来ている。私も3度目である。Kさんは初めてらしい。

2台の車に分乗、運転は、車椅子のTさんとKさん。私は、アア楽チン。途中、馬頭の広重美術館に寄る。馬頭というのは、どうも那珂川町に属するようだ。昔は馬頭町だったと思う。広重美術館については2回目なので、特に新しい感想はない。

全員がアルコール好き。夜、酒を飲みながら、談笑、時には議論。障害者や自立支援法について、結構激しいやりとりも。

Kさんは両手足がない。義手、義足である。自分で車椅子を動かし、運転をし、多少の手助けがあれば、自分で食事をし、1人で風呂に入り体を洗う。そのKさん、

「障害者になって良かったことは何もないけれど、たった1つ良かったのは、私は人に支えられて生きていたのだと分かったこと。障害に遭わなければ、私は傲慢な人間になっていた」

という。

11日

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朝6時、旅館の裏から。

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7時頃。

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そして9時。少し位置がずれてしまったが、朝霧の変化です。

絵本作家いわむらかずおの美術館によって、袋田の滝へ。

車を、商店街の1番奥まで進ませてもらって、その店の駐車場に止め、そこから車椅子を押す。最初の勾配がきつく、少しくらいの坂なら自分で移動するTさん、Kさんにとっても、思うようにならない。で、まずTさんの車椅子を押して上に上がり、次にKさんの車椅子を押す。Kさん、1人で途中まで上がったが、それ以上は無理と言うことであった。最初の勾配さえすぎれば、2人は自力で行けるのだが、移動する距離が長過ぎる。それで2台の車椅子をそれぞれ片手で押していたら、途中から若い男性が1台を押してくれて、大いに助かる。

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袋田の滝は見事でしたが、人物を入れずに撮った写真がありませんでした。右側は袋田の滝の一番下。右下の写真は滝下のすぐ近く。滝の脇の崖の中腹、どうやっていくのか分からないようなところにある御堂。

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2008年12月10日 (水)

ブログの文章

12月10日(水)

私はこのブログの文章を、書き言葉と話し言葉の中間ぐらいの文章で書きたいと思っている。だから、文末も、「です、ます」調と「だ、である」調の混在を気にしない。原稿だと、そうはいかないんだよね。たとえば文章教室なんかでこれをやると、とたんにアウトだ。

文章というのは、こちらの言おうとしていることが、相手に分かるように書くのが基本だろう。これが難しいからみんな苦労する。だいたいからして、私などは時々格好をつけたくなって、知りもしないことを書いたりする。自分の知らないことを相手に伝えようったって、そりゃ無理だよねえ。自分が知らないことを意識していればまだしも、本当は知らないのに、知らないと思ってないことだってある。ああ、そう言えば、孔子様が言ってましたね。

「知るをもって知るとなし、知らざるをもって知らざるとなす。これ知るなり」

それにしても、文章というのは、書き出すとかってに動き出すときがありますな。予定していたことを予定通り書くこともあるけれども、思っていたこととは違う方向に走り出すこともある。こんな短い文章なのに、今日がそうです。もう、最初に書こうとしたこととは別の方向に来ています。だいたい、孔子様など持ってくる方向に進むなんて思っていなかった。

本当は、落語や坂口安吾に繋げるつもりだったのです。書き換えるのも面倒だし、もういいや。またの機会にしましょう。

暖かい良い天気で、洗濯以外に用のない日だったので、散歩に出る。智光山公園に行き、その足で狭山川越自転車道を通って、安比奈公園まで歩く。どうでもいいようなスケッチを幾つか。

Tati0009 Tati0011

Photo Tati0012

明日ブログを休みます。場合によっては明後日も。

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2008年12月 9日 (火)

本との出会い

12月9日(火)

今日は不思議な気がした。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺について書いたのは、つい2,3日前だ。今日読み出した本に、同じ諺が書いてある。その解説は次のようだ。

