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2008年7月21日 (月)

毛虫祟りをなす・2

7月21日(月)

毛虫祟りをなす・2(狗波利子・通算44回)

(前回のあらすじ・山城の里に孫四郎という少年がいた。まだ12歳だが、学を好み、大人びて容貌は衆に優れていた。宥快という僧が孫四郎に心を奪われ、手紙を送ったり、その家のまわりをうろついたりしていた)

孫四郎の親はその様子を知って腹を立てた。

「憎い坊主だ。年端もいかぬ孫四郎をそそのかし、恋文を送ったりするとは何事だ。大人になったら大名、高家へ仕官させ、その才覚で立身出世して、衰えたわが家を立て直す子供だ。寺の小僧になって、やがて乞食坊主になるような腰抜けの若僧ではない。孫四郎は外に出すな。その坊主が家の近くに来たら追い払え」

とののしった。

これを聞いて、宥快に心を動かされている孫四郎は悲しんだ。親の言いつけを守れば、鳥や獣と同じように、情け知らずになってしまう、と嘆いた。

     いかにせんあまのを船のいかり縄

            うき人のためつながるる身を

1人思い嘆いてこのような歌を詠んだ。その様子を聞いて、宥快は、

     あまのたく藻塩の煙あじきなく

            心ひとつに身をこがすらん

と詠む。ままならぬ世の中だ。生きていても物憂く辛いことばかりだ。恋いこがれて生きているより、死んだ方がましだと思い定めて、寺の房に引きこもり、断食をしていた。

同学の僧が心配をして、戸を叩いたが、しばらくは返事もしない。やがてあらあらしく障子を開けたその姿を見ると、やつれて、目はくぼみ、白目は血走っている。髪の毛はわずかの間に白髪になり、痩せて骨と筋ばかりが目立つ。

同学の僧は、諭して言った。

「何というありさまです。1人の少年にそんなに執心するとは・・・。人間は、それでなくても生死の迷いが深いもの。聖賢と言われるような人たちでさえ、一心に修行して、得度してきたのです。多くの修行者は、あるいは山に籠もり、あるいは諸国を行脚し、妄念を去り、煩悩を捨て、まことの行いをしようとしている。菩提を求め、功徳を積んでこそ、輪廻を離れ解脱するというのに、あなたは何ですか。大事の未来を忘れ、浮き世の恋に思い沈んでいる。そんなことでは魔道に落ちてしまう。人間に生まれたかいもなく、地獄道、餓鬼道などをさまようようになってから悔いても遅い。狂気を去って、正しい道に帰るのは今だ。このままでは、血の池、針の山に行くのも近いぞ」

宥快は同学の僧の言葉に感謝しながらも、

「私の思いは前世の業によるものだろう。百回、千回思い返してみても、どうにもならないのです。私も、もうこの世には久しくないでしょう。重ねて輪廻を受けること、死後に針の山に登ることも、もはや避けられない。私はまもなく死にます。同学の僧として志があるならば、跡を弔ってください。今はもう、お帰り下さい」

と障子を閉めた。同学の僧は、やむを得ず帰った。

                             続く

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