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2008年7月31日 (木)

塩田平九郎怪異を見る・3

7月31日(木)

塩田平九郎怪異を見る・3(狗波利子・通算50回)

(前回までのあらすじ・織田信長に攻め落とされた播州の城からただ1人落ちのびた塩田平九郎は、出家し、西国を行脚して18年ぶりに故郷に帰った。かっての城跡近くのあばら屋で、3人の者が、謙信、信玄、北條氏康は優れていたが、その跡取りは才能がない、などと語っているのを、こっそりと聞く)

中でも武田勝頼は、武勇は優れているけれども暗君で、才能が乏しい。自らの武勇に慢心し、敵を虫けらのように思う。これは必ず滅びのもととなる。初めのうちは武力によって敵に勝つこともあるだろうが、愚かで知恵がなく、あるいは敵の策略に載せられ、あるいは驕りたかぶって、人を評価することが出来ない。おべんちゃらを言う軽薄なものを侍らせ、知恵深い家臣を遠ざける。自分の武勇を頼み、深い考えも無しに戦を仕掛けていれば、やがて味方の頼りになる者が討ち滅ぼされ、国を失うことになる。昔からこのような者は多い。

天正年中(1573-1583)奥平美作守、同じくその子、九八郎は勝頼の才能を見限り、甲府に背き、長篠に立てこもる。武田勝頼は大いに怒って、1万8選余騎を率いて押し寄せた。美作守は信長に加勢を求めたところ、織田、徳川の兵7万6選余騎が長篠に赴いた。そして、三重の柵を作って武田軍を迎え撃った。

勝頼軍1万4選余騎、先陣の山県三郎兵衛を初めとし、三重の柵に防がれ、3千丁の鉄砲の的になって討たれた。死する者1万3千余騎。しかるに敵方は、名ある武将で討たれた者はない。勝頼はただ3騎のみで逃れ、甲府に帰った。

この後は、織田徳川の両家は日の出の勢いとなり、武田方は、あちこちの砦を攻め落としても、それを守る人数もととのわず、捨て殺されるありさまである。従って、武田はそんなに長くは持たないだろうと人々は思った。事実、天目山の麓で信長に攻められ、武田の一家はみな死に絶えたことこそ哀れである。

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