・・・風が吹けば埃が立つ。埃が立つと目を患う人が増える。すると目が見えなくなる人が多くなる。目が見えなくなった人の中から三味線弾きが出る(江戸時代は琴や三味線、それにあんまなどは盲人の職業だった。ぼんくらカエル、註)。三味線弾きが多くなると三味線の需要が増える。三味線の皮は猫のものなので猫の需要が増える(津軽三味線その他、現在では犬の皮も多く使われる。ぼんくらカエル註)。町から猫が少なくなる。するとネズミが増える。増えたネズミは風呂桶をかじる。だから桶屋が儲かる・・・。

私が書いた理由との違いは、陸と海の違いだけだ。私のは、風が吹くと海が荒れ、海が荒れると船が沈む。船大工が忙しくなって、景気が良くなり、音曲が流行って、三味線が流行るというもの。以下同文という奴だ。

私はしばらく前から資本主義も行くところまで行ってしまったのではないかと思っていた。このブログにも、素朴な疑問を書いたことがあると思う。マネーゲームで儲けて、飼い犬を宝石で飾るものを、セレブといってもてはやす神経。そういう者を下品だと思わない世の中。変です。

私が何となく感じていたそのようなことを、今日読み出した本は、まともに取り上げている。正義というもののいい加減さについても書いている。これも私の持論だ。人を殺すのは悪だという素朴な主張についたも取り上げられている。

「本というものには、出会うべき時に出会う」と誰かが言っていた。そんなものなのかな。

その本とは藤原正彦著『国家の品格』である。藤原正彦は数学者で、新田次郎と藤原ていの子供らしい。前書きや目次を見ると、武士道精神の復活だとか、日本は他のどの国とも違う異常な国などと書いてあるので、この先を読み進めば、私の思いとは違う方へ進んでいきそうな気がする。しかしこれまでのところでは、私が漠然と感じていたことを説明してくれたと思う。

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2008年12月 8日 (月)

みんなが同じ方向を見て叫ぶとき

12月8日(月)

精障者作業所Mへ。こぶし福祉会街頭募金。終わって、S会へ寄る。精障者のための作業ボランティアをしているグループである。

今日は日本がアメリカと戦争を始めてしまった日。当時の政府は、軍部を抑えられなくなっていた。マスコミも国民も、アメリカ討つべしの声が高くなり、日本は一種のヒステリー状態だっだ。旗を振る者がいて、それに乗せられる国民がいて、冷静な声を押し殺した。というより、冷静な声を発する者を袋だたきにし、沈黙させた。

戦後はくるりとひっくり返って、何でもかんでもアメリカが正しいことになった。戦争中は、軍部の思惑通り動くのが正義で、戦後はアメリカの言うことが正義になった。我々は簡単に踊らされ、簡単に酔う。そして正義を叫ぶのだ。

そんな経験から、私は、人々が同じ方を見て同じことを言うようになったら、危ないと思っている。正義の旗を振り回すようになったら、それも危ない。正義というものも、大方は相対的なものだと思っている。ある人にとっての正義は、他の人にとって不正なのだ。

それでも譲れない正義というものがある。私にとって、正義はただ1つ。人を殺してはいけないと言うことだ。そして、戦争は絶対悪であるということ。正義の戦などはないと思っている。右であれ左であれ、戦を正当化されてたまるものか。

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みんなが同じ方向を見て叫ぶとき

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2008年12月 7日 (日)

戦意高揚の歌 厭戦歌?

