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2008年8月23日 (土)

飯森が陰徳の報い・2

8月23日(土)

飯森が陰徳の報い・2(狗波利子・通算68回)

(前回のあらすじ・豊臣秀頼の侍大将鈴木田隼人介の家臣、飯森兵助は、慈悲深い盗賊奉行だった。ある時、土井孫四郎という者を牢から逃がしてやる。鈴木田の城は徳川方に破られ、兵助は浪々に身となり、播磨に至る。聞けば、その土地の代官が土井孫四郎だという。)

兵助は不思議に思い、その屋敷を訪ねてみた。顔を合わせてみれば、まごうことなく、昔助けた囚人の孫四郎である。孫四郎は驚き、自宅と隣り合わせの座敷を清め、招き、まことの命の親として昼夜酒宴を催し、10日ばかり一緒に過ごして、その後ようやく家に帰った。

孫四郎の家のトイレは、兵助の座敷と壁一つ隔てた隣である。兵助は、孫四郎がトイレで妻と話している声を聞いた。

「あなたはこの10日ばかり、客人をもてなしているが、あれはどなたですか」

「昔大恩を受けた人だ。命を救ってもらった。今こうしていられるのも、あの人のおかげだ。だから、厚くもてなしている」

「あなたは、つまらないことをおっしゃいますね。人の一生に、盛衰浮沈があること、別に珍しくはありません。時を得れば人の上に立ち、運が窮まれば人に屈します。今さら昔のことなどにとらわれる必要はありますまい。大恩には報ぜず、と言う諺もあります。あなたが昔、囚われの身となったことを今は知る人もいません。それなのに今のようなことをしていては、いずれ人に知られてしまい、恥をかくことになります。今の時勢に従って判断してください」

孫四郎はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「なるほど。お前の言うのももっともだ。何とかしよう。しかし、このことは他の者に悟られるなよ」

これを聞いて兵助は大いに驚き、衣服や荷物を置いたまま、馬を走らせて逃げた。午後8時頃までに、40キロほど離れた播州、堺にたどりつき、宿を借りた。

                        続く

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