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2008年8月25日 (月)

五条の天神・1

8月25日(月)

五条の天神・1(狗波利子・通算60回)

   原作・浅井了意   現代語訳・ぼんくらカエル

京都五条西洞院の西に、五条の天神がある。

ここには大国主命が祭られている。命はその昔、少彦名命と共に国を治めた。また命は人民の疫病の苦しみを救おうとして、その対処の仕方を教えた。後の世に偉大な仁恵を施したこと、神皇、黄帝(共に中国の伝説上の皇帝)勝とも劣るものではない。従って、代々の執権、奉行職の人は、命を敬ってきた。

応永(1394-1411年)の頃、寿玄斎と言う医者がいた。若い頃より学問に熱心で、黄帝岐伯の教えを探り、秦、越人の深意を極めようとしたが、いまだにその奥義に達することが出来ない。しかも、身は不遇である。

玄斎は日頃より五条の天神に帰依している。信仰心が深く、ことあるごとに天神を敬って、長年過ごした。

玄斎はある晩、夢を見た。

・・・・・

朝早く家を出て、天神の社の前で深く頭をたれていたとき、かたじけなくも天神が社殿の扉を開き、玄斎の前に現れた。

お前は誠を尽くして私を敬っている。その心は私に通じている。お前は身の不遇を嘆いているが、それはむしろ、お前の幸いなのだ。

日本は神の国である。天子は、天照大神の子孫で、その系統を代えたことがない。だから、神道を大切にし、王の道を興隆させ、朝廷の権威を全うすべきである。昔、王の道が守られ、神道に合う世の中の時は、民は素直で豊かに、国家は安泰だった。雨風も季節に応じて穏やかに吹き、飢饉飢餓の憂いもなかった。ましてや、謀反を起こすことなど無かった。

後の世になって、元暦には安徳天皇、承久には後鳥羽院、元弘には後醍醐天皇などに災いがあった。これはみな、君徳がなかった。

天下を敵に奪われ、朝廷は安らかではなかった。落花が海の風にさまよい、悲しみの月が雲に隠れる。王道の徳を忘れず治めていれば、このようなことはなかった。神道のもとを忘れ、政道に人望がなかったためである。王道は衰え、神道も廃れた。悲しいことである。

                       続く

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