« 杉田彦左衛門天狗に殺される・2 | トップページ | 俳句大会準備 敗戦日雑感 »

2008年8月14日 (木)

明日、敗戦記念日

8月14日(木)

私は、あまり「絶対」というものを認めない方だ。

科学的なことならば、絶対というものはあるようだ。たとえば地球は太陽のまわりをまわっている。私に証明する力はないけれど、これは絶対に正しいのだろう。人間は必ず死ぬ。これも正しい。絶対である。

これに反して、人間の行為、判断、などには、絶対というものを認めにくい。

たとえば「あの男は大きい」とAさんが言っても、Bさんは「いや小さい」と思うかも知れない。小柄なAさんがその男を大きいと思っても、大柄なBさんには小さく見えるというわけだ。身長2メートルの男を見れば、誰でも彼を、大きいと思うだろう。けれども、1メートル70センチとなると、人によって、大きいと思ったり思わなかったりするだろう。世の中には、大男も小男もいる。しかし、その境界線を引くわけにはいかない。見る人によって違うのだ。

ある人を見て、私は美人だと思ったとしても、他の人もそう思うとは限らない。こんなものは感覚の問題で、人によって違うのだ。

思い出したことがある。ゼルバンテスの『ドン・キホーテ』確か続編の冒頭あたりだったと思うが、美女が登場する場面がある。

小説の中に、この世に二人とはいないような絶世の美女が登場する。仮にA嬢としよう。ところが、やはりこの世に二人といないような絶世の美女B嬢が登場する。この二人がばったりと出会う。読んでいる私はどうなるかと思ったが、A嬢はB嬢を見て「これまでにこんな美しい人にあったことがない」と思う。同じようにB嬢はA嬢を見て「これまでこんな美しい人にあったことはない」と思うのである。

なるほど、これで解決と思った。

ところがセルバンテスは、さらに絶世の美女C嬢を登場させて、A嬢、B嬢たちに逢わせてしまう。これをどう解決するのかと思ったら、さすがにセルバンテスですね。C嬢は「これまで見たこともないような美しい人が二人もいるなんて」と驚く。A嬢は「なんと美しい人だろうか。B嬢よりも美しいくらいだ」と思い、B嬢は「なんて美しい人だろうか。A嬢よりも美しいくらいだ」と思う。

上手いねえ、この解決の仕方。でも、これは脱線です。

私は人間のやることや考えることに、絶対という言葉をあまり使いたくないのだけれど、命ある人間として生まれてきた以上、訳もなく人を殺すのは、絶対に悪いと思っている。その最たるものが、戦争である。戦争の英雄などは糞食らえだ。悲壮に散っていく英雄、なんてものもある。そんなもの、どこが格好良いんだ。戦争こそは絶対悪である。

明日、敗戦記念日。終戦記念日とも言う。しかし私はこの言葉を使いたくない。終戦ではなく、敗戦である。負けたんだろう。ごまかすなよ。

|

« 杉田彦左衛門天狗に殺される・2 | トップページ | 俳句大会準備 敗戦日雑感 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/22987428

この記事へのトラックバック一覧です: 明日、敗戦記念日:

« 杉田彦左衛門天狗に殺される・2 | トップページ | 俳句大会準備 敗戦日雑感 »