« 介護施設K・ずぼら | トップページ | 明日、敗戦記念日 »

2008年8月14日 (木)

杉田彦左衛門天狗に殺される・2

8月14日(木)

杉田彦左衛門天狗に殺される・2(狗波利子・通算62回)

(前回のあらすじ・杉田彦左衛門は、月に3度、日光の今市の市が立つ日に必ず出かけていた。そして帰りには山賊となり追いはぎを働いた。日光の天狗孫太郎が、お前を4月15日に殺すと言い、その言葉通り、4月15日に彦左衛門は狂い死にした。)

国西寺の国道和尚によって葬儀は行われた。雨風が強く、葬儀の列に降り続けた。棺が墓の近くまで来たら、稲光がしきりにして、空から雷神の声があった。

「その亡骸をここに置いていけ」

和尚は答える。

「たとえ何があったにしろ、私が葬儀を引き受けた以上は、死体を渡すことは出来ない」

と言って脇差しを抜いた。雷神は墜ちてきて、脇差しをひん曲げて去った。死体は無事で、空は晴れた。その脇差しは、今も寺に保管されている。

和尚は静かに引導を渡し、霊を弔った。

のちの和尚は語った。

杉田彦左衛門は力が強くふてぶてしかった。人を人とも思わず、神仏、天の教えに背き、やりたい放題の悪行をした。人を殺し、財物を奪い、人を苦しめた。だからこのような怪しげなことに逢うのだ。

怪しげなことは怪しげな行為から起こる。邪気が勝と正気が失われる。心にやましいことがあれば、実際には無いものが見える。煩悩に心を奪われ、常に迷って苦しみを受ける。その心を取り戻すところにこそ、正見正智が現れる。この正念を環境に奪われ、蝉の抜け殻のようになれば、怪しげなことがが現れるものだ。鍵をかけていない家に、泥棒が入るようなものである。

世の中には怪奇現象というものもある。人には魂がある。その魂が正気ならば、非道はない。妖邪は出ない。

自分から正しい行いをして正心正念を求められない凡人は、神仏に頼り、敬い尊べば、神仏の神通力によって、正念にいたるものだ。

昔は人が死ぬと、鬼婆が来て、死体を奪い取り、引き裂いて大木の枝にぶら下げたりした。今は神仏に頼る者が多くなり、鬼婆の出番は減った。

ただ、恐るべきは、我々の悪行、妄念である。地獄の鬼畜も、どこかから来るのではない。自分の内から出てしまう罪科だ。生きている間にそんな過ちをしては、死んでから取り返すことが出来ない。仏道、菩薩の道こそ、願い求めるべきものである。

                    第6巻・終わり

|

« 介護施設K・ずぼら | トップページ | 明日、敗戦記念日 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/22986299

この記事へのトラックバック一覧です: 杉田彦左衛門天狗に殺される・2:

« 介護施設K・ずぼら | トップページ | 明日、敗戦記念日 »