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2008年7月18日 (金)

掃部新五郎遁世捨身

7月18日(金)

掃部新五郎遁世捨身(狗波利子・通算41回)

   原作・浅井了意  現代語訳(誤訳)ぼんくらカエル

上杉憲政の家人、掃部新五郎は美しい字を書き、和歌が巧みで、自然や人の風情を深く感じる武士である。特に色好みということもないが、心にかなう人があれば、思い思われて、後の世までも連れ添いたいと思っていた。しかし、妻も定まらぬ中に、月日を送っていた。

久我の住人、名草の徳太夫という気だての優しい者がいた。その子徳之丞は14歳で、田舎の子ではあるが、見目麗しく情けがあり、立ち居振る舞いも上品であった。

新五郎はこの子を見染め、つてを求めて近づき、さまざまなことを教えた。四書五経なども教えたので、父の徳太夫も大切な客と思って、身内のように接した。

そうこうしているうちに、徳之上と新五郎は、恋人になって、月日がたった。3月、家の軒下に忍という草が生えてきたのを見て、新五郎が歌を詠んだ。

    ことの葉に出でてはいわじ軒におふる

              忍ばかりは草の名もうし

徳之丞の返歌

    我もかく人も忍びていはぬまの

              つもる月日をなどかこつらん

    ことの葉の末の松山いかならん

              波のしたにも我は頼まん

遠く語らい、深く契りて、徳之丞ははや17歳になった。4月の初めから病気になり、さまざまな治療をしたが、少しも良くならない。

新五郎も気をもんで、神仏に願をかけたけれども、何の効き目もない。もはや手を施すことも出来ず、時を待つより仕方がない。

                      続く

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