« スコール | トップページ | 水彩画の会 »

2008年8月22日 (金)

飯森が陰徳の報い・1

8月22日(金)

飯森が陰徳の報い・1(狗波利子・通算67回)

    原作・浅井了意  現代語訳・ぼんくらカエル

豊臣秀頼の侍大将、鈴木田隼人佐は水上からの敵の侵入を防ぐため、番船という仕事を仰せつかり、えた城に居住していた。

その家臣、飯森兵助というもの、盗賊奉行として、二心無く鈴木田に仕えていた。生まれつき心が素直で、慈悲深く、貧しい者を哀れみ、富おごれる者をいさめた。そのため人々はその裁断に従い、服して、反抗する者はなかった。

ある時、土肥孫四郎という囚人があった。罪状は紛れもなかったので、両手を後ろ手に縛って白状させようとした。孫四郎は兵助に、

「私は何もしていない。名のある武士である。知恵も勇気も人に負けることはない。どうか私の言うことを信じて、故郷に帰してください。そうすれば必ずあなたのために力を尽くし、その恩に報います」

と言った。

兵助がつくずくと彼の顔を見ると、憶する様子もなく、まことに豪傑のようだ。兵助はこれを助けようと思ったが、その場ではわざと聞こえないふりをして、牢獄に入れた。

夜中に牢役人を呼んで、孫四郎を逃がし、その牢役人も逃亡させた。

翌朝、囚人が1人、牢役人と共に逃げたと届け出た。鈴木田は大いに驚き、兵助に落ち度があったとして、しばらく蟄居させた。

その頃、徳川家の勢力が大阪に在陣し、蜂須賀阿波守にえた城を攻めさせた。平助は馬に乗り、士卒を下智して、命を惜しまず戦ったが、城は落ちた。鈴木田はようやく一方を切り抜け、万死に一生を得て、秀頼の城に帰参した。

兵助は浪々の身となり、あちこちを漂白したが、食料も金子も尽き果て、困窮して播州の地に至った。そこで代官職の姓名を聞いたところ、代官は土肥孫四郎だという。

                      続く

|

« スコール | トップページ | 水彩画の会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118203/23163161

この記事へのトラックバック一覧です: 飯森が陰徳の報い・1:

« スコール | トップページ | 水彩画の会 »