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2008年8月 6日 (水)

天狗にさらわれた子の物語・4

8月6日(水)

天狗にさらわれた子の物語・4(狗波利子・通算56回)

(前回までのあらすじ・シャケの子、次郎は天狗に連れられて、様々な経験をする。今は伯耆の国大山で、魔界の主の僧の話を聞いている)

主の僧は、話を続ける。

修善寺の恵山長老は、唯識法相の宗義を極め、華厳、涅槃の道理を知り、常に講義をし、数百人の弟子がいる。しかし、自分の流派を立てて他流をけなし、自己主張が強い。

上覚寺の行蓮上人は説法上手で名をあげ、諸方の男女を善導し、一切経を書き、仏像を多く作った。世間から仏のように思われている。しかし、ただ経論を集め、仏像を作り、他の財物を求めて、むさぼりのM心が起こった。功徳があるようだが、実際にはどん欲の煩悩にとりつかれた。

霊光寺の明寂法師は高名な武士だったが、武器を捨て、仏門に入った。しかし俗家にあるときは、道理を曲げ、百姓の財産を奪い、人を傷つけて得た金銀を寺に入れ、堂舎を建てた。

これらの輩はみな、我々が障害を作って導いたわけでもないのに、死んでからは魔道に入る。

彼らばかりではない。世の中には出家と言われるものが幾らでもいるが、なすべき行も行わず、仏法の道理も知らず、布施する人にはへつらい、欲の深さは俗にまさる者が多い。在家を惑わせて世を渡る法師も、死んで地獄に堕ちる者だ。地獄で、信者からもらった布施の償いをしなければならない。

儒道を学ぶ者もこれに似ている。物事から解放され、清く自由な境地になることなど思いも及ばず、詩を作り、文を作る。だから、心にもない偽りを筆にあらわし、やるべきことを行わず、人をたぶらかす。まるで手を出して盗みをせぬばかりの行いで録を汚す。天の理に背き神徳に違う。死んだからといって本道に帰る道はなく、餓鬼道、畜生道、地獄道に墜ちることは確かである。

在家の者は、世を渡り生活をしているうちに、後生のことを気にしたりはするが、愛欲にひかれて心底からの思いはなく、多くは地獄に堕ちるという。

これらの者、魔道に入って耐え難い苦しみを受けながら、慚愧し懺悔する心を興さず、帰って仏敵法敵になる浅ましさだ。

                        続く

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