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2008年7月24日 (木)

杉谷源次・附・男色の弁・2

7月24日(木)

杉谷源次・附・男色の弁・2(狗波利子・通算47回)

(前回のあらすじ・伊勢の国司に奉公する深見喜平は、奥方の小姓杉谷源次を殺し、自分も腹を切る。二人を埋めた墓から人魂がでるので、国司は僧に弔ってもらう。国司はその僧に男色について尋ねる。)

僧の話しは続く。

古代中国の周の穆王は慈童を愛した。漢の高祖は籍孺を愛し、恵帝は公孺に執心し、哀帝は薫賢、衛の彌子は鄧通をそれぞれ可愛がった。皆男色に迷ったのである。

史記には佞幸の伝がある。太平通載には権幸の編がある。晋書には、西晋の武帝威寧太康の年より、男色の気風が興り女色よりも甚だしかったことが記されている。あるいは夫婦別離にいたり、恨みごとが多かったという。

昔から佞幸のともがら、終わりは悪いものである。財をもって交わるものは、財がつきれば交わりは絶える。色を持って交わるものは、花が落ちれば去っていく。人はいつまでも若くはない。歳をとることは、たとえば水が流れるようなものだ。過ぎ去ったものは帰らない。たとえ美しき雅な姿といえども、それほど時を待たずに衰えてしまう。朝顔が日陰を待つようなものだ。これはもう、人間の落とし穴のようなものだ。

宋の時代になって、学問を重んじるようになり、男色は少し衰えた。

日本では、眞雅僧正が業平に恋し「常磐の山のいわつつじいわねばこそあれ」と詠んだ。中古に瓜生判官の弟義鑑房が金崎にて討ち死にし、鱗岳和尚が田野で討ち死にした。皆男色の迷いからである。

このごろの男色をするものは、自分の内ももや腕をを傷つけて、思いが本気であることを相手に伝えようとする。古い歌にもある。

   思うこころ色にはみえず身を刺して

           朱の千入(ちしお)を君それとしれ

こんな歌を詠み、詩を作って、愛に惑う。

文でもなく武でもなく、非道の色に身をすて命を失うもの、女色よりも甚だしい。忠を忘れ、徳をけがし、家を廃らせ身を滅ぼすばかりである。

男色は、僧俗にわたりこのようなもの。慎むべきです。と、僧は話した。

                         終わり。

狗波利子第5巻の終わり。

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