12月7日(日)

我がマンションの共用部分の大掃除。風邪を引いているが、こんな時は出なくてはならない。

午前中で終わり、疲れて横になっていると、Tさんがリンゴを持ってきてくれた。

Imgp0713 大きなリンゴである。特に一番上のリンゴは大きい。多分、これだけ大きいリンゴを、私はまだ食べたことがないと思う。

Tさんは「歳なんだからゆっくり休め」と言って帰った。

疎開していた時分、りんご園のある家にお使いに行って、帰り際、うっすらと初雪を被ったリンゴを、樹からもいでもらったことを思い出す。あのリンゴは旨かった。

その頃、「リンゴの歌」が流行っていた。サトウハチロウ作詞である。サトウハチロウといえば作家佐藤紅緑の息子、佐藤愛子の異母兄で、学生時代は不良だったらしい。しかし、良い詩をたくさん作っていて、童謡になっているものも多い。「小さい秋見つけた」という童謡など私は好きだ。

疎開から帰って何年くらいあとだったか、何人かの仲間と、街のコーラスグループを作った。そこで習った歌に「モズが枯れ木で鳴いている」というのがあった。我々は茨城県民謡として習ったと思う。ある時サトウハチロウがラジオで「私の作った詩が茨城県民謡として唄われている」といった。これもサトウハチロウの作詞だったのである。

1) モズが枯れ木で鳴いている

   おいらは藁を叩いてる

   綿引車はおばあさん

   コットン水車も回ってる

2) みんな去年と同じだ

   けれども足んねえもんがある

   兄さの薪割る音がねえ

   ばっさり薪割る音がねえ

) 兄さは満州へ行っただよ

   鉄砲が涙で光っただ

   モズよ寒いと鳴くがよい

   兄さはもっと寒いだろ

この詩だけを見れば、厭戦歌と思う。指揮者もそういって我々に教えた。サトウハチロウ自身は、戦争は必ず勝つものと信じていた。だから、厭戦と思ってはいなかったのだろう。

モズの歌は戦後うたわれたのだが、戦争中ラジオから流れた戦意高揚の歌の中には、今の目で見れば、厭戦的な感じのするものがいくつかある。

たとえば次の歌はどうだろうか。

   歩け歩け 歩け歩け

   東に西に 歩け歩け

   南に北に 歩け歩け

   道ある道を 歩け歩け

   道無き道を 歩け歩け

次のような歌もある。

   どこまで続くぬかるみぞ

   三日二夜を食もなく

   雨降りしぶく鉄かぶと

最後の歌など、どう考えても戦意高揚にはならないと思う。確かこれを書いた詩人も、厭戦の気持ちを詠ったのだと後に言っていた。それなのに、戦意高揚の歌としてラジオから毎日流したのである。そのおかげでこの二つの歌、私は今でも唄える。

米軍が日本に来て、日本で唄われていた戦意高揚の歌や軍歌を、悲しいメロディーが多いといって不思議がったらしい。我々は悲壮感のあるものが好きだからナア。特にあのころの日本人はそうだった。 

   

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2008年12月 6日 (土)

加害者としての日本

12月6日(土)

『ある憲兵の記録』(朝日文庫)を読んでいる。

旧日本軍の憲兵から、朝日新聞山形支局記者の聞き書きである。読んでいると辛くなる。元憲兵は、普通なら墓場まで持っていくような話しを、懺悔の気持ちで正直に話している。

大和民族は優秀だと信じ、中国人や朝鮮人を虫けらのように拷問にかけ、挙げ句の果てに殺す。その当人が話しているのである。正義のつもりでそれをしていたのだ。

戦争は絶対悪だと、つくづく思う。そして、正義というものの危うさ。

日本人が過去の大戦で、相当残酷なことをしていたのは事実である。そのような事実を認めるのは辛いことである。しかし、事実は事実として認めるいさぎよさが無くてはいけない。私は、多少は他国の歴史についても知っている。残酷な過去を持つのは日本人だけだとは思っていない。

事実を隠すことに依ってでは、何も生まれないだろう。先頃、問題論文を書いた田母神氏は、あの戦争で、日本は何も悪くなかったと主張しているそうだ。しかし、日本が侵略者であったことは明らかだろう。敗戦を迎えたとき、沖縄以外では日本は侵略されてはいなかったのである。日本軍は外国を侵略したままで敗れたのである。侵略者は日本なのだ。どう言いつくろっても、この事実は消えない。

