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2008年7月13日 (日)

常田合戦甲州軍幽霊 2

7月13日(日)

常田合戦甲州軍幽霊 2(狗波利子・通算36回)

(前回のあらすじ・恵林寺の奥にある上求寺の頼胤阿闍梨は、まれに見る名僧である)

武田信玄は国主である。信玄の生まれた年の干支は、運の良い時期に当たっている。信玄の本尊は不動明王なので、上求寺に深く帰依していた。出陣の前には、上求寺に参じて護摩を修し、館の安全、軍勢の無事、大将の勝利を祈祷した。信玄自らの参詣は毎度のことである。

天文21年3月、越後の長尾影虎が千余騎を率いて信州の地蔵峠を越え、長尾義景3千余騎を先陣として、押し出してきた。

武田信玄は1万3千の軍勢で迎え撃つ陣を張った。お互いに足軽を出して競り合ったけれども、はかばかしい進展もない。

謙信は何を思ったのだろうか、陣を払って越後に帰ってしまった。義景は陣をはらい、静かに引き揚げた。そのありさまを見て、武田方の飯富兵部、小山田備中、郡内の小山田左兵衛、芦田下野、栗原左衛門佐などが真っ先になって、義景の退却をくい止める。

義景、少しも慌てず、甲州方を坂の中に引きつけて、3千の手兵をまとめて、一気に武田方に立ち向かった。

武田方は足場も悪く、坂より下にまくり落とされた。さんざんに切り崩され、小山田古備中は討ち死に、原、郡内の小山田の2名は深手を負って動けなくなった。武田方の旗本前備甘利左衛門、馬場民部内藤修理が駆け寄って、敵を切り倒しながら二人を担いで味方の陣に戻った。しかし、いくほどもなく、二人は死んだ。

義景は、武田の軍に713人が討たれ、わずか3騎で引き返した。武田方も371人が討たれ、怪我をした者は数知れない。戦いは勝ったように見えるけれども、そうそうたる侍大将を失ってしまった。

このたびの戦の前にも上求寺で護摩を修したけれども、護摩はくすぶり、注ぐ水はこぼれた。頼胤阿闍梨は不吉に思ったが、口には出さず、胸の奥に深くしまっておいた。

                            続く

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