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2008年8月 7日 (木)

暦の秋

8月7日(木)

ボランティアグループ定例会。

K福祉会祭り実行委員会。

今日、暦の上では秋になる。

今日は立秋。まず、俳人長谷川櫂が、週刊「日本の歳時記」17号に書いた文を紹介する。

「8月7日は24節気の立秋。この日から秋に入ります。よく『暦の上では秋です』と言いますが、裏を返せば『実感ではまだ夏』という意味です。もし、このように実感によって季節を分けるなら、暑い時期が夏、寒い時期が冬、その間の過ごしやすい時期が春と秋になります。

しかし、これは暑さを夏、寒さを冬と言い換えただけのこと。もし、これが日本人の季節感であるとというなら、なんとも貧困な季節感といわなければなりません。これでは『日本人は季節に敏感な国民である』などと人前で話すのも恥ずかしい。

では、日本人が古くから培ってきた季節感とはどんなものだったか。それは一言でいうと『季節を探る』ことでした。まだ暑いうちに秋を探る、寒いうちに春を探る。このさぐるというこころのうごきは、立春、立夏、立秋、立冬という24節気による季節の区分けに基づいていました。」

さすがは長谷川櫂氏。納得させることを言いますね。「季節を探る」ですか。なるほど。

でも、疑問が残ります。季節を探って、実感を少し先取りするのは良いのですが、実感をまるっきり通り越しても、「探る」ことになるんでしょうかね。極端なことを言えば、冬に夏を探ったり、夏に冬を探ったりすることだって、強引に結びつければ出来るでしょう。

今日の関東地方は、この夏1番の暑さでした。今夜から明日に懸けての最低気温の予想は、熊谷28度です。この夏最高の熱帯夜になります。明日の熊谷の最高気温は38度です。どこに秋の気配を感じたらいいのでしょう。これからは、これまでよりも暑い日が続くでしょう。これからもっと暑くなりそうなときに、「秋を探れ」と言われても、ちょっと無理があります。

だいたい、高浜虚子の時代と現在では、夏の気温が違います。虚子が感じた初秋の気配は、今では9月初めくらいになるのではありませんか。「夜の秋」というのは、夏の終わりごろ、日中は暑くても、夕方には風の吹きかたに秋を感じたりすることをさし、晩夏の季語となります。しかし、今はまだ、「夜の秋」だって、無理ではありませんか。ましてや秋だなんて。

温暖化は、季節感も変えます。立夏とか立秋というのは、太陽と地球の位置によって機械的に決まるのです。季節をそれによって探ろうというのは、無理があるのではないでしょうか。機械的に季節を決めて、感覚の方をそれに合わせようと言うのでしょうか。

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