事実は事実として認める。謝るべきは謝る。そして前へ進む。田母神氏は、「日本は良い国だといったら首になった」といったようだが、事実を理解せず、都合の良い理屈にしがみつくことが立派な態度といえるだろうか。

泥棒にも三分の理という。日本側にだって言い分はある。しかし日本を良い国だと思うためには、事実を事実として認める態度が必要だろう。

次女たちの新築の家を見に行く。まだ荷物の運ばれていない家は、のびのびとして気持ちがよい。

不景気で雇用の安定しない時期に家を買って、次女たちは大丈夫なのかな、と心配性の爺は思う。夫婦で力を合わせるしかないだろうけれど。

テレビ、来る。わが家などは平々凡々たるものだから、テレビを買い換えればニュースだ。仮に今年の10大ニュースを選ぶとしたら、これも入るだろう。

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2008年12月 5日 (金)

家電製品の必要度

12月5日(金)

とうとう風邪で、かかりつけの医院に行く。鼻水と、軽い咳。

精障者作業所の忘年会。前からの約束なので一応出席。熱はないので、辛くはない。それにしても、何年ぶりの風邪かなあ。この何年間か、風邪もひかなかったなんて、自分でも信じられない。

テレビは明日配達される予定。

家電製品の、私にとっての必要度を考えてみた。照明器具は別格としよう。まさかロウソクでも暮らせない。私の少年時代は、わが家の家電製品は、照明の白熱電球、それにラジオくらいだった。蛍光灯は、まだありませんでした。扇風機は、お店などにありました。

わが家でもっとも必要な家電製品は、電子レンジです。電子レンジは、わが家のシェフです。次に冷蔵庫。やはり食事関係が大切ですね。

3番目は洗濯機。食事関係でも、ご飯は鍋でも炊けます。だから炊飯器の順位はずっと下がります。洗濯も手で出来ますが、ちょっと大変すぎます。

4番目はなんだろうか。エアコンは今でもあまり使っていないので、扇風機とコタツが来るかな。どっちが4番か5番か分からないが、まあそんなところだ。

6番目がパソコン、7番目がテレビ。

しかしこの6番目と7番目には開きがある。6番目のパソコンまでは必要な物で、テレビ以下はある方がよい物になる。そんな物でも、無いと淋しい。貧乏人とはいえども、テレビ以下、いくつかの家電製品がある。本来は必要としない物に囲まれているんだなあ。

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2008年12月 4日 (木)

風邪を引けばテレビが壊れる

12月4日(木)

一昨日の夜、目が覚めたら喉が痛んだ。口を開いて寝て、いびきをかいたときなど、喉ががらがらになることがあるが、それとは違う。風邪の初期だ。風邪はごく初期が大切で、早く薬を飲めば抑えられることが多いのを、経験で知っている。そこで、何はともあれ、置き薬を飲んだ。朝目覚めると、喉の異常は感じなかった。

そんなわけで、昨日はなんの不安も感じずに、普通に過ごした。

ところが昨夜目覚めると、また喉が痛い。ここでまた薬を飲んだ。朝目覚めると、少し鼻水が出るが、喉はなんでもなかった。何となくこれ以上悪くなる気もしないので、朝昼晩3度の薬だけは飲みながら、普通に過ごした。しかしながら鼻水は止まらない。パソコンにむかっている現在は、ひょっとすると少し悪くなるかな、という不安もある。

もう一つの問題、今朝目覚めると、テレビが壊れていた。昨日の夜までなんの問題もなかったのに、今朝は、スイッチを入れても、うんともすんとも言わない。テレビの本体に、電気が行かないようだ。とすると、コンセントとコードに問題があるのだろう。昔の電化製品は、コンセントくらいは自分で直せた。しかし今のは、本体と一体になっていて手が出せない。電気と機械にはからっきし弱いので、どうも出来ないのである。

デジタル化に対応できる機種ではないので、心ならずも、この際買い換えることにした。ヤマダ電機で、今のテレビの引き取り混みで、約95,000円。貧乏人には痛い出費だ。来年は1ヶ月の生活費を1万円節約しなくては。「貧乏の棒も次第に太くなり振り回される年の暮れかな」なんてね。

