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2008年7月 1日 (火)

1升飯・他  木島加伯

7月1日(火)

スケッチなど(ぼんくら日記)

午前、社協で、たなばたの飾り付けの会議。Mizutani10009_2

会議中に向かい側の席の人をスケッチしちゃった。不謹慎だなあ。でも、話は聞いていたし、発言もしたんですよ。ウーン、やっぱり不真面目だな。相手にも、まわりの人にもわからないように、気を使って描いているんだから、会議に身が入っていないんだよね。そんな状況だから、細かいところまでは描けない。

午後、精障者の福祉法人が経営する食堂の包丁研ぎ。終わって、食堂裏の霞川を入間川の合流地点まで散歩。

Mizutani10010 スケッチをしながら散歩のつもりだったが、暑いんですよ。日陰で描くつもりが、めぼしいところはたいてい釣り人が占領しているのです。現場では鉛筆だけ。彩色は家に帰ってから。邪道かなあ。Mizutani10011

もう1枚。これは入間川。これも、彩色は家でしています。視点が低かったので、橋が馬鹿に高く見えますね。真ん中の人は釣り人です。オシッコをしているのではありません。余分なことを書いちゃった。アハハ。

1升飯(ぼんくら日記)

毎日見ているブログやホームページの一つに「増殖する俳句歳時記」というのがあります。去年までは清水哲男という詩人兼俳人が一人で書いていましたが、今は清水哲男を含む7人が、日替わりで書いています。

今日の担当は土肥あき子で俳句は「歩荷くる山を引きずるやうに来る」作者は加藤峰子。「歩荷」は「ボッカ」で、山小屋などに荷物をを担いで運ぶ人。

土肥あき子氏の舅は立山連峰で歩荷の経験があるのだそうだ。その労働のきつさを「1回で1升の弁当が無くなる」と言ってあらわしたそうだ。

やはりそうだったか。私の田舎で、山仕事をする人が、「1回に1升飯を食えないようでは1人前じゃない」と言っていたのを記憶している。話を聞いてから何十年もたつし、1回で1升というのは間違いで、1日のことだったろうかなどと考えていた。お盆ほどもあるような大きな握り飯を風呂敷に包んで、山仕事に出かけていく人だった。

木島加伯(狗波利子・通算28回)

   原作・浅井了意  現代語訳・ぼんくらカエル

京都誓願寺の南の方に、格子の中に仏壇をしつらえ、地獄の様相の絵図を懸けている寺がある。安養寺という。

近郷近在の人々の子供が亡くなったとき、親はその衣類や玩具などをその寺に寄進し、せめてもの悲しみを安らげようとする。しかし、子を失った悲しみは、なかなか消えるものではない。

ある人は、子に先立たれ、悲しみのあまり衣装を寄進したが、後に寺を訪ねて、その衣装を見ると、ナデシコを摺り縫いした衣装だった。その衣装を見るにつけ、また昔を思い出し、涙と共に歌を詠んだ。

    なでしこの花の衣はうつ蝉の

             もぬけし殻と見るぞかなしき

元和年中(1615-1623年)長門の国(山口県)萩と言うところに、、木島加伯という強欲の人がいた。聞くところに依ると、黄金5千両を持っていると言うことである。

子や孫はいたのだけれども、どういう訳か皆早く死んでしまって、今は年取った夫婦だけが残っている。財産を譲るべき人はいない。

この上は浮き世の思い出に、好き勝手に暮らそうと、贅沢のし放題であった。旨いものや酒を、飽きるほど食って飲んで、自分たちだけで愉しみ、人には与えなかった。

ある夜、鬼の形をした者が尋ねてきて、夫婦の喉を掴んで言った。

「お前たちは我々の脂を絞って、剥ぎ取った金銀を、自分たちのためにだけ使っている。とんでもない奴だ」

加伯は畏れて言った。

「今日からは、旨いものばかり食べたりしません。酒もやめます。豪華な衣装で着飾ったりしません。家の新築などもしません。世捨て人のような質素な生活をします」

それを聞いて鬼は立ち退いた。加伯は夢から覚めたような気分だったが、恐ろしさは残った。

                           続く

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