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2008年8月 5日 (火)

天狗にとられた子の物語・3

8月5日(火)

天狗にとられた子の物語・3(狗波利子・通算55回)

(前回までのあらすじ・伏見の社家の子、次郎は5年間天狗に連れられて、不行方不明だった。天狗に出会った最初の日、空を飛ぶようにして京の如意ヶ岳という山に行き、7-8人の僧が銅の煮え湯を飲み、焼けこげてから復活するのを見る)

次の朝、天狗の僧につれられて空を飛んでいった。霧を開き、雲を分けて飛んだ。

「ここはどこですか」

と聞くと、

「播磨の国、姫路」

と言う。時間は6時頃である。

「腹が減っただろうから何か食わせてやろう」

と、大きな家の中に連れて行った。何か祝い事があるのか、人が大勢出入りしていた。それなのに、誰も僧や次郎に気付く者はいなかった。僧は次郎に、食べたいものは何でも食べさせた。

それからまた、空に昇り、雲の上を駈ける。下には青海原がみえる。浜には、所々に人家があり、貧しげな家の近くでは、海草をほしている者がいる。塩屋からは、塩を焼く煙が立ち上っている。西の方には松原があり、沖には帆をかけた船が行き交っている。漁り火が波に揺れているのが見え、もう太陽が海に沈みそうだと思う頃、大きな山の上に降り立った。

「ここはどこですか」

「伯耆の国の大山だ」

谷を越えて、大きな楼門があった。近づいて、案内してもらう。恐ろしげな法師が案内をしてくれた。御僧は次郎と共に中に入った。

主の僧が出てきて、座り直し、さまざまな物語をした。年の頃は50ばかりに見える。話しの間に、4,5人が集まってきた。みな上品で、徳が高そうに見える。

主の僧が話す。

生死というものは、位が高かろうが低かろうが、誰にでも訪れる。逃れようがない。正しい行いをして立派に見える人でも、妄執があったりすれば、死後、我々のところに来るようになる。だから、昔も今も、徳高く行いが正しいと思われている者も、多くは魔道の者となる。我々の昔の迷いも、みな似たようなものだ。

学問に優れ、徳高く行いが正しいと言っても、まことの大道をはずれやすい。知らないことを知っていると思い、持たないものを持っていると思う。自分は人に劣らないつもりで、優れた者をそしり、まさる者を憎む。増長慢は、山よりも高く、海よりも深い。

我々はここに来る者を求めて、探し歩く必要はない。魔道の網にかかる者は、まことに多い。何も障害があるわけではないのに、自ら大道をそれる者ばかりだ。

                       続く      

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