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2008年7月 9日 (水)

野球について

7月9日(水)

精障者作業所Mへ。畑の草取りなど。勤労奉仕です。

野球について(ぼんくら日記)

戦中戦後の田舎育ちの子供にとって、体を動かすことはいろいろあった。疎開先が農家だったので、畑仕事、田仕事の手伝いなどもそうだ。もっとも私は、逃げることばかり考えていたけれどね。

運動としては、夏は川での自己流水泳、野山を走り回ること。冬はスキーなどです。スポーツで勝敗を争うようなものとしては野球くらいでしたね。サッカーなんて、まだ知りませんでした。

「瀬戸内少年野球団」という映画があって、結構人気があったようです。私は見ていませんが、ズック製のグローブの球を受ける真ん中だけに皮を張ったようなものも出てきたそうです。私たちも、そんなグローブを使いました。しかし、初めのうちは、もっと原始的な野球でした。

どんなものだったか、ちょっと紹介しましょう。

稲刈りが終わった田んぼの上で野球をしました。ボールはぼろ布を縄でぐるぐる巻いたもの。バットは木っ端か木の枝。グローブなんて、あるはずがない。

そのうち、健康ボールというのが出てきました。今の軟式のボールに近いものです。その頃になると、バットくらいは使えるようになりました。まだ、個人では持てなかったように思います。所有者は誰だったのか思い出せません。グランドは、学校の校庭、または運動場で、部落同士で対抗戦どやりました。この「部落」というのは、部落民とは違うのですよ。村の中の集落をいいます。

やがて、瀬戸内少年野球団が使ったようなグローブが登場します。個人では持てないので、グループで、1コ、2コと買いそろえたと思います。ただし、1チームで9コというわけにはいかず、対戦相手と両方合わせて使いました。それでも9コはそろわず、内野手、外野手は素手の人も多かったのです。

ミットというものがあるとは、まだ知りませんでした。キャッチャーもグローブで受けました。素手で受けるキャッチャーだっていたんですよ。幾ら軟式でも、素手では痛いのですが、球を受ける瞬間に、手を体の方に引くんです。そうすると痛さが緩和されます。

ファーストミットがあること、外野と内野のグローブが違うことなどは、ずっと後になって知りました。

明日は、私とプロ野球について書きます。

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