風邪とテレビが壊れたのはなんに関係もないのだけれど、何かの事件が相次いで起こったりすると、そこに原因結果を求めたり、何らかの関係がありと思ったりする習性が、われわれ人間にはある。風邪とテレビでは離れすぎているから、誰も関係ありとは思わないだろうが、強引に結びつけることだって、不可能ではないだろう。何しろ、風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉だってあるのだ。

風が吹くと、なぜ桶屋が儲かるのか? その理由。いつのことか忘れたけれど、誰かからこんな理由を聞きました。

風が吹くと海が荒れる。海が荒れると船が沈む。船が沈むと、新しい船を造らなければならない。そこで船大工の仕事が増える。船大工の仕事が増えると、世の中の景気が良くなる。景気が良くなると音曲が流行る。音曲が流行ると三味線が使われるようになる。三味線を使うとその皮が破れる。皮が破れると皮を取るために猫がさらわれる。すると街に猫が少なくなって、ネズミが増える。ネズミが増えると桶をかじる。

だから、風が吹くと桶屋が儲かるのです。風邪とテレビだって、きっと結びつきます。

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2008年12月 3日 (水)

罰当たり

12月3日(水)

先日、こんな俳句を作った。

  酒飲んで痩せる術欲し秋の夜  ぼんくらカエル

健康診断の結果、どこも悪いところはないが、少し痩せるようにといわれた。太る原因は酒の飲み過ぎである。その結果が上の俳句だ。酒は飲みたいだけ飲んで、栄養のバランスを崩さずに痩せたいという、きわめて虫の良い俳句である。

他人事ではなく、私を含めてのことだけれど、近ごろの日本人の食物に対する感覚は、狂ってますね。おいしくて、カロリーの低い食物を、ヘルシーだなどといっている。酒を飲んで痩せたい奴がいたり、沢山食べて痩せたい奴がいたりするのです。そういう者を、昔なら「罰当たり」といいました。

世界中には飢えている人が大勢います。その人たちにとって、少し食べてもカロリーの高い食物こそヘルシーでしょう。今は日本でも、飢えている人がいるようです。それなのに、貧乏人である私でさえ、酒を飲んで痩せたいと言っている。

戦中戦後の食糧難を多少とも知っている者としては、こんな生活はいつか崩れるという気持ちが、心の隅にあります。そう思いながら、今日も酒を飲むのです。

精障者授産施設Rへ。塀の扉の取り外し、本棚の棚板削り、K食堂の包丁研ぎ、その他。

天気が良いので、行き帰りは歩く。私の足で片道55分。普通の人なら、1時間10分か15分くらいかかるかな。

今年はどこへ行っても紅葉がきれいだが、狭山市辺りの紅葉は、もうおしまいですね。舗道に散り敷く紅葉と、夕日の入間川の写真です。遠くに大岳山が見えます。

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入間川の支流、霞川にカワセミがいたので、シャッターを切りましたが、ほとんど判別しがたいピンぼけ写真になりました。中央右にいるのですが、分かるでしょうか。

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2008年12月 2日 (火)

ブログを毎日更新する理由

12月2日(火)

私は10年ほど前に妻を亡くした。娘が二人いるが共に結婚して、離れて暮らしている。私はマンションで独り暮らしである。

今月中に、私は72歳になる。いつ何が起こってもおかしくない歳だ。「あんなに元気だったのに、え? 死んじゃったの? いつ?」なんてことがいつでも起こる得る。

私は先日の健康診断で、どこも悪いところはないけれども痩せる努力をしなさいといわれた。つまり、普通の検査では、少々太り気味という以外には健康という結果になる。だから、自分でも、まだ死ぬような気はしていない。しかし、万一と言うことのある歳だとは思っている。

私自身が死ぬのであれば、それは仕方がない。しかし、私が死んで1ヶ月も2ヶ月もしてから死体が発見された、なんてことになったら、残された者が気の毒である。娘たちに、悔やむような気が起きるだろう。

