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2008年10月 5日 (日)

10月5日(日)

車椅子と仲間の会定例会。

先月の旅行と、年末の忘年会の話題。

寛容について

若い頃、アメリカの哲学者バロウス・ダンハムの本を読んで、「寛容な精神とはあらゆることを許すが、不寛容だけは許さない精神のことだ」という意味の言葉にいたく感心した。他のことは覚えていない。多分満足に理解できなかったのだろう。

近ごろアメリカとロシアの仲が悪いようだが、ロシアがソ連時代には、悪いを通り越して対立していた。資本主義と共産主義という思想の対立があった。今は共産主義も力がないけれど、だからといって、何でも資本主義バンザイというわけにも行くまい。

マルクスは資本主義が発達するに従って矛盾が顕れる、という意味のことを言っていたはずだ。それが今の世の中に現れているのではないか。ワーキングプアーなどというのは、まさにそれだろう。今さら旧ソ連のような社会が顕れても困るが、資本主義がこのままでいいとも思えない。

寛容について書くつもりだったが、初めから脱線しちゃった。

思想、イデオロギーの対立がなくなったら、近ごろは民族や宗教、文化の対立が先鋭化している。地球上は、戦争や小競り合いが満載だ。

また脱線するけれど、学校では生徒の親でモンスターと呼ばれる人たちがいるらしい。理不尽で自分勝手な要求を学校に押しつける親たちのことだ。そんな親たちも、自分の理屈は持っているのだ。その理屈が社会に通用しないだけだ。

モンスター親に限らず、どんなときでも自分の理屈は絶対正しいと思っている人はいるものだ。違う考えがあり得ると言うことが分からないのである。そのような人は、他人のことが許せない。いつでも他人が間違っているのである。

文化の違い、宗教の違いを許せないのも、モンスター親に似ていないだろうか。テロをしたり、テロリストを許せないといって戦争を仕掛け、一般人を殺害したりすることを正義だと思っている。おかしいじゃないか。一般人を殺害するという表現には抵抗があるかも知れないが、イラクでは誤爆だのなんだので、テロリストより多くの一般人が死んでいるというではないか。

イラクの原理主義者にもブッシュ大統領にも、自分と違うものを認めようという気持ちがない。自分の正義だけが正しいのではない。人を殺さないこと。大切なのはこれだ。

寛容から離れてしまったが、全く無関係でもないので、いいことにする。これは寛容ではなくて、いい加減なのですね。

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