だから私は、毎日ブログを書くことにした。私がなんの前触れもなしにブログを2日も休んだら、「何かあったのだ」と思え、と娘たちに言ってある。

そんなわけで、娘たちにチェックしてもらうつもりでブログを書いている。どうせ書くものだから、ついでに公開しているわけだ。何人か、読んでくださる方もいる。ありがたいことだ。

娘たちに元気であることを知らせるだけならば、「朝起きて、飯を食って、夕方風呂に入って、酒を飲んで寝た」と、毎日書き続けても良いことになる。それでも、元気に生きていることは分かる。でも、書く方は、それではつまらないんですね。だから、夕方、酒を飲む頃になると、今日はなにを書こうかな、などと考える。

主婦は「今晩何を食べようか」とか、「お弁当にどんなおかずを作ろうか」などと、毎日考えるだろう。私は主夫だけれど、主婦と同じで、今日は何を作ろうかと考える。自分で作らなければ食えないのだから、男も女も関係ない。

毎日ブログを書くのは、それと同じである。「今日は何を作ろうか」と思うように「今日は何を書こうか」と思う。それが習慣になった。

「朝起きて、飯を食って、酒飲んで寝た」と書くだけでは、書くことが義務だけになってしまう。多少面倒でも、好き勝手なことを書いていれば、表現欲も満足させられるというものだ。

惚けは、本人には気がつかずにやってくると言う。私は誰とも同居していないのだから、なかなか気づいて貰えない。この面でも、ブログは役に立つと思っている。支離滅裂なことを書きだしたら、娘たちも「親父は惚けたな」と気がつくだろう。「え? もう支離滅裂だって? あなたですね、そんなことを言うのは。分かってますよ。もう始まっています。ところであなたはどなたでしたっけ?」

車椅子と仲間の会。市議会見学。市議会を見学することにどれほどの意義があるか疑問だが、車椅子の人たちが外出するきっかけにはなる。

市議会見学後、市役所の食堂で昼食。そして車椅子の会定例会。

ところで私、市役所へ自転車で行って、帰るまでに、どこかでその鍵を落としてしまった。仕方なしに歩いて帰り、予備の鍵を持って、もう一度市役所に行った。やっぱり惚けはじめているのかな。

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2008年12月 1日 (月)

毎度のことですが ナンプラー

12月1日(月)

毎度のことですが、今日も楽屋うちの話しからはじめます。

私がパソコンにむかうのは。通常は夕食後で、夕食はアルコールのじゃまにならないように摂ります。パソコンにむかう前に飲む量は、500ミリリットルの缶ビール1本とコップ1杯の日本酒、といったところです。日によっては、もう少し飲みます。

お酒を飲みながら、さて今日のブログはなにを書こうか、なんて考えるわけですね。たとえば今日考えたことといえば、この前首になった田母神幕僚長の話とか、日本の裁判は、今でも案外冤罪があるらしい、という話しとかです。

しかし、いざパソコンの前に座ると、それはまたの機会にして、と思ってしまいました。こんな風に私の考えなんて、くるくる変わるんです。だから、楽屋落ちだけでおしまい。

精障者作業所Mへ。

5日にMの忘年会をやるという。会場は先月開店した隣のフランス(イタリアだったかな?)料理屋。どっちでもいいや。出されたものはなんでも食べる人間だ。ゲテモノでなければね。

スパゲッティーを食べるのだそうで、どんな種類のものを食べるのか、訳の分からないことを聞かれた。ナタデココだとかナンプラーだとか、とにかくカタカナの言葉を幾つか並べられて、どれにするかと聞く。自慢じゃないが、こっちはスパゲッティーとパスタの違いだってよく分からない人間である。ナンプラーだのテンプラーだのといわれたって分かるものか。

いつか、ユニクロが分からなくて笑われたことがある(今は知っているよ)。メッキでユニクロームというのがある。それかと